「judoをする」から「柔道をつくる」へ...て認識していたため,彼にとって柔道とjudo...
TRANSCRIPT
はじめに
本翻訳は,Michaël Hilpronの博士論文
“De ‹faire du judo› à ‹faire judo›” の
“Introduction” の一部(P.17―24〈第3段落〉,
P.26〈第4段落〉―P.27〈第2段落〉,P.40〈第
5段落〉―P.42〈第3段落〉)と “Conclusion”
の一部(P.429―P.433〈第3段落〉,P.435〈第
7段落〉―P.436〈第1段落〉,P.437―P.439〈第
1段落〉,P.439〈第4段落〉―P.442)を抄訳
したものである。ページ数を考慮し,柔道に
関する論述以外はできるだけ省略をした。な
お,原著書の構成は以下の通りである。
Sommaire
Remerciemants P.3
Sommaire P.5
Prologue P.7
Introduction P.43
Partie 1. Le judo n’est pas un art
martial mais un sport! P.66
Partie 2. Faire un (des) judo(s) : les
翻 訳
「judo をする」から「柔道をつくる」へ
細 川 伸 二,ミカエル・エヴェイエ,正 木 嘉 美
From ‹do judo› to ‹make judo›
Shinji Hosokawa, Michaël Eveillé, Yoshimi Masaki
Abstract
The abridged translation consists of parts of the introduction and the conclusion
of the doctoral dissertation “De ‹faire du judo› à ‹faire judo›” written by Mr. Michaël
Hilpron.
From September 2004 to August 2005, Mr. Michaël Hilpron came to Tenri for
studying Japanese and judo as an exchange student. He strongly felt the
differences in culture, the different style and idea of judo between Tenri and
France. He researched what the ideals of judo were and wrote his doctoral
dissertation.
Judo is one of many martial arts that was created in Japan that became an
international sport. To the Japanese, the internationalization of judo is very
controversial, whether sticking to old traditional values, or modernizing with the
rest of the world. From looking at “De ‹faire du judo› à ‹faire judo›” leaders and
teachers of judo may be able to learn how we can internationalize and modernize
judo while not forgetting the values of Budo and what Jigoro Kano visioned.
天理大学体育学部 Faculty of Health, Budo & Sports Studies
天理大学学報233:79―97,2013
déclinaison locales P.169
Partie 3. Faire judo à l’échell des corps
: des sens dans l’action au sens de
l’action P.292
Épilogue P.413
Conclusion P.429
Glossaire P.443
Références bibliographiques P.451
Table des matières P.473
Table des illustrations P.477
Michaël Hilpronは,2004年9月から1年
間,天理大学とオルレアン大学の交換留学生
として来日し,天理大学において日本語と
judoを学んだ。カルチャーショックと共に,
天理での judoとフランスの judo実践や考え
方の違いに戸惑いを覚えながらも,彼なりに
「理想の judoとは」を追い求め研究した。
その研究結果をまとめあげたのが,今回の博
士論文となった。
Judoは国際化が著しい日本の武道であり,
現代まで,日本人の立場から様々な利点や問
題点が述べられてきている。今回,国際的な
視野に立ち,中でも世界で一番実践されてい
るフランス人の視点から,日本 judoと世界
judoを比較することは非常に興味深い。judo
の更なる発展を考える上で,また,judoの
みならず,日本のスポーツや文化が世界でど
うあるべきかの指針となるに違いない。
序 論
1964年オリンピック種目となった judoは,
現在ではほぼ世界中に普及した体重別のスポ
ーツで,今や選手・審判はプロ化されつつあ
る。国際柔道連盟(IJF)の加盟数は197ヶ
国におよび,最多加盟数のバレーボール(220),
陸上・バスケットボール(213),そしてサッ
カー(208)に次ぐ盛況ぶりである。
柔道(judo)から judo へ
まずは,今回の研究の主たる目的の一つで
ある,judoと柔道(judo)の違いについて
述べてみたい。柔道は1882年,教育を目的と
して嘉納治五郎によって創設されたものであ
るが,今日ではオリンピックをはじめ勝利を
目指すスポーツとして認識されている。この
柔道(judo)と judoのずれは,例えば「娯
楽的な運動が制度化・ルール化されてスポー
ツとして成立していった」1)ように,柔道が
いわゆるスポーツになった結果生じたもので
ある。柔道は,128年以上の歳月を経てルー
ル化やランク付けなど,違った活動(スポー
ツ)などのやり方を把握し,参照にしながら
社会的にスポーツとして認められるようにな
った。これらに関しては,この研究を通して
明らかにしていきたいが,judoに関しての
捉え方は,特に,個・組織・グループ・団
体・歴史など,立場や地位によっても変わる
であろう。
現在の judoは元々の柔道とは似ても似つ
かないものとなっている。ルールや技は変わ
り,実践に即した物質主義的文化となってし
まった。例えば,judo衣はより長く厚くな
り,畳はビニール製へと変化し,以来,道場
にはタイマー,電子体重計,筋力トレーニン
グ機器,またサウナなどが完備されるように
なった。
この judoと柔道,二つの相違は柔道のス
ポーツ化の過程において生じたものであるこ
とを理解しなくてはならない。Judoと柔道
は同じものと考えられている。その進展にお
いては,全く違った2つの過程をたどり,全
く違った状況の実践をしてきた。例えば,M.
