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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 台湾原住民の生活様式: 日本領時代の衣食住 著者 Author(s) 白石, 太良 掲載誌・巻号・ページ Citation 兵庫地理,27:2-10 刊行日 Issue date 1982-03 資源タイプ Resource Type Journal Article / 学術雑誌論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/90002321 PDF issue: 2020-01-24

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Kobe University Repository : Kernel

タイトルTit le 台湾原住民の生活様式:日本領時代の衣食住

著者Author(s) 白石, 太良

掲載誌・巻号・ページCitat ion 兵庫地理,27:2-10

刊行日Issue date 1982-03

資源タイプResource Type Journal Art icle / 学術雑誌論文

版区分Resource Version publisher

権利Rights

DOI

JaLCDOI

URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/90002321

PDF issue: 2020-01-24

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台湾原住民の生活様式

日本領時代の衣食住-

1 はじめに

日本の植民地時代に「高砂族Jといわれた台湾

の原住民は,今では「高山族」あるいは「山地同

胞Jの名で呼ばれ,その数約30万人ともいわれて

いる O 彼らの生活は,長年にわたる漢民族との接

触,かつての日本による巡撫政策,第 2次大戦後

における国民党政府の台湾支配などのなかで大き

く変貌した。しかしながら,生活の根底に横たわ

る伝統は,今もなお変ることなく生き続けている

と考えられる。ここでは,各方面における変貌以

前の生活実態,特に衣食住という日常生活の姿を

述べることによって,台湾原住民の生活の一端を

知る手がかりとしたい。

ここで衣食住をとりあげるのは,それが生活様

式のうらで、環境への適応を最もよく示す事象であ

り,自然的諸条件の影響を受けつつ,民族の伝統

と文化の接触のなかで地域的特性をよく表わして

いるためである。さらに,近年の変貌以前の実態

といえば,急激な変容の洗礼を受けておらず,彼

らの生活が一層鮮明に浮び上がることであろう O

なお,ここでいう近年の変貌以前とは,日本に

よる植民地的支配時代の初期をし、ぃ,具体的には

明治末年から昭和初期にかけてをさしている。

2. 台湾の土地と住民

(1)台湾島の支配

台湾は. 1 ¥-1同史では琉球列島の一部と見られて,

小琉球と呼ばれた。島の歴史をみると,永らくは

古く渡来したマレ一系住民一一今の尚山族ーが

石器時代からの文化をもって安住するだけの平和

な島であったが,海仁交通が盛んになるにつれ,

対岸の111国大限などとの交捗が始まった O 近世に

なって,ヨーロッパ人のアジア進出に伴ない,

マカオにむかうポ1レトガ、ル人によって発見されて,イー

ラフオ lレモーサ(華麗な島)と名付けられてから,

その名が広く伝えられた。かくて. 1624年lζ島の

南部がオランダlζ 占拠され,次いで北部はスペイ

ンが~f1与これを占有した。このころまでに. 111同

白石太良

大陪からの漢民族の移住がみられていたが,明朝

滅亡後. 1661年に明朝の遺i豆鄭成功がオランダ勢

力を排除して支配した。しかし,わずか20年余で

その支配は終止符をうら. 1683年には清朝の領有

するところとなって,その後約200年間は,高山

族と対立抗争しながら清朝の支配が続し、たのであ

るo 1895年になって,日清戦争の結果H本の領土

となり,植民地支配が行われたが,第 2次大戦後

中国に返還された。さらに,国共対立のあと.1949

年に国民党政府がこの島に移転し,現在に至って

し1る。

このような,近世以降の目まぐるしい支配苫の

変遷のなかで,原住民の一部は漢民族に同化し,

また生活の様式を変えていったが,多くは昔なが

らの伝統を守り続けた。支配者による積極的な生

活改変への働きかけは. 1]本の領有時代になされ

たものである O

(2) 地形と気候

台湾は. ~tl 国福建省の東方約200km の海上にあ

るほぼ紡錘形をした島で,面積は約 3.56万km:! •

南北の長さ 360km, Ip央部の東西幅 140kmである O

11本列島から琉球列島,ルソン島に続く一連の造

山市内にある摺曲弧の一環をなし,第三紀の造山

運動による Ir'U峻な中央山地が!誌のw.;奇りを南北走

する。その東側は,海岸山地との|叫に細長い点台

縦谷があるほかほとんど平地がなく,海岸線はー

部を除いて断出をなしている。 111央山地の西側は,

低い山地や丘陵・台地が続き,それらの聞に台北

盆地や台rl1盆地がある。台湾海峡沿いの河岸には

平野がひらけ,彰化平原・;芸市平以・ 111雄平原な

どがみられる。

これらのうち. 111央IIJ地111腹の1,000m 内外の

ところには,谷斜IflIゃ渓谷WJの!邑,f.hUこ緩斜面があ

って,ここがおもに I~.~ Ilj族の'Ij,号舞子?となってい

る。もっとも,向山族ω一部は.W:fi縦谷やt*u刊海}戸沿い,あるいは向興tmにもW{l:する。

気候の状況を概観すると. [;与の111央部を北[luM

-2ー

Page 3: Kobe University Repository : Kernel台湾原住民の生活様式 日本領時代の衣食住-1 はじめに 日本の植民地時代に「高砂族Jといわれた台湾 の原住民は,今では「高山族」あるいは「山地同

