1)カキ=柿花の縁04-02-01 1 1 1)カキ=柿...

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花の縁 040201 1 1 1)カキ=柿 カキはカキノキ科の落葉高木で、食用のため広く栽培されている。原産地は中国、 朝鮮、日本といわれているが、最初は中国中部にあったものと思われる。幹は直立し 高さ 10m に及び、よく枝分かれする。葉は互生し長さは 1012cm の楕円形で、秋 には紅葉する。初夏、淡黄色の芳香の強い壺型の花を開き、蜜を多く分泌し、受粉は 虫媒花である。通常のものは雌雄同株であるが、中には両性花をつけるもの、雌花だけ をつけるもの、雄花だけをつけるものもあり、雌雄異株に見えることも多い。萼片は 4 枚で後に果実のヘタとなり、果実は径 510cm で、品種により形も大きさも異なる。 渋柿と甘柿があり、多肉質の液果は日本の代表的果実で、有史以前から栽培されて いたと思われ、古来より多くの文学や絵画などにも登場する。和名の由来は朝鮮語 の『kam』が変化したもの、 赤い実のなるところから『赤き』が転じたもの、『赤実』 が変化したものなど、さまざまな説がある。赤い果実はカロチン及びリコピンによる もので、発ガン性を抑える働きがあるといわれている。 学名は『Diospyros kaki 』で、 属名は「神々の食べ物」の意味で、命名者はツュンベリーである。イギリスやフランス を初め、他のヨーロッパ各国でも『kaki 』と呼ばれており、中国名も『柿』である。 中国では柿は古くから栽培され、今からおよそ 2500 年前の『礼記』 (ライキ) には その記載がある。また 6 世紀前半の農業書 『斉民要術』 (セイミンヨウジュツ)には、 接ぎ木による繁殖法も記されている。ヨーロッパへは 19 世紀に中国から、アメリカ や南米ブラジルには日本からもたらされ、今ではあちこちで栽培されている。 柿はなぜか『万葉集』には 1 首も見られない。このため日本に渡ってきたのは、 それ以後の時代とも考えられがちである。しかし日本人の姓名や謂れを記した 『新撰姓氏録』 ( シンセンショウジロク) によれば、柿ノ本人麻呂の姓の謂われは「家門 のところに柿の木があるため」と記されており、 当時から広く栽培されていたことが うかがえる。ところが『古事記』や『日本書紀』にも見ることができず、むしろ不思議 な気さえする。 916 年に成立した 『本草和名』 (ホンゾウワミョウ)には「加岐」として の記述が見えるが、935 年頃に成立した『倭名類聚鈔』には「賀岐」 と記されている。 また『延喜式』には干柿が作られ、宮中でも栽培されていたことが記されている。 当時は甘柿、渋柿の区別はなかったとみえて、また柿の量を計るのに、1 2 個で はなく、升で計っていたようで、実が現在のものよりずっと小さかったものと推測 される。鎌倉時代の中期に僧玄恵によって著わされた、庶民のための教科書である 『庭訓往来』( テイキンオウライ) によれば、甘柿を樹淡( キザワシ) 、木練( コネリ) など と呼び、渋柿を単に柿と呼んでいたらしい。室町時代になると柿と「稗柿」( ホシガキ) 「串柿」などが区別されるようになり、当時の書物である 『尺素往来』 ( セキソオウライ) には、その記述が見え、宮崎安貞の 『農業全書』にも「木練」(コネリ)「御所柿」など の品種名が見える。柿の中で古い品種として知られる「禅寺丸」 ( ゼンジマル) は、現在の

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花の縁 04-02-01

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1)カキ=柿 カキはカキノキ科の落葉高木で、食用のため広く栽培されている。原産地は中国、