Mazacは「現在の judoは,もはや柔道とは
全く異質のものである」2)と述べている。作
者の表現は,一世代前の judoが柔道だった
頃に憧れ,立ち返ることを望んでいるような
郷愁に満ちたものであり,純粋な本来の実践
を促すものであろう。また,M.Mazacは柔
道の起源として「侍の訓練や格闘技術との類
似点」3)を述べており,柔道を異国文化とし
「judoをする」から「柔道をつくる」へ80
て認識していたため,彼にとって柔道と judo
は全く違うものになってしまった。事実,現
在では実践 judoと日本古来の柔道の共通点
はほとんど見いだされない。
ここで,多くの文献で述べられている先入
観「judoは武術である」ということについ
ても分析してみたい。
M.Brousseは,「柔道は一つの武術である
が人生哲学でもある。世界中で紹介され成功
を収めた judoとは若干の距離を置きながら
も,発展の一途をたどっている。Judoは競
技スポーツとなり,教育の一環であり,引っ
込み思案の子ども達やガキ大将達によい影響
を与えた。同時に,大衆化され日本だけの秘
伝技術から世界のスポーツとなり,教育的ス
ポーツとして受け入れられた。神聖概念は俗
へ移行したのである。」4)と解説した。
M.Brousseは柔道のスポーツ化によって
もたらされた変容を当然のこととして力説し
ているが,judo,あるいは柔道が一つの武術
であるという捉え方は一考を要する。これに
対し,戦国時代(1487~1579)に誕生した柔
術は日本の戦士が「殺すか殺されるか」の戦
場で実戦伝承されてきたものであり,武術の
一つといえるだろう。柔道は,教育の一環と
して1882年に嘉納治五郎によって創設された。
実際に,その技術は日本武術の一つであり,
鎧甲冑,素手での戦闘で伝承された術に改良
を加えたものであった。しかしながら,柔道
は殺傷や生き残ることを目的としたものでは
なく,人間の肉体的,精神的,知的育成のた
めのものであった。「Judoは柔道を近代化し
たものであり,オリンピックスポーツである。
武術ではない。」5)
生きるか死ぬかの選択の必要性は柔道には
ない。いうまでもなく judoにも存在しない。
今日,試合での敗北は死を意味し,相手を殺
すことは「一本」に象徴される。「一本」は,
強烈で弾みのある投げ技で相手を完全にコン
トロールし,背中を確実に畳につけることで
ある。また,「一本」は勝利を意味し,即座
に勝負は終了する。
F.Champaultは,戦術について次のよう
に定義づけしている。「完全に納得のいく定
義ではないが,戦術という表現は,軍隊に固
有のもの,あるいは戦争と関連のあるもので
ある」6)。また,K.Min−Hoは,「道の使用
は,武術の伝統と近代化の特性の境界に位置
している」7)と述べており,やはり,柔道と
伝統的な日本武術(柔術)の間には明らかな
違いがある。柔術と柔道の違いは,殺傷術か
人生哲学かの違いである。更 に,J.F.
Hernandezは,「柔道の創設は昔の武術の戦
闘目的とは全く異なる」8)と強調している。
そして,Y.Cadotも「柔道は嘉納によって科
学的原理に基づいた,理にかなった方法とし
てあみ出されたものである」9)と示している。
これらの見地からも,柔道と judoを武術領
域と関連づけることが適切であるか否か,自
問すべきではないだろうか。柔道は武術では
ない。そして judoは更に武術とはかけ離れ
たものである。
個人的な経験を通して,様々な judo実践
と巡り会い,ここで,judoを特殊なものか
ら普遍のものへ民族誌学から人類学へ至る側
面から考えてみたい。民族誌学は,Lévi−
Strauss10)によって古典的に3段階(民族誌
学,民族学,人類学)に定義づけられた,民
族学調査の最初の段階と認識されており,事
実には3つの段階,つまり,異なるが相互に
関連する分析,人間学や様々な文化研究の3
つの分析によって成り立っている。
民族誌学は,「研究者の目的分野での活動
を意味し,研究者によって述べられ描写され
た事実である。一方,民族学は比較総論に帰
属しているとはいえ,伝統社会の学術研究で
ある」。11)人類学に関していえば,「人間と
細川・ミカエル・正木 81
Partage(分配,分割)の研究が中心とな
る」。12)そこで,ここでは,人間の統一性,
文化社会の多様性,そして各個人の特異性の
あいだの関係についての問題に取り組んでい
きたい。また,「人類学の研究とは人を人類
に結びつけている鎖の端を支えているこ
と」13)と F.Laplantineは述べている。
世界の judo実践に関していえば,多くの
相違点もあるが,同時に共通点も多く存在す
る。個人的に一人の judo家として天理大学
での judo実践はこれらを明確にした。天理
の judo家達からは,オルレアンからやって
来た judo家は西洋的であり,ヨーロッパ的,
フランス的(同様に様々な国々)judoで,
とりわけスポーツ judoをする選手とみなさ
れた。一方,オルレアンの judo家の視点で
は,日本の大学を代表する天理の judoスタ
イルが独特なものと感じられた。同様に,そ
のスタイルは天理の,日本 judoの,さらに
は極東の judoであった。
ここでは,嘉納が日本の伝統と西洋の近代
性の狭間で,柔道の概念を科学的な行動原理
や教育学・教育方法として,どのように形成
していったかについて考えてみたい。そして,
柔道が東洋的概念と西洋風的な教えと教育の
合理化の脈絡に位置しながら,どのように格
闘スポーツとなっていったのかについても述
べることとする。嘉納によって考案された柔
道の目的は,人間の知識的,道徳的,そして
肉体的形成であり,こうして得られた能力を
社会や人類へ役立てることができるとしてい
る。1882年の柔道誕生の過程と19世紀にイギ
リスでスポーツが創案された過程には類似点
が存在する。14)それは,暴力性と格闘技術を
ルールによって婉曲化したことである。嘉納