線が通り,全体として亜熱帯性の気候を呈してい

る。夏は全島にわたって暑さが厳しいが,冬でも

1月の平均気温が北部の台北で15.20C,南部では

200

Cを越える。もっとも,山地では高度に応じ

て気温が下がり ,2.000m内外の高地になると,夏

はサハリン,冬は鹿児島程度の気温に近い。降水

量は,島の各地でいずれも年間2.000概以上と総

量は多いが,その季節的配分は南北で異っている。

すなわち,夏は高温による対流性降雨が全島的に

みられるのに対し,冬は北東季節風のため北部で

は相当の降水量をみるが,中南部では中央山地で

それがさえぎられてほとんど降雨がなく,乾季と

なる。もちろん,南部であっても,山地では冬に

も雲霧がかかって湿気があり,熱帯雨林状の森林

となっている。

(3)原住民の分布と人口

台湾の住民1.714万人(1978年)の大半は漢民族

で,本省人(国民党政府支配以前からの居住者)

と外省人(国民党政府関係者として来住した人々

とその子孫)に分かれるが,中央山地以西の盆地

や平原を中心1<:',全島に広く分布するo

一方,原住民の高山族は,漢民族移住後の接触

によって同化した漢化原住民(平堵族,かつては

漢化が進んでいるところから熟蕃といわれた)と,

漢民族移住後山地などに退避して原始的生活を続

けた未漢化原住民(かつては生蕃あるいは山地蕃

という呼称が一般的に用いられた)に分かれる。

漢化原住民は, :1じから JI頂KJレイラン・ケタガラ

ン・カパァラン・タオカス・パゼッへ・サウ・パ

ーポラ・パブザ・ホアンニア・シラヤの各種族に

分けられ,現在漢民族の居住する宣蘭平原と台湾

西岸平原地帯に分布する。その人口は正しくは不

詳であるが, 1927年の調査では約 5.2万人とされ

ている。このうちサウ族を除いては,生活様式や

言語など漢民族と大差がない。

未漢化原住民の分類は,時と人によって異なる

が,行政方面では 7族に分けている。すなわち,

かつて北蕃といわれたアタヤル族とサイシャァト

族,南蕃と呼ばれたブヌン族,ツォウ族,パイワ

ン族,アミ族,ヤミ族がそれである。他に 9族分

類法が,特に学術上の分類として用いられ,上の

パイワン族のうちからルカイ族とプユマ族を区別

することが多い。その分布をみると,中央山地の

北部にアタヤル族とサイシャット族が居住し,中

部のユイ山(玉山)の東部と南部にブヌン族,そ

の西部のオーリ一山(阿里山)を中心にツォウ族

が住んでいる。ブヌン族の南側のうら中央山地寄

りがルカイ族,海岸寄りがプユマ族で,さらにそ

の南から台湾島南端までの山地にはパイワン族が

居住する。東部の東台縦谷及び海岸一帯にはアミ

族が,太平洋の弧島蘭興(紅頭棋)にはヤミ族が

生活する。(第 1図)

o;湖Qo

!/b

Q,::iIlE

i包 揃慎

0,[孤帆)

第1図 台湾原住民族(何廷端博士原図)

<凡例>

未濯化原住民族

(高山族)

濯化原住民族

(平捕族)

A.アタヤル族 a. ルイラン族

(~1 ーアタヤル族) b. ヶタガラン族A

2ーサゼック族 C ・ カパァラン族

B. サイシャット族 d. タオカス族

C. ブヌン族

D. ツォウ族

E. Jレカイ族

F. パイワン族

G. プュマ族

H. ァミ族

1. ヤミ族

J. サウ族

e. パゼ、ッへ族

f. パーポラ族

g. パブザ族

h. ホアンニア族

i . シラヤ族

-3-

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第 1表高山族の 戸 口

種 族 部族数 居(住社個)所

アタヤル 30 252

サイシャット 4 11

フ ヌ ン 7 122

、yオ ウ 9 23

ノT イワン 8 205

ア ζ 4 109

ヤ ミ 1 7

計 63 729

1928年現在の未漢化原住民の人口数は約14万人

で(第 1表),これを種族別にみると,パイワン

族とアミ族が共に 4万人を越えている o 次いでア

タヤル族の 3.3万人,ブヌン族の1.8万人が多い。

逆にヤミ族とサイシャット族は1,000人前後の人

口でしかない。現在の人口は必ずしも正確ではな

いが,パイワン族の57,819人,アタヤル旗7.)54,797

人,ブヌン族の24,207人が多く,次いでアミ族

8,930人, )レカイ族6,305人,ブユマ族5,200人,

第 2表高山族 の 衣 と 食

ア タ ヤ ル 篠 サイシ ャッ卜族 ブヌン由民

l胸筒掬鮮納当友l制Mi)衣,(Eツ煙.J)Z口]0銭(t<){兇)上下衣衣共依ア台Pμ4等E タE湾Mヤ風ルじ (リ'J))上-胸1ド44火吋主(皮f股袴T 製の