朝鮮、日本といわれているが、最初は中国中部にあったものと思われる。幹は直立し

高さ 10m に及び、よく枝分かれする。葉は互生し長さは 10~12cm の楕円形で、秋

には紅葉する。初夏、淡黄色の芳香の強い壺型の花を開き、蜜を多く分泌し、受粉は

虫媒花である。通常のものは雌雄同株であるが、中には両性花をつけるもの、雌花だけ

をつけるもの、雄花だけをつけるものもあり、雌雄異株に見えることも多い。萼片は

4枚で後に果実のヘタとなり、果実は径5~10cmで、品種により形も大きさも異なる。

渋柿と甘柿があり、多肉質の液果は日本の代表的果実で、有史以前から栽培されて

いたと思われ、古来より多くの文学や絵画などにも登場する。和名の由来は朝鮮語

の『kam』が変化したもの、 赤い実のなるところから『赤き』が転じたもの、『赤実』

が変化したものなど、さまざまな説がある。赤い果実はカロチン及びリコピンによる

もので、発ガン性を抑える働きがあるといわれている。 学名は『Diospyros kaki』で、

属名は「神々の食べ物」の意味で、命名者はツュンベリーである。イギリスやフランス

を初め、他のヨーロッパ各国でも『kaki』と呼ばれており、中国名も『柿』である。

中国では柿は古くから栽培され、今からおよそ 2500 年前の『礼記』(ライキ)には

その記載がある。また 6 世紀前半の農業書『斉民要術』(セイミンヨウジュツ)には、

接ぎ木による繁殖法も記されている。ヨーロッパへは 19 世紀に中国から、アメリカ

や南米ブラジルには日本からもたらされ、今ではあちこちで栽培されている。

柿はなぜか『万葉集』には 1 首も見られない。このため日本に渡ってきたのは、

それ以後の時代とも考えられがちである。しかし日本人の姓名や謂れを記した

『新撰姓氏録』(シンセンショウジロク)によれば、柿ノ本人麻呂の姓の謂われは「家門

のところに柿の木があるため」と記されており、 当時から広く栽培されていたことが

うかがえる。ところが『古事記』や『日本書紀』にも見ることができず、むしろ不思議

な気さえする。916年に成立した『本草和名』(ホンゾウワミョウ)には「加岐」として

の記述が見えるが、935 年頃に成立した『倭名類聚鈔』には「賀岐」 と記されている。

また『延喜式』には干柿が作られ、宮中でも栽培されていたことが記されている。

当時は甘柿、渋柿の区別はなかったとみえて、また柿の量を計るのに、1 個 2 個で

はなく、升で計っていたようで、実が現在のものよりずっと小さかったものと推測

される。鎌倉時代の中期に僧玄恵によって著わされた、庶民のための教科書である

『庭訓往来』(テイキンオウライ)によれば、甘柿を樹淡(キザワシ)、木練(コネリ)など

と呼び、 渋柿を単に柿と呼んでいたらしい。室町時代になると柿と「稗柿」(ホシガキ)、

「串柿」などが区別されるようになり、当時の書物である『尺素往来』(セキソオウライ)

には、その記述が見え、宮崎安貞の『農業全書』にも「木練」(コネリ)「御所柿」など

の品種名が見える。柿の中で古い品種として知られる「禅寺丸」(ゼンジマル)は、現在の

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神奈川県川崎市柿生にある王禅寺の星宿山(セイシュクサン)蓮蔵院の再建に際し、偶然