は,人を殺傷する実戦柔術を社会の幸福や人
格形成に貢献できることを目的とした全世界
的な実践柔道にしたのである。日本の伝統的
な実践と西洋の近代的な実践,日本文化と西
洋文化,その狭間にあって嘉納は時折,丸く
収め,両者と距離を置く必要があった。それ
ゆえ柔道は国際的に普及した。この点につい
て,フランス judo連盟は努めて柔道の原点
を思い起こさせる取り組みをしている。以下
はフランス judo連盟の見解である。
「柔道は教育の一環である。嘉納によって
創設された柔道は日本の伝統的な格闘技,柔
術の多種の技を基とし,攻撃防御の原理と実
践によって成り立っている。真摯的で長期に
渡る不断の実践は柔道の最も重要な本質と基
本原理の遵守へと導き,自律,自己抑制,他
を思いやる心,現実理解などへの到達を可能
ならしめる。これこそが柔道の教育的価値で
ある。Ju−doの doは表意文字「道」(歩み・
道・方法・手段・道を究めることなどを意味
する)である。」15)
この一文は,FFJDAが「Shin, éthique et
tradition dans l’enseignement du judo」16)
という題名の作品で柔道を紹介する方法を示
している。もし,この主張が柔道の定義とし
て的確であれば,やはり judoとはかけ離れ
たものとなるだろう。しかしながら,FFJDA
は故意に judoは柔道であると登録者に認識
させ続けている。
「実践者にとって,この本は judoの手引
き書と捉えられるだろう。我々はこの書物に
よって,judo憲章の価値を伝えたいと切望
している。即ち,judoの指導は,その創始
者の望むところである,judoの実践による
人格形成なのである。」17)
おそらく FFJDAは多少,異国情緒を誘い
文句にして実践者の勧誘を行うために故意に
judoと柔術の間に不明瞭さを保持しようと
しているのではないか。正真正銘の柔道実践
というのではなく,新たに登録者を増すこと
によって実践者層を厚くし,それが基盤をつ
「judoをする」から「柔道をつくる」へ82
くりスポーツ judoのレベルアップにつなげ
ることを目的としている。実際「judoは特
定文化に属する個人によって作られ,同様に,
ある文化グループに属する個人に向けられた
ものとみなすことができよう。そして,柔道
は文化的,社会的表象を持っているのであ
る。」18)
フランス judoは東洋に幻想を持つ大衆に
普及するために judoをシンプル化し,時に
は短くスピーディなものへと変えていった。
以下に例証を挙げるが,これはフランス初
の世界チャンピオン,現代の会長 Jean−Luc
Rougé19)の judo紹介文である。
「Judoはスポーツの実践とは異なる。柔
道の言語は,極東の文化の言語と同じく象徴
的である。シンプルであるが,大変豊かなも
のである。各々は judoを,生涯を通して異
なる方法でこうした象徴を解釈するであろう。
濃霧の中にいるように漠然としたこうしたシ
ンボルは,少しずつ晴れ,やがて他を思いや
る穏やかな道,全世界を救済する道が姿を現
すであろう。」20)
この談話は,judoを柔道,つまり教育の
一環であって,スポーツ実践ではないとして
紹介することで曖昧さを生じさせている。こ
こでは,judo,ひいてはスポーツに固有な教
育的側面を否定することが問題なのではない。
Judoに対して故意に保たれている秘められ
た部分(FFJDAの会長が述べた「漠然とし
たシンボル」「濃霧」)について明るみに出す
ことが大切なのではないか。
武術,人生術,スポーツ,モラルと体の教
育などを混ぜ合わせた紋切り型の表現や幻想
を育むこの曖昧な表現に決着を付けることは
重要であろう。つまり,国際規模で普及しオ
リンピック競技となり,現在では選手や審判
がプロ化されつつある judoはスポーツ実践
である。それに対して,柔道はスポーツ実践
ではない。そうしたことを理解することが大
切である。しかしながら,judo(スポーツ),
柔道(人生哲学),あるいは武術(柔術)な
ど,作為的な同一視を保ちながら,フランス
judo連盟は judo実践の異国情緒を養い,と
りわけ20世紀初頭に judoがフランスに根付
くことを可能にしたのである。そして同時に
judoは全世界に広がった。
Judo の多元性
L.Jeanne21)が空手について述べているこ
とにならっていえば,「日本が源であるから
といって柔道が日本的実践であることにはな
らない。」確かに,サッカーは英国生まれで
あるが今日では英国,マルセイユ,ナポリ,
あるいはトリノで見かけるサッカーとは全く
異なる形のサッカーをブラジル人はやってい
る。インドのクリケットについても同様のこ
とがいえる。22)フランスのテコンドーやオル
レアンの judoと天理の judoもしかりであ
る。23)
Judoは嘉納によって考案され世界に紹介
されたものであると考えられている。フラン
スにおいて judoは,各地で様々な形で受け
入れられ普及していった。特殊な状況のなか
で考案された judoは,いわば輸出向きだっ
た。24)
嘉納は,柔道とは世界的なスポーツである
と提案すると共に,自ら国際オリンピック委
員会の活動に加わり,柔道をオリンピック競
技へと導いていった。嘉納は教育者で外交手
腕に長けており,教育モデルや西洋スポーツ
をよく理解していたが,柔道のスポーツ化の
潜在的な結末については憂慮していた。25)今
日では,柔道は judoになるためスポーツ化
され,オリンピック競技となり,更にはプロ
化の領域に踏み込もうとしている。Judoを
スポーツとして分析するには,西洋をモデル
細川・ミカエル・正木 83
としてなされたその judoの制度やスポーツ
化に視線を向ける必要がある。
柔道から judoへのプロセスを理解するた
めに,ここで,G.Fouquetの指摘に注目し
たい。「Judoの独創性については,古来の実
戦形式と judoとの関連研究は必要ない。む
しろ,社会の進展を映し出すダイナミックな