)jJ,1 装 (tz)Pzs iI12

(lj:)上下台湾風

装身具 頭E指EEEE日草R,.. 耳手脚 i鎖飾IU E, 口11.dt 1 1

指iiJt環鮒J. 腕広, .ほ腕折1ft飾邸tii,.. 鎖E中ijf 員飾チiE , ,

一一 トー

身 刺 í~f O O

一一体欠{調 O × O

欠穿 』耳 O O O

( 1928年末)

戸 数人 口

男 女

7,060戸 16,391人 16,905人 33,296人

241 650 615 1,265

1,952 9,289 8,793 18,082

255 1,074 943 2,017

8,398 20,808 20,536 41,344

5,225 20,771 20,856 41,627

365 840 763 1,603

23,496 69,823 69,411 139,234

『台湾の蕃族』による

ツォウ族日38人,サイシ守ツト族2,859人,37ミ

族1,996人のl噴であるとする報告がみられるoも

っともアミ族は約12万人との説もあって,確定す

ることが困難である。

彼らの集落を「社」といい,清国統治以来の名

称であった o この「社」のうち位置的に近いもの

をいくつか合わせて「部族Jと称するが,ヤミ族

の如くわずか 7社 1部族の場合から, 252社 30部

族のアタヤJレ族までみられた。

ツポウ族 パ イ ワ ン 肢 7 ミ 族 ヤ ミ 族 |

ブヌン阪にl同じ

(リj)rr筒台E7湾FF(IIllみllh,-見じ台lm要か湾D巻iしl風、).(リ'j)ア世ヤル.ブヌン.(リ15)一見陣羽織. I

パイワン自主'<Iど(女)1r伺1i8手.8盟主会(I;r:)

(!;:)台をま湾風ねる

d申Aii 商子li. 預!iilj ・ d申Tillf子r,fi.割4兜.

O

O × × ×

O O O O

飾除毛ートー

O × O O × O ×

米2辞3・1{.虫E・黍 ・ アヲヤル族KlriJじ米 ・黍柴 ・者F柳4ヰ・

ブヌ ン族KI司じ 米'f・米 .iI'i'符・ 米 ・梨 .iI'i答 芋 ・型芋 ・栗

飲 E 食 ごf巨~ tl~

ー 一一食獣疏肉禁 ., i夜仏矧1ftl 話量栄. '宮~ サイ ンヤフ 卜欽 7?ヤJレ自主iζI"jじ .((~j.{お1. 芋のZ笠

日リ 食 Icl,uじ物

方法 l日 3~JI . 飯 ・ 3的 l日 21!11 アタヤJレ肢に同じ 芋の/1<~

殴 ~~耕 (焼水問奨励畑l) (焼水閃奨却励l) 焼 知l 焼 '則 焼却l・水 11I ノ1<1:LI ~ 1 、 焼 均11

緋直~ O o.ム O O O O

叶,'J' 町x¥ m O O O O X .6 O O

f華街 住者 .JI} l詠・ 2品 1ぽ・m・ノド牛 隊':!OCl・家間 1I本・m.とド 豚 ・宮}・と10 IIJ ~I仁

1主 台湾風とは漢民放の険倣の怠 l台湾の椛僚 1による

0:あり '>< :々し 6:嶋1;11または減少

割欄は干;1ft

-4ー

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エスノミエヤイ

ユスノフホゴヤ

以下において,日本領時代の状況を中心fC,高

山族(以下では未漢化原住民をさすことにする。)

の衣食住を述べてみたい。(第2表)

#f

メ,其前ニ長サニ尺幅六七寸ノ黒木綿ヲニツ折

1)ニシテ掛ケ,以テ陰部ヲ蔽フ。又胸当ト同ジ

キモノヲ肩ヨリ掛ケ或ハ腹帯ニ結ビテ樟ノ上二

重Jレ。(中略)婦女子ノ着服スJレ11買序ヲ見Jレニ

「タフウ」ト称ス Jレ二枚ヨリナル腰巻ヲ締メ,

ソレヨリ「エスノミエヤイ」ト云フ上衣ヲ左前

ニ着,其上ニ「シノプタ」ト称スル帯ヲ締メ,

胸部ニハ「キヲイノマメスピキ」ト云フ四角形ノ

胸当ヲ掛ケ,外出ノ時ニハ「トットフJ(臨幹)

ヲ着クル。(蕃族調査報告書)