山中から発見された種で、当初は王禅寺丸と呼ばれ、後に禅寺丸となった。

江戸時代になると、各藩では盛んに柿を栽培したようで、金沢藩の『加州物産志』

には御所、蜂屋、八平子(ハチヘイジ)、美濃、妙丹(ミョウタン)、円座(エンザ)など

の品種が記され、水戸藩の『御領内産物』では、御所、蜂屋、四ツ溝(ヨツミゾ)、

美濃、妙丹などの品種を栽培していたことを記している。今日栽培されている品種の

大半はこの頃すでに存在したと思われ、19 世紀初頭に記された『本草項目啓蒙』

(ホンゾウコウモクケイモウ)には、200 余品種があったと記している。現在の柿の

栽培品種は富有、次郎、平核無(ヒラタネナシ)、横野などで、大正時代の頃から沖縄と

北海道を除く各地で栽培されている。渋柿は福島、山形、新潟などで多く栽培され、

甘柿は福岡、岐阜、愛知、和歌山、奈良などが主な産地である。

柿の材は固く家具や器具などに用いられる。中でも材の黒色のものは黒柿といわれ、

黒檀の代用として珍重された。しかし柿の利用は材よりもむしろ薬として、多くの

効能を発揮してきたことだろう。柿にはカロチンが多く含まれ、利尿剤として用い

られる他、二日酔いにも効果があった。前述のリコピンは活性酸素を無害化させる

ことで、ガンの予防に結びつくと考えられている。ヘタを漢方では『柿蒂』(シテイ)

と呼び、吃逆(シャックリ)、夜尿症などに用いられ、干柿の白い粉を集めたものを

『柿霜餅』(シソウヘイ)と呼び、去痰、咳止めの薬となった。葉を乾燥させた柿の木

茶は、止血や血圧降下作用があり、柿渋はシモヤケに塗布されたばかりか、渋紙や

雨合羽にはなくてはならない材料で、防腐剤や塗料などに用いられ、染色に際しては、

色褪せを防止し、濃い染物を安定させて染め上げる働きがあった。

一方、柿は人間にとって身近で、しかも有益な植物であったから、さまざまな俗信

を生んだ。「柿の木から落ちると死ぬ」とか、柿を食べる夢を見ると病人が死ぬとか、

葬式があるなどといわれ、不吉なものへの予兆とされ、柿の木の下から妖怪が現わ

れるともいわれた。その一方で柿は特に古い時代には神聖視されており、盆や正月

の特別な食べ物とされてきた。多くの実がなることと、枝が折れやすいところから、

さまざまな伝承と結びついて、このような俗信となったのだろう。「柿の種を囲炉裏に

入れるな」という教えもあり、火にくべると歯や目にたたるといって忌まわれた。

この俗信は『柿は大事な木であるから、種子を蒔いて大切に苗を育てよ』という教え

の裏返しなのだろうか。『木守柿』(キマモリガキ)はよく熟した柿を、一つだけ取らず

に残しておく風習で、この柿がやがて翌年新しい命となり豊作をもたらすと考えられ

ていた。これは神への供物であり、また鳥たちへの思いやりでもあったのだが、

とかく柿は多くの実が成るところから豊饒と多産のシンボルとされ、新婚の夫婦が

初夜の床で、柿についての問答する習俗も見られる。『猿蟹合戦』や『茶栗柿』など

の昔話にも柿は登場し、それぞれ物語の重要な構成要素となっている。

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柿若葉とともに蕾がすっかり膨らんできた(埼玉県川口市)。柿は陽当たりと水はけの良い

大地と、多少の肥料さえあれば、誰が作ってもおいしい実が収穫できる。

柿の花を拡大してみるとこんな表情をしている(さいたま市浦和区)。

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柿若葉には新緑のミドリを超えた美しさがある(栃木県日光市)。

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野原にすっくと育った柿の木、朝日に新緑が映える(埼玉県上尾市)。

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熟した早生柿の果実、品種名は定かではない(埼玉県嵐山町)。

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熟した柿の果実(埼玉県深谷市)。

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柿は日本から世界へ広がったため、世界のあちこちで kaki と呼ばれている(さいたま市緑区)。

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昔は秋も深まる頃、こんな光景をよく目にしたものだが、今ではすっかり珍しくなってしまった。

これは前橋市郊外で見つけたものだが、ここの努力こそ群馬県人の誇りのような気がする。

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たわわに実った柿の果実(京都市嵯峨野)。

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群馬県高崎市倉渕町で見つけた柿の木。ここは小栗上野介の里でもある。

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盆栽仕立てにするロウヤガキ(栽培品)。

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実った柿の実の最後の一つを鳥に食べさせてあげる習慣は、今では昔の物語で、最近では人手

不足でせっかく実った柿の実も、そのまま鳥のご馳走になってしまうことが多い。 目次に戻る