構造の領域に属するものである。」26)また,J
−P.Warnierは,「供給の観点だけでなく需
要の観点も考慮に入れることが適切であ
る。」27)と指摘している。
今回の研究目的は,現場での実践を通して,
世界各地で実践されている judo発展のプロ
セスとその的確な描写と分析である。様々な
グループや実践者によっても異なるであろう
が,judoと国際的な実践(原型のモデル)
と,その関連についての研究を進めていきた
い。このことは,互いに密接な関係にあるス
ポーツ化と国際化の「働き(作用)」を通し
て示される。
Judoはダイナミックに国際化した一つの
事象である。A.Appaduraiは,「スポーツの
国際化とは,移動,テクノロジー,ファイナ
ンス,メディア,そしてイデオロギーの流れ
という観点に属するものである」28)と述べて
いる。S.Darbonは,スポーツの国際普及が
どのように英国帝国主義に役立ったかを明ら
かにした。また同様に,様々なスポーツ競技,
とりわけクリケット,ラグビー,そしてサッ
カーが大衆化されるためにどのように地域背
景に適合したのかについても示している。29)
Judoの発展は日本から他国へ行った一方向
性だけのものではなく,多様なグループが各
地域で独自に改良しながらも国際的な実践へ
と変えていったのである。例えば,体重別制
の採用や色帯システム,試合での青柔道衣着
用,あるいは国際化に影響を与えたサンボテ
クニックの大衆化などである。こうした西洋
の影響にならっていえば,国際化が judoと
柔術の実践を変えていると断言できる。30)
Judoを取り入れたグループや実践者達は,
社会文化的な環境や彼らの個人的な歴史背景
に応じて judoを専有のものとしていった。
彼らは judoを採用するにあたって彼ら独自
の judoへと変化させたのである。
Judoは,「様々な地域で適応していったこ
とにより国際化し発展した」。31)それ程に「国
際化は文化の均質性化の歴史ではない」32)こ
とが立証できる。
C.Pocielloはスポーツ文化を次のようなも
のとして定義している。「すなわち,スポー
ツ文化とは,特定のグループの固有の実践,
技術,価値のシステムであって,そのシステ
ムがそれらのグループに道理や動機を合理化
する必要もなく帰属意識を与え,自分たちが
他のグループとは違っていることを意識させ
るのに寄与している。」33)さらに C.Pociello
は,「スポーツ文化は一つではなく複数あ
る。」34)「社会グループの多様性,地域全体
の固有の有効性,ついには国内で最適化され
た特異性などから生じるスポーツ文化のはっ
きりとした識別を考慮に入れるために複数が
採用される」。35)
また,「もしも,一つの「スポーツ文化」
の普遍化傾向(競技の世界的な普及を通し
て)を書き留めるとしたら,同時に,各国の
異なる文化背景の中でスポーツを独自に適合
させていったプロセスの特性についても強調
すべきであろう」36)と述べている。
今回の研究は,民族学的な側面において,
P.Geslinが形容した「テクニックの民族
学」37)と似通っている。最初の概括段階では,
天理大学とフランス judo連盟拠点地のオル
レアンでの技術的実践の比較において,
Partage(共有・宿命)38)という問題提起(母
体)形成の類似点を明らかにした。
「judoをする」から「柔道をつくる」へ84
テクニックの民族学は,世界観,類縁関係,
及び居住地の規範,さらに政治団体など,一
つのグループの特殊な行動様式と,他のグル
ープの固有の行動様式の関連についての理解
をテーマとしている。様々なグループが実行
する同じタイプの行動テクニックを描写しな
がら,それらを比較することによって成り立
ち,テクニックの知識や技量を明白にしてい
る。39)
行動様式を考慮することは,物質文化の描
写と分析40)によるもので,天理での judoと
オルレアンの judoがそれである。その上,
プラクシオロジー41)のアプローチを用いて,
M.Foucault42)の研究からかなりの着想を得
た F.Hoarau43)の表現をかりれば,行動ネッ
トワーク44)としての judoの研究を進めたい。
それは次第に技量の形成および継承と,物質
的・運動的諸文化との関係への研究へと導い
てくれる。このような観点は,本研究の人類
学的および人間工学的側面を示している。異
なる文化を超越しながら,マルチニック,ブ
ラジル,オルレアン,日本,あるいは他の地
域に於いても,同様に全世界的に適用され賛
同される方法について,この研究を通して追
求していきたい。この観点からすれば,「買
い入れ国の特性に則した技術移転の改善のた
めの熟考と行動」を提案する人類科学技術45)
から着想を得ている。Judoの場合,当然「買
い手」国・グループは問題にならない。しか
し,この主張は需要供給のプロセスのように
judo普及を考えれば十分に納得できるもの
であろう。買い入れ国が,もはや問題ではな
く,取得あるいは受け入れグループが問題な
のである。
感覚と科学との対話:反省に基づく歩みから
筆者は,オルレアン大学体育学部において,
学術的なアプローチの利点について早くから
関心を持っていた。歴史は「柔道とは」につ
いて情報を与え,嘉納による創設から普及発
展の過程を教えてくれた。柔道の創設にとっ
て沃土の働きをした歴史的,政治的,社会文
化的な文脈を考慮に入れることは,judoと
なり国際化を可能ならしめたプロセスを理解
する糸口となる。
個人的,あるいは集団的な規模での,バイ
オメカニックス46),キネティク47),そしてプ
ラクシオロジー48)の分析は多くの judo実践
方法の理解を可能にする違ったアプローチで
あり,それらは judo家が技を磨くにつれ,
動きを形成し適合させて自分の技術に取り込
むことである。49)
しかし,これらのアプローチは行動運動学
の分析には役立ったが,運動を機械論的に単
純化したアプローチ形成への貢献のみであり,