最も簡単な衣服はヤミ族で,男子の上衣は袖も

襟もなく紐で胸のあたりを結び,一見すると陣羽

織風のものであった。下衣は 2m程の芭蕉布を二

重に腰に巻き,前面には黒糸で、亀甲形の模様をつ

けることがあった。女子は手巾形の布を肩から掛

け,巾30cm程度の腰巻をつけるのみであったとい

っ。このような固有の衣服のなかで特徴を示すのは,

下衣における腰巻衣である。この型式は,腰巻型

あるいは巻衣型といわれ,インド,東南アジア,

インドネシア,太平洋諸島に広く分布するもので

ある。このことは,高山族の衣服文化が,東南ア

ジアなどと同系統に属していることを示している。

固有の衣服lζ漢民族の影響が加わるのは,女子

の衣服の方が早かった。ブヌン族では,下衣lζは

伝統的なものを着けながら上衣は漢民族と同様に

なり,サイシ守 y ト族やパイワン族の女子では上

衣・下衣とも漢民族の模倣が多くなっている。衣

服文化の流入が女子から始まることが理解される。

-5-

キヲイ

マメスピキの

ツォウ族阿里山蕃の衣服第2図

衣服の特徴

(1)気候と衣服

衣服が誕生する契機には,環境に適応した自然

発生的側面と,計画的・人為的にっくり出される

側面とがある。このうち基本的なものは自然発生

的側面であり,人体防護のために衣服を着けるこ

とこそがその起源となる。すなわち,人体防護と

いえば,害敵などに対する生体保護ということも

あるが,第ーには気温変化や気象状況などに対処

するための間接適応の手段として衣服があるとい

えよう。したがって衣服は,世界各地の気候風土

に順応して自然発生的に定型が形づくられ,それ

が文化の進展のなかで,異種の衣服の影響を受け

て変化していくと考えられる。

例えば,熱帯から亜熱帯にかけての衣服は,暑

熱と湿潤な気候のもとで開放的で裸出的であり,

単純なものとなる。高山族の場合も,上衣と下衣

に分かれ,亜熱帯性気候に対応して比較的簡単な

衣服で,それに漢民族の模倣が加わって変化をみ

せることになる。

(2 )伝統的衣服の様式

今日では,伝統的衣服といえば,祭日のほか観

光用に開放された村落以外では,日常的にはほと

んど用いることがない。しかし,日本領時代には,

各種族とも大なり小なり古い様式を残しており,

特Kアタヤル族とツォウ族lζ残寄度が著しかった。

例えば,アタヤル族で、は,上衣は筒袖,胴衣,

袈裟状の方布lと胸当てをつける。下衣は男子の場

合黒布を腰にまとい,前面に少し垂れて陰部を蔽

い,女子はスカート型の腰巻を巻くのである。衣

服に必要な布は,交換によって入手した綿糸や毛

糸を加えることもあるが,多くは自家製の麻糸を

織ったもので,薯榔の根より採った茶褐色の液で

染色した。またツォウ族でもこれに類似し,男子

は皮製の上衣を着て胸当てを掛け,女子は筒袖lζ

襟をつけて腰巻型の下衣をまとった。 1910年代の

ツォウ族阿里山蕃の報告には次の通りに記されて

いる。(第 2図)

男子ハ背ニ革製ノ合羽ヲ着ケ,胸ニ蕃布ニテ

作レJレ胸当ヲ掛ケ,腰ニハ木或ハ竹製ノ帯ヲ締

3.

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またアミ肢では,リj女とも他の陀肢の模倣や漢民

族の衣JJ日との折衷が進んでいたのであるりアミ肢

の居ft地が比較的平坦地であること,したがって

接触の機会が多かったこととも関係してのことで

あろう。

なお,平常IJ日のほかにrE装や労働服を持ら,特

に狩猟n与には,各種族とも防寒川を萩ねて皮)Jbiを

用いたことがlJ:円される口

(3) 装身具と人体装飾

衣服を補うものとしての装身具や人体への[l'f接

的装飾について簡単に述べておこう。

装身只lζは各間族共通のものは伝いが,一般に

は頭環・耳飾・胸飾・腕輪 .m環・脚飾などがJf]

いられた。一例として,前述と /ruじツォウ族阿rn

山蕃の場合をあげておく口

首飾 [司有品トモ云フベキハ,難母珠ト称スル

赤キ木豆ニテ作レル[カヤルフ」ト云フモノナ

ラン O 又木J心及:&Eニテ作レルモノアレドモ多

クハ土人(漢民族の志)製ノ「スクチンコャ」

ト称スル肢璃製ノ物ヲ川フ。

頭飾 男ハ革製ノ帽ヲ戟キ, jL民ニ鷲ノ羽ヲツ

ケ,又祭日ノ時二ハ赤キ|セル」地を幅三寸,

長サ頭ヲ巻クニ足ル位ニシテ,其'11央及端ニ金

色銀色ノ肢璃及釘ヲ都合ヨク列べテ飾トスルモ

ノアリ O

腕輪 点鏑,肢鴎或ノ¥猪牙ニテ作レ Jレモノアレ

ドモ,平素ハ纏用スルモノ稀ナリ。 (蕃族調子五

報告書)

人体装飾では,アタヤル・サイシャット・パイ

ワンの各椅族やアミ族の-ì\ß~c どに刺青の風刊が

あり,例えばアタヤル族では, rJ]子は賊首ーした;庁

など9} {J-の印として額や胸 ~c どに京iIi'Iを行ない,

女子で、は結婚して後に両側から 11のあたりにかけ

て束リ古をした。また,アタヤ Jレ・ブヌン・ツォウ

の 3Nl族には欠損の風河があり, [r~ じ 3 開放のほ

かアミ族の一部などlζは額のごじゃ髭,陰(, ~f

のJì"~tcどを抜き去る風押もみられた O そのほか,

lfたぷに:/てをあけて装飾/IJlを入れる穿耳が 7H[族

に共通して行われた。これらの風河は, 'U丙ω向

上とともに次第に尖われていった乙とはいうまで

もない。

4 食物とその生産

(1)食物

台湾原住民の食物は,開放によってお干のtll

isがあるが, r:'G 111部では下類, 111 館 ì~l) では雑殺類

を主食とするのが昨jJJlであった。アタヤル族で、は,

平地lこ近いところでは陀稲, 1111白河川乙入ると米・

粟・黍・詐符が主食で,米・栗たどは*ti製の後lζ

飯又は弾jとしてJHで食べたのである。 MU食は獣肉

・魚肉・ ifi~菜類・ lX類など,また U1J食として栴・

桃・密柑・批杷などをとることもあった。サイシ

ャット族・ブヌン族・ツォウ族なども大同小異で

あるが,ブヌン肢のように部族毎に大差のあるこ

とも少なくなく, 111館部の部族が米と粟を主食と

するのに対し, Iq山地帯に{1:む古1)阪ではほとんど

が蕃警など十類を主食としている。!る興部lζ住む

ヤミ族の場合も, [RY:をはじめとする下類で,水

煮にして食べる。このような主食作物の構成は,

台湾が根裁文化問と雑穀文化問の陵点にあること

を示すものであろう。

なお, 11 本による領有以降の水川化奨励によっ

て,水稲j実情が盛んになり,米食の増加がみられ

るO 例えば,パイワン族では米 4,.j':: 4 ,粟 1,

審薯 1の割合といわれ,アミ肢では米 2,粟 3,

葉書 5の比率とされている。

(2)食事法の具体例

具体的な食事法の事例をみてみよう。

例えば,衣J]日の凶であげたと [ruじツォウ族阿里

山蕃の場合は次の通りである口すなわち, 111間部

に居住することも関係して主食は葉で,次いで蕃

苦や甘持をJI]し、るりもっとも,一年,11葉を食べら

れるのは白栴u'KI製られているり壊は偶状l乙煮て

食し,1{-は蒸焼とする。副食は, 11常はJgy,子を

入れた恥おーをtcめる程度であるが,品!i、支の恥煮,

j鳴を湯,Qしたあと耳目{湯lζ没したもの,制lく切った

豚肉をJij;むにしたものtcどもあるけ

また,アミ政応前社について, (Kのように報f与

されている口

食事 民ダ筒ltJ.ニシテ,膳又ハ食I;i.ノ Urlキ物ナ

ク,唯夕、、米飯北ハ葉飯ヲTf~二人レ ì 1ー(ih葉ヲ出

点シタルモノ)ヲ上23二人レテ底二位キ,家族

ハ各腰掛 ~fl(l,j ヅツ舛ヘテ民間 UH 二後リ,出ニテ

食スルナリリ稀二ハ茶腕ニi!ヲ(民 1)介ケテ食'H

ス Jレ百モアリ。 I~ Jj l主物ハ ~!f 菜ノ乙ニシテ,幻想:i

及肉類ブキ二}I:ザ Jレトモ,常食トスル 'JH-ク,

祭 IlD究ハ附則等ノ 11)1:ザレパJIJL:ス

調理法 • -t長ニシテ,魚類&1付額ノ来日Ijナク円

-6ー

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焼キ, .L 1日ハ J行テ月U{ J.K二 u スノミ。 f、;(~内 &iìiÆ I3~ ハ

カ i 仁ニ II~ 1) , 'K'f~製トシテ n11誠ス lレノミナラズ,

出漬ノ法ヲ知 jレo ~類ハ恒二耳IJ漬トシテ食料ニ

供ス。;審判, '11, '{, tf,i紫ハ蒸スモ,牧米>>..料!架

ハ鍋ニテR,泡ノイJ:テタ JレfJ-!j湯ヲ取 1)テぷシ,

取リタ jレi弘ハ食jLノ!l与汁ノ代 1)二飲ム 'Hア 1)0

(辞め;調汽械{';-I'::)

食事法などは開放IrJ~ζ ,また部肢によって相違

しているといえようが,アミ族奇宿社では{I焼き

の方法も報ili-されているG)