人文科学に開かれることなしには解明できな
いだろう。
Judoの研究,これは同様に,judo家,物
質文化,現場(場所),相手となる人々等と
共に,技を通して共有される身体と感覚の大
切さを連想させる。そこから,これらの学問
を社会人類学方法に取り組む必要が生じるの
である。
身体行動の描写
Judo家にとって重要な到達点は,反復に
よって瞬時に技に入る「動きの合体」である。
いわゆる,瞬時に投げ技に入る時間とタイミ
ングが問題なのである。しかし,長期に渡る
練習によってのみ,これらの動きを身につけ
ることができるのである。適切な実践の中で
選手達は効果的に体に覚えさせ,少しずつオ
ートマティクな動作を可能にするのである。
これは,比較的ゆっくりとしたプロセスであ
り,S.Faureがダンスについて述べた体の動
きの習得と似通っている。50)これらは,judo
実践を通して,塵が積もってできる山のよう
に,少しずつ,少しずつ養われるのである。
スポーツシーズンやオリンピックにつながる
細川・ミカエル・正木 85
準備,ひいては人生的規模,一瞬の行為で展
開する実践についてなど,このような時間性
の幅は,歴史的時間についての F.Braudel
の観点を想起させる。51)
Judoの試合では,強烈な投げ技は一秒以
内で決まる。エキスパートになればさらに短
縮される。ハイレベルでは「一本」が決まっ
たとき,投げられた judo家は技の勢いによ
って文字通り「刈り取られる」。Judoでは立
技と寝技があり,その両技術に「一本」が存
在する。寝技は立技とは全く異なる技術であ
り,マットに接触した体の表面積がはるかに
重要である。相手のコントロール方法も違う。
(例えば,相手の体をコントロールするため
に脚を使うことや,judo衣は相手の腕をコ
ントロールするために巻き付けて使えるな
ど)どちらの技術がより効果的であるかの判
断はできない。しかし,「一本」はいつも正
確で効果的な技術に与えられる。寝技におい
て「一本」を取るためには25秒間抑え込む,
あるいは絞技や関節技で相手に「参った」を
させる必要がある。これらの技術は立技より
も長時間に渡り,とりわけ感覚的にもかなり
の違いがある。
「一本」は効果的で正しい技に与えられる。
「一本」はそれ自体一つの目的ではなく,む
しろ選手が良い道に向かって進歩している事
実を明瞭に示すものである。実際,judo家
は技術の反復練習をたゆまずに行い,休むこ
となくオートマティクに技に入れる練習をし
ながら感覚を磨いている。
完璧な「一本」は理想であり誰もが求めて
いる。筆者は実践においてある意味「一本」
を目指してきたが,どこか「気が触れるよう
な幻想」も必要であった。空想的な探求,野
兎を追う,それも一番美しい野兎,パーフェ
クト,しかし,そこには至らない等々。また
誠心誠意実践すれば完璧になれるのではない
か,その能力を身につければ,一番ではない
かもしれないがそれでも美しい野兎を捕まえ,
それはまた,他の分野にも活かせるのではな
いか,等々。パーフェクトを目指す試みはま
だ到達できないが,実践者は最終の完璧さ,
最良の有効手段,すなわち効能を求めて取り
組んでいる。
嘉納は動きの中で相手の力を利用したエネ
ルギーの使い方で効率性を高めるため,心(モ
ラルの価値)・技(テクニックの価値)そし
て体(肉体の価値)を活用させることを説い
た。この理論は,Maussの哲学概念(総合
的な人間:肉体,精神,社会性)と似通って
いる。52)その目的達成にはかなりの時間を要
す(難しく一瞬の動きであり,そのためには
長期の練習が必要)。練習は終わりなきプロ
セス,自分自身との戦いであり,動作を繰り
返すことによって,それを精神と体に覚えさ
せ,身体が正確に反応できるようになる。53)
人類学者の J.Candau54)と O.Wathelet55)は,
彼らの研究である感覚的技量を明らかにする
ため,言語に基づいた方法を利用している。
例えば,感覚的技量の伝達に関して,言語的
特性を明らかにしている。この論文において
感覚的技量への到達手段は,言語に基づいた
ものではなく,judoという運動性である。
畳の上での実践を描写することは,ある意味
言葉では説明しがたいものである。これは,
実際の行動によってのみ表現できるものであ
り,実践感覚によって到達できるものなので
ある。
Judo家であることが実践感覚による技術
習得方法を実施するための一つの恵まれた機
会であった。なぜなら,judoの身体実践は
言語に置き換えられるものだったからである。
Judo実践により言及されない場所へも近づ
けた。しかしながら,judo家としてのみの
研究には欠点もあり,judo実践のみでは理
解できない言葉による表現の必要性も感じた。
「judoをする」から「柔道をつくる」へ86
トップレベルの judo家として,自分は judo
家の育成プロセスのメカニズムを意識してい
なかった。なぜなら,すでに,そうしたメカ
ニズムと一体になっていたからである。自分
は,そうしたメカニズムの結果であったので
ある。
結 論
結論では,次の2点について述べたい。1)
今回の研究の主たる結果を明らかにする。
2)この研究の人間工学的な観点,とりわけ
教育的な見地を明らかにする。
もし,認識論的な面で,オルレアンと天理
での judo実践や経験が,習得方法や指導法
を考証し比較できるならば,今後の judo指
導の妥当性や改良の可能性を模索する上に役
立つだろう。同様に,人間工学的な理論によ
る最適の手段は何かという観点からみても,
judoの現場での実践分析は重要となるに違
いない。
フランスにおける人間工学は,健康および
安全性とパフォーマンスの両立を目指した専
門的な活動の進展を助けることなど,その目
的によって特徴付けられる。56)従って,変革
はその活動の分析から奨励され,全ての状況
側面に関与する。「概念の認識論」57)は,研
究の変革を示唆するものの,社会的,文化的
な側面は人間工学としての一面を占有するも