(3) 農耕方法

食物を入子するjJ法としての農耕では,焼畑耕

作が広く行われ,間巾な小鍬,鎌,木体等の辺nを利用して耕f'rした円 'j二}、号の使mはほとんどなく

肥料もまたJlJし1にかったりヤミ族には不よUWJtfプ〈

を掘って苗株をx::込むのみという原始的ハァク耕

も残っていたのである。焼畑耕作では,森林以野

の伐採後l乙火をつけて焼き, 3 ~ 4年|凶作物を連

作したのら放棄する O 例えばブヌン族では,初年

lζl軒下または tJ'片をj友情し, 2 q:目lζ粟, 31j:日

l乙雑殺を播いた後は,1年 f]より 10年間放棄して,

その後再びülJ~Hするというサイクルであった O こ

の場合, rHJ~/U也の決定 l乙際して,古区|を,Jj うこと

もみらオLた口

7/<川耕作の汗皮は,漢民政との接触のf¥!Jむとよ

って兜っている。アミ肢が最も進んでおり. 6)J

と12月l乙収穫する二期作が広く行われた口パイワ

ン肢のうち東部平地諸t;s肢もまた, 二期作をして

いる。その他の阿佐でも .JK fJl j面積のh月;Jflがみら

れるが,それは介内が I1本以になって以降の指導

奨励によるもので, ftr'U\.\.t由政策の ~f~ としての水

川化であった臼したがって,必す=しも彼らの食物

の変化を伴うものでははく,強制的指導がtli絶反

応にあうこともみられた。例えば,ヤミ肢に米食

を奨励したところ,央公Lを U~いだのみでノミlζ投げ

うえたというり

(4 )牧畜・狩猟・漁防

家市にl則しては,わすかに豚・'J1U・家Ips,-cをfilu

汗するね!主であった J このtJ.かにあって,パイワ

ン放やアミ fAの -('m,こは. )J<.ノ1-のftnJfJがJ-I::,I較的{i*

んで. fI与には30¥j(Uこ}!l.ぶ保{j'fiもみられたりこれ

らは 1'1家計Ij賀川ではたく .i''Il民政への!版,J4を!1的

とするものであったりもっとも, )]<川耕作導入の

111, Lイifi岐において,京市uli]fJ'もまた 11'くfjわれた

ことはn:LJさオLてよい。

品方狩猟は,民主lこi欠く、、示 l,llitf{t'Hとして,各

閉めiとも行っている υ 矢や柏をJIJし、るほか,わた

の手Ij)f].干it仁どでJ[殺する h71ょtfどがあった。ア

ミ族では,猟場l乙火を人れてillいtf¥し,附獲する

方法もとられた。狩猟の対象とされたのは鹿・猪

・熊・兎にどで,鷹や慨にどの鳥類も多かった口

狩猟は11::死をかけた戦いであって,ブヌン族の例

では,健イiを 31rtHって活火しないIL}はイミ古とし

て出猟を r~~ I Lしたり, III猟 fj~ ,こ残された家族は身

体や衣服を洗わtn、など,縁起をかつぐことも多

カ〉った O

魚類は:,t:'~ な食料の一部であったが. 11J地居住

を主とする {~IIJ族では,川川などでの淡水魚の捕

獲がほとんどであった口航法としては,づ矢など

で射たり鈎や網紅どをJIJし、るほか,毒物の利用が

みられた。魚lifiとしては,鯉・鮒・総・鰻江どで

ある。アミ族など一部の間抜には海上漁携もあっ

たが,その漁法はよ発注で,漁獲量もわずかで、あ

った。

5. 住居の問題

(1 )位置の選定

住居位置の選定型Wl:は各種族にほぼ共通してい

る8) アタヤ Jレ族の場合をあげると次の通りである。

① 農耕lζ適する土地であること。

② 防御に便利であること。

③ 衛11:i面で、すぐれていること O

④ 屍体珂!作tiど不1¥:tf ,-f:地で、ないこと O

⑤ 夢Lf-jいを行い,不 Itjでないこと。

このなかで,②の防御は賊白の風習をもっ"CI]山肢

にとっては,侵略|的 jl:上 1ft史ーであったりまた④の

民体埋Jfは,アタヤル肢に尿内埋葬の習慣があっ

たことから,住居移転の即時!ともなったものであ

るO このよう江 l,tli{'l:に合致する場所としては. IJj

mLたと'(J)I~_~ 燥地が考えられ,それに平坦 lfiîがあれ

ばより望ましし、。白艇部に住むヤミ族でも, I[j踏

の傾斜地を選ぶことが多かった。

(2) 住居の構造

長方形の平家建が汗iul-c'あるが,内部情j立たど

では陪肢によって何liittする。(箔 31刈)

建築材料としては. l'刊TItfiとも木材をJIJL ¥るが,

竹の不1]I! 1も多く,パイワン肢のなかlこは{1-5Utú-(.~

柱を作ることもある o ll;¥f立本または竹,以棋は竹

-7-

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日?ー・ママjヲjナ. 0

0-ーゐ

。日ヲ

。、

o-

~/ナ」

一。ロ

ヲ:ポポジュ(炉)

チ: (粟揚場)

ワ・カ:(物置場)

0:柱

第3図 ツォウ族阿里山蕃の家屋と間取

く凡例>

イ:ッグス(男の出入口)

ロ:トウンコヨノミヤツモナ

(豚小屋に通う出入口及び未婚男の、未婚女に通う口 ノ

ハ:ミヤツモナ(女の出入口)

ニ:トボフシュウヤ(獣骨架)

ホ・へ・リ・ヌ・ル:ホポ(寝室)

ト:ヶトプ(穀倉)

やブヌン族などでは,土聞を約 1m程度掘り下げ

ている。屋内の区画は,四隅に寝床を設けるもの

(サイシャット族).前後に区画して前半部を寝

室及び客室とするもの(パイワン族).入口付近

瓦・草・桧皮葺や茅葺もあった。居住地の周辺で

入手できる材料を用いたものといえる。

柱は掘立形式で,屋内は土間であり,中央K炉

を造ることも多い。また,サイシャット族の一部

『蕃族調査報告書』によるアミ族奇密社の家屋

-8ー

第4図

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をJ1bJJjJ,次を凶|出,奥をね主と分けるもの(アミ

族)など各秤;である。 {Uせの問問あるいは庭の周

閲lと土堤を築き,防御川とする場合もみられる O

ヤミ族では,衣・食.{i:のうら住居h,))最も発達

している。彼らの家以は,傾斜地をならして I,.Jく

石積をし,半地ド式の1:以のほかに作業小kL物

見台が分離して建てられてし、るのである O 機能分

化があまり進んでいない I~':J III 肢の住民のたかにあ

って,比較的それがよく行われているといえる。

(3 )アミ族の場合

住居の構造にっし 1て,各frE族の全てを述べるこ

とは不可能である二いまアミ族奇密社の場合をあ

げて一例とする O 乙乙では,アミ族lζ一般的にみ

られる形態とは異って,屋内は 1宇ーからなり,む

しろ他の種族のものに近い。(第 4凶)

柱ハ重ニ樟木ヲ用ヒ,釘ヲ!日フルコトナク藤

ニテ結縛スル O 多クハ柱ノ仁端ヲ凹字形ニ削 1),

五六寸下二孔ヲ設ケテ共孔ニ藤ヲ、病ラシ,以テ

藤ノ結縛力ヲ大ナラシム口四方ハ板ニテ阻し

土ヲ塗ルコトナク,一方ノ軒ヲ梢々延シテ,其

下ヲ土問トシ,軒端ハ柱ニテ支へ,板ニテ囲ム

コト稀レナリ O

床ノ高サハー尺位ニシテ,丸藤ヲ以テ作リタ

ル「パラク lレ」簾ヲ張リ,尾根ハ茅茸ニシテ厚

一尺余アリ O 土問ヲ設ケザル一方ノ軒ハ,地面

ヲ離lレlレコト僅ニー尺五寸位ノ所ニテ終Jレ。未

婚ノ男子ハ,此ノ軒ヲ潜 1)テ未婚ノ女子ニ通フ

ナリ O 屋内ハ陪晦ニシテ気味悪シク,壁或ハ仕

切ノ如キ物ナク単房ナリ o (蕃族調査報告書)

(4 )その他の建物

各種族とも住居のほかに付属的な建物を作った。

穀倉,鶏舎,豚舎などがそれである O 牧畜のみら

れたパイワン族やアミ族では,牛舎や物置小屋が

あったし,ヤミ族では前述の通り作業小屋や物見

台を設けた。その他lζ,ツォウ族・パイワン族・

アミ族などでは,共同施設としての集会所が置か

れていた O 集会所は最も神聖な場所とされ,社内

の会議場であり,また昼間は共同作業場,夜間は

未婚男子の宿泊所であった。

6. 結びにかえて

高山族といっても,マレ一系民族が長期にわた

って間欠的に,また別個に渡来したものと考えら

がって,そこに一定の類型を見出すことは困難で

ある。しかし,亜熱帯性の気候, IU地居イ主という

条件のもとで,各極族が[[1接・間接の接触を行な

いながら ~UIIjすることにより,共通した特性と在

っていることも少なくない。

ノト 11 の I~'~ IU族の生活は,いわゆる近代化によっ

て大きく変貌している。 I~ 常の衣服はシャツ lこズ

ボンあるいはスカートとなり,多くの漢民族と区

別がつかない。住居にもコンクリート製のものが

増え, ',U化製品の普及も著しい。 だが,個々の生

活面のバリエーションが豊かになっても,その底

を流れる衣・食・住の基本型は民族の伝統を保持

し続けていると考えられる口

本稿は, Il材~l時代の高山族一いわば近年の

変化を受ける以前の人びとーの生活について,

特に衣食住に関して概括的l乙整理したものである O

表面的記述l乙過ぎて,生活の実態を把握するに至

っていないが, Ifj山族を知る手がかりを得るとい

う本稿の目的はある程度達せられたものと考える。

社会生活を合めてより一層の深化が必要であるし,

具体的で、かっ詳細な研究が求められることはいう

までもない。

本稿は,兵庫地理学協会昭和56年11月例会での

報告に,力日宰・補正したものである。

本稿では,各項ととの注を記していないが,主

たる参考文献は以下の通りである。

藤崎済之助:r台湾の蕃族』 国史刊行会

1930年

臨時台湾旧慣調査会:r蕃族調査報告書』各冊,

1913~19151手

竹越与三郎:r台湾統治志』 博文館 1905年

国家民委民族問題五樟叢書編輯委員会:r中国

少数民族 J 人民出版社, 1981年

国分自ー I台湾先史文化と原住民文化」

(えとのす, 1号,新日本教育図書, 1974年)