のではない。58)そこで,実際の組織的,文化
的,社会的変革がどのようなものかを理解す
ることを提案したい。それが,judoの習得
や改善の手助けとなることを望んでいる。
今回の研究は,嘉納が入念に作り上げた総
括柔道論を更にフランスの立場から述べるも
のであり,最終的に彼の努力にもかかわらず,
柔道が judoへ変化したその過程を解明する
ものである。また,競技としての judoの比
較は,即ち,天理とオルレアンでの実践がど
のように judo家を育てるかの過程を明らか
にすることである。Judo場では絶対に継承
していかなければならない技と,形に拘らな
いフォームの二つが judoを形成している。
(マトリックス共有)
現場での観察と経験がより judoの理論的
解釈へと導き,人間工学の観点からの考察へ
と発展した。それは,天理とオルレアンの
judo指導や稽古の更なる進化へと繋がるだ
ろう。例えば,フランスでは一見合理的に見
える組織化された初心者指導は,生徒を枠に
はめてしまう。一方,天理での自らの考えだ
けでの習得は放任となってしまうだろう。し
かし,この両極端の二つの実践が,実は個性
にあった judo構築に繋がるのではないだろ
うか。
伝承とは,技術的なものと同様に,精神的
で倫理的なものである。先人は,価値あるシ
ステムを後世に残し継承していく機会を与え
た。伝承は,また同時に,テクニック・文化・
社会・道徳などの再構築の過程である。伝統
は時代の変革を阻止する盾となるものである
が,しかしながら,単なる遺産の防御ではな
い。それは,何世紀にも渡って広げられた広
大な網目をフィットさせるようなものであり,
新しい歩みを現実にするものである。その不
変性と変動性,反復性と創造性,これら二元
性の judoの哲学としての特徴をより鮮明に
再発見するものである。59)
この観点から,J−P.Resweberによって提
案され理論付けされた新しい教育学60)に沿っ
て新しい指導を提案してみたい。それは,師
弟と弟子という伝統的な縦の関係を断ち切り,
指導者がより生徒と親近感を持つことである。
その場合,指導者は生徒とは繋がりのない外
部の観察者ではなく,絶えずそのグループで
judoを指導し,共に行動している者である。
この指導概念は,先に明確に述べた定義と共
に「先生」に適切なガイドとしての役割を再
細川・ミカエル・正木 87
び与えるものとなり得るだろう。指導者は,
指導者として振る舞うのではなく,指導しな
がらも絶えず学ぶ姿勢が必要であろう。それ
が指導者として一番肝心なのである。
二番目に,最も望ましい judoの習得に関
して述べたい。面白味のある指導によって新
たに魅力的な見地を開拓できるのではないだ
ろうか。指導者は,生徒達に興味を持たせる
ことが重要であり,モチベーションと存在感
を生徒に示すことも大切である。この観点は,
「生徒が興味をもてば,積極的に同じグルー
プに属する」61)ということである。
これは,指導者に先決すべき文化教育の推
進役となることを要求するものであり,生徒
達に目標への指標や環境,参考となるもの等
を与えることである。なぜなら,興味は,た
だ単に,外部の文化世界への入口を示すだけ
ではなく,最初にその文化を受け入れること
により,類似世界の創造へと導くものである
からである。(中略)これらは,「我々は目覚
めて新しい文化を生み出すようなものであ
る」。62)
この概念は J−P.Resweberが主張する「目
覚めの教育」であろう。同時に,未完成のプ
ロセスや状態を示す特殊性をも含んでいる。
「指導者は指導によって自らも学ぶ」63)を意
味する。習う事と教える事は,まったく違う
関係にあるのではなく,指導者は生徒に近づ
くことによって相互作用が働き,お互いに実
践しながら関係を深めていく生徒でもある。
この知覚的な交流を通して,指導者は実践
経験を生み,それが他の生徒達も目覚めさせ
る。ゆえに,「先生は目覚めさせる人」であ
り,目覚めさせることは,「自分の持ってい
るものを全てみせて習わせることではなく,
生徒が目覚めて自分のものとしていくことで
ある」。64)
ここでは,新たなテクニック習得を最適化
するために,judoの律動的な指導法を提案
したい。ミュージックは,いろいろな動作の
獲得を簡素化する。子供達は童歌でアルファ
ベットを覚える。また,詩よりもシャンソン
の方が記憶にとどめやすい。九九はよく音楽
のように暗唱される。H.Lamourは,「律動
学は人類の動作を左右し,それはサイバネテ
ィクスや情報理論,情報科学,あるいはバイ
オメカニックスなどとも同等である」65)と述
べている。
言い換えれば,体育の領域では,自覚する
肉体の限界と,科学的理論の間のずれを少な
くする役割がある。自由に扱える体,それは,
反復し習得する高度の能力を与えられ,後に
最高の創造力獲得の唯一の可能性となるので
ある。66)
よりよい指導法とは,結局,エキスパート
の静なる指導法にふれ,まずは行動の前に,
言葉での説明を聞きながら,それを消化し行
動に移すことが肝腎なのではないだろうか。
日本で伝統的に実践されている,経験に基づ
いた指導と,フランスの合理的で,よりオー
ガナイズ化された指導とを両立させることが
重要なのである。67)
新たなアイデアは,二つの理論の中での指
導であり,天理の「不在」とフランスの「過
説明」との間での妥協点を見つけることであ
る。「何も言わないこと」は選手を自分自身
で成長させることにつながり,テクニックを
効果的に習得する方法を模索し,集中できる。
しかしながら,しかるべき結果への到着のた
めには,時間と投資が必要であり,それは多
くの選手のやる気をなくしてしまうだろう。
対して,「言い過ぎ」は動作をぎくしゃくさ
せ,分析しすぎてしまい,動きの感覚的な習
得を妨げる。行き過ぎの合理主義は動作を現
実離れさせる。初心者は,教えられたフォー
ムの反復のみにとどまり,当然,与えられた
「judoをする」から「柔道をつくる」へ88
テクニック自体の効果性を知るよしもなく,
技術の知覚と感覚での段階的習得が懸念され
る。
目的は生徒を導くことであり,難しいこと
であっても習得へと努力させることである。
しかしながら,次々と進むべき道を指示する
ナビゲーションのように案内するのが重要な
のではなく,あたかも初心者が上級者へとな
っていく唯一の道であるかのように初心者を
レールに乗せて,進むべき道を通らせること
ではない。このアイデアは,むしろ,指導を
構成する道程と考えることができよう。例え
ば,二つの大陸をつなぐような空間,その空
間とは新参者には自由に見いだせる道であり,
自分自身で作れる道程であり,さまよいや迷
いのない,自分の進路の建設のためのものな
のである。
指導者の導きとは,もはや,常に声を掛け
指導することではなく,むしろ時宜を得た指
導により障害物を避けるために,最良の方向
を指し示す行いなのではないだろうか。とり
わけ,体を使った専門知識の伝達だろう。こ
れこそ理想とする指導法であり,実践を志し
たいものである。この観点からいって,生徒
は習得段階で正に活動的になる。決して先生
の知識を摂取するのではなく,自分自身で自
分の知識を広げていくのである。その上,日
本では「先生を待って習うのではなく,先生
を注意深く観察し,技を盗み,習得するので
ある」68)といわれている。「なぜなら我々は,
まず不可思議なしぐさを見て,それを真似し,
しかし,それでもなし得ないこともある(中
略)。『模範を真似ることは,指導者の威厳あ
る情的行いによる』69)と強調したM.Mauss
の意見はもっともである。しかし,効果的に
習得するためには,時間と失敗が必要であり,
理論的に自分のものとするためには,更に工
夫が必要である」。70)
生徒への動機付けを最適化するために提案
したい指導法は,遊戯活動と結びついたもの
を取り入れ,理論的知識と自分で実践しよう
とする精神,パーソナリティの側面を開拓す
ることではないだろうか。それは,フランス
において幅広く実践されている形態論的な指
導法とは別の新たな方法を紹介することであ
る。日本式とフランス式の実践比較全てで,
それぞれの独自性を持った指導法と練習法が
あり,それを分析することは最良の指導法を
見いだすきっかけとなるのではないだろうか。
また,各地での異なる judo実践は,指導法
の多元性を露わにし,それは更に,最良の方
法を模索することにもつながるだろう。従っ
て,もはや日本式方法を模倣することよりも,
judoの文化や個性に合った特殊性を理解し
ながら実践することが望ましいと考える。
そこで,ミュージックやダンスのような特
殊文化の要素による,一貫して伝承されてい
るテレシネティク(ミュージックやリズムを
使って体を動かせる)の指導法を推奨したい。
これにより,動作の感覚的習得と創造力を同
時に発展させていけるのではないだろうか。
例えば,ダミエ71)(カポエラのようなミュー
ジックとダンスを使ったマルチニックの武
術)や太鼓のリズムなどを使うという judo
実践はどうだろうか。それは,人為構造文化
が最良の judo習得を可能にするマルチニッ
クの特殊性であり,一考に値する。ダミエを
理解することは judoのみならず各方面で素
晴らしいパワーを引き出すだろう。
技術の転移のために
A.Wisner72)と P.Geslin73)によって発展さ
れた人間工学テクノロジーのように,実際に,
あるグループが実践し取り入れた日本流の
judo習得方法について述べてみたい。同様
に,マルチニックの judoのためにも,ダミ
エと太鼓の利用がテクニックと一本習得の最
良の方法ではないかという仮定にもふれてお
きたい。(もちろん,この方法は真摯にテス
トされたわけではない)
細川・ミカエル・正木 89
ダミエは,ラジャ74)とかラギャ75)とも呼ば
れ伝統的なマルチニックの格闘技術である。
チブワ76)によって演奏され,歌い手とその伴
奏者は公衆と輪になりながら,ミュージック
やいろいろな太鼓(タンブイエ76))によって
演奏される)に合わせて行われる。ダミエは,
クレオル語77)ではマジョ78)と呼ばれる闘士た
ちによって,奴隷時代に20世紀初頭まで盛ん
に行われた。
ダミエは非常に激しい格闘技であり,スピ
ードとしなやかさはパワーをも上回る。太鼓
による格闘(策略)を知ることは非常に効果
的である。時として,村で守護聖人祭のとき
によく披露された。しかし,本来は,マング
ローブの下や熱帯草原で行われ,黒人社会だ
けのものであった。79)
そこで,ダミエを judoの練習に取り入れ
る方法はどうだろうか。力強い太鼓のリズム
と,一方では音楽による刺激,活気,力,元
気,これらは,考えて行うというよりは身体
感覚的な学習であり,動作とそれを創造して
いく過程をスムーズにするのではないだろう
か。80) その上,ダミエがもつ論理は judo
と類似している。さらに,judoの概念とも
似通っている。
実際,ダミエは攻撃・反撃を備えたルール
のある競技であり,また,ミュージックやリ
ズムによって平衡感覚を保ったりくずしたり
できるのだ。
一流になるためには,体の平衡感覚と相手
のくずしの完璧な習得が必要である。そのた
めには柔軟な動きが必要とされるし,動きの
中での練習は,多かれ少なかれ,常にくずし
の練習となっている。81)
地面での動きとリズムに関しては,judo
家はダミエから多くのヒントを得ることがで
きるだろう。現在の judoは,組み手にあま
りにも拘りすぎている感がある。確かに,運
動学の観点からいえば,最初の動作が大切で
あり,相手を制し自分の技を掛けるためには
組み手が重要であろう。しかし,組み手は相
手の軸足や主となる構え,または,動きを制
御するためのものではない。エキスパートの
ダミエは,正に前後左右に驚くほど滑らかな
動きをする。そして,ダミエ家達の組み手争
いは,リズムやフェイントによって間合いを
詰めたり,取ったりしている。
筆者は個人的に judo家とダミエ家,J−M.