j主

『中国少数民族j)Kよれば, 1977年現在の高山

族(平埼族を合まず)の人口は29万1,000人余で,

台湾総人口の約2%である。

れ,各種族によって風俗宵慣が児っている。した

-9-

サウ族は日月開湖畔ーに住み,人口は約 300人の

種族である。清国統治以来平靖族とされているが,

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Ifjlj様式等では区別した万がよ L、。

この数urrは凶分前. r台前先史文化と !WH~文化|

,iG載によった。

『詐族1調査報告,'}Jのツォウ族阿lH山掠ーには,人

体装飾について次の記載があるo

穿耳 男女子長シヲ三Jノ頃ニセレパ,父f:J:J王子ノ

耳宋ヲ採ミテ熱シ,木刺ヲ刺シテ孔ヲ穿チ,竹n-!.&

ハ糸和ヲはキ,傷口癒レバ飾ヲツクルナリ。

欠歯 男女卜三四才ノ t貞二行フ。]-.顎ノ第二ノ門歯

及犬歯ヲ抜クモノニシテ都合四枚ナリ o

( 1~1時)彼等兵フ。笑フ時ニハ (1 キ歯ノ問ニ亦キ古

見エテ美麗ナリト。又歯ヲ抜カザルハ犬猿ト Ii1Jジト

ムーフ。

除E 老人ハ額ノ毛ヲ抜キテ広クス。コレ顔ノ大ナ

ルハザjラシキ l牧ナリト。老若ノ別ナク一般ニ室議自w111毛ヲ抜ク o 婦女子ハ眉毛ヲ抜キテ網11クス。(111断)

彼答へテ fOlク。始メテ女ト交ハ lレ時相手二lなー巳ナキ

ニ己ニアルハ恥呼ノ極ナレパナリ卜。

今日では米食を主としつつ,ヂと粟が)Jllえられて

し、る。

『蕃族調査報告書』のアミ族奇密社lとは,調flU訟

について次の記載があるo

彼等M原ニ出デテ食事セントスルヤ,鍋釜ヲ用意セ

ズ,河原ニ火ヲ焚キ,其中ニ数多ノ!jイ-1ヲ入レテ共

二焼ク。其既ニ焼ケタルヲ見テ蹟榔皮ニ水卜塩ト魚

トヲ入レタルモノノ中ニ,彼ノ t新1ヲ入レテ魚ヲ煮

ルナリ o 文飯ヲ炊クニハ,竹筒ノ中ニ米ト水ヲ入レ

テ墜ク怜ヲ詰メ,ソヲ火上ニ掛ケ,米煮イテ美味ナ

ル飯ヲ得ルナリ。

-10ー

新たに開墾する時は, 予定地を少し刈払い,其夜

あるいは三イ主にわたって夢占いを{jう。 11t夢であれ

ば探伐開墾をするが, 1;>(1夢であれば他lこ移る。 11J夢

でも家政または隣家l乙不祥事件がめれば, 7 HII¥J冊

開-T111fLし 8日甘から始める。

アタヤル族が家屋を移転するのは次の場合でゐる。

家長を以内にJiH奔し,或は家自主ーでも数人を即jドして

余地がなくなった時,あるいはJ.TiY~1こ変死苫を出し

たIf与 'JJ:魂の化現として忌み嫌う毒蛇(亀穀{t,とい

う)が屋内l乙現われた時 疾病.f.l.傷その他不祥事

f!二が続出した時などである。

別の例として, r蕃族調査報{t;-gJから,ツォウ

族阿里山蕃の場合をあげておく。

入口ハ其大サ陪々アレド,高サノ二jミ幅〈尺-.、L 卜

ニ甲向日ナク屋根ニ達ス。多ク柿木ニテ作レル観庁間

ノ J~ ヲ用フレドモ,文茅或ハ竹ニテ編ミタル物ヲHl

フルアリ。(中略)四四ハ茅ヲ編ミタル簾ニテ開ヒ,

-.i1!或ハ二重ナルアリ。 11\入 ~1ハ表裏ノ外二尚ホ二

ケ所アリ。内ーケ所ハ常二開クルコトナシO 持テ「

ブヌンJ蕃ノ襲撃ヲ受ケタ Jレ時一度開ケシコ卜アリ

ト。他ハ女子ノ豚小尾ニ通フ口ニシテ,男ハ此r-lヨ

リ出入スルヲ忌ム。サレド未婚ノ男子ノ'tIH!l未断ノ

女子ニ通フハ此口ヨリス lレナリ。(rt'酪)周暗ニ沿

フテ茅ニテ作レ Jレ京アリ。内二毛布或ハfllH-Jlヲlltキ

テ寝具卜ス。寝台ハ径一寸位ノ竹ニテ馬形ヲ作,),

ソ 二ツ列べテ其|二ニ藤簾ヲ載セタルモノニシテ,

構造極メテ簡単ナリ。老若寝ス jレ二Jt宅ヲ異ニス。

主ニ入リ内ヨリ茅r-'Iヲ締ムレパ,外ヨリ|ド内j仔j珂部:げヲ

コ ト能ノハ¥ズズ、0