Collatin・Lassoro82)の息子と交流を持った。
彼は judoの習得にダミエを用いる計画に大
変興味を示してくれた。また,この提案は彼
にとっても意義深いものであり,judoとダ
ミエの関係についての科学的実験と考察のグ
ループを結成してくれた。ただ,ダミエを継
承し独占したいという伝統文化団体からのク
レームもあり,容易に実験開始とはならなか
ったし,フランスとマルチニックが遠距離に
あり,それが大きな妨げとなったことは事実
である。しかし,年配の実践者達は,「ダミ
エは,もはや古き時代のものとは異なってい
る」と認識しており,できれば若い実践者の
発掘のためにもという思いから,筆者の提案
を受け入れてくれた。大変な快挙であった。
筆者が出会った全てのマジョは,戦う時に
太鼓のリズムの大切さを強調した。それは,
安定したフォームと動作時の動きや移動を決
定づける「自由さ」だという。太鼓の音に合
わせることにより,選手はリズミカルに動け
るようになり,試合を有利に進める。選手達
は,タンブイエ(太鼓の演奏者)に合わせて
演奏者や観衆が取り囲むサークルの世界へ入
る。太鼓のリズムは非常に魅力的であり,し
ばしば,選手達は「janbé la kréasyon」83)(極
限のゾーンの世界へ入ること)ができる。
これは,太鼓効果による,リズムと音によ
って体が反応する中枢神経システムに特異な
「judoをする」から「柔道をつくる」へ90
効果をもたらすという,神経生理学理論を根
拠としている。しかし,G.Rouget84)のこの
理論は世間一般で認められている理論である
とはいいがたい。もしそうであるなら,アフ
リカに住む半数の民族は年間を通して「ゾー
ン状態」になっているだろう。85)それでも,
民族音楽学は,太鼓の音は観客の動作にもか
なりのインパクトを与えると強調してい
る。86)
とりわけ,リズムによる刺激が情動的要素
を煽り立てる。実際,ミュージックのリズム
は重要な動作の調和を導き出し,体や感覚に
直接働きかける。そういう意味で,ダミエの
太鼓とミュージックのリズムは実践者の満足
感を形づくり,また,素晴らしいパフォーマ
ンスへの潜在力を秘めている。
試合の結果か,それとも喜びか
マルチニックにおけるダミエ実践者,特に
エキスパートの証言から,実践の中で選手達
が主観的な満足に到達することが肝腎だとい
う発想を得た。これは,A.Kleinも述べてい
る「judoに対する自分自身の想い」87)とし
て,であり,それを自覚することにより良い
パフォーマンスを生みだし,judo家の試合
時での過緊張を緩和し,最初の障害を乗り越
えられるのではないだろうか。
嘉納は,「他に勝つことのみに拘らない」
ことの大切さを力説した。大切なことは「自
分に克つこと」である。この見解は,ただ効
果的で実践的な judoを目指すというより,
理想の柔道家養成を促している。チャンピオ
ンスポーツとなった現在でさえ,人格形成と
潜在能力の発展実現を考慮しながら,絶え間
ない練習によって勝利への執着とパフォーマ
ンスを生み出してきた。
Judo家に,「試合では他との戦いの前に自
分との戦いがある」88)ということを叩き込む
ことによって,選手はよりよく己を知り,更
に己を改良し,その上で相手を上回ろうとい
う気持ちにさせるのかも知れない。「敵に勝
つことを覚える前に,まずは自分に勝ことを
学べ」89)この見解では,もはや試合は「自分
の終わり」ではなく,judo家形成のプロセ
スの一段階なのである。道(do)の概念は,
全ての意味において,人生の歩むべき道程の
中での実践を特定するものなのではないだろ
うか。それは,決して試合の成績によるもの
ではない。長期間に渡る練習が必要であり,
それは,パフォーマンスの前にテクニックを
習得する段階を通して,理想的な judo家を
育成していくことを可能ならしめる。
このような観点は,免れがたい肉体能力に
傾向しがちではあるけれども,年令や怪我と
共にテクニックの習得について再考を促し,
それが効果的であるか否かの問題提起へとつ
ながる。
「Judo をする」から「柔道をつくる」へ
筆者は,2007.8.13に瀕死に陥る事故に見
舞われた。その後,8ヶ月のリハビリを終え,
ようやく復帰。2008.5にはフランス北西部ゾ
ーン大会で決勝まで進んだ。この体験によっ
て,judoに対する新たな発想と能力を得る
ことができた。
実際に,怪我から復帰に至る期間に,自分
に相応しい judoで必要とされる,パワー・
速さ・持久力・柔軟性などを決定づける要因
に更なる関心を深め,それ以外に,何が鍵に
なるかを模索した。「相手に適応し,相手を
利用する」ことや,状況判断が重要となると
考えられる。従って,相手の動作に適応し好
機を捉え行動することや,時には自ら好機を
作り上げ,また好機を呼び起こすことも必要
であり,これらの要素の連結が大切であろ
う。90)
細川・ミカエル・正木 91
同様に,よく使われる,際だった巧妙さ
(技)と,目には見えない巧さ(戦術)が大
切であり,実際の行動に移すか否かは,その
時の状況次第である。91)これらは judo習得
の初歩段階から,効果的に指導していくこと
が大切であり,最初は相手と共に動きながら
感覚を養い,それから相手の動きに対して自
分はどう反応するかを感覚で覚えることであ
る。それゆえ,ただ単に相手を投げることが
重要なのではなく,投げるために自分をどう
生かすかが鍵となる。
実践の質に重きを置いた練習では,judo
習得と練習の目標は,いうまでもなく試合成
績である。しかし,好成績にどのように到達
するかという点も興味深いところである。従
って,練習では各 judo家の潜在力と主体性
を考慮に入れ,各々の最良の方法で潜在力を
発展させることが重要となる。客観的に与え
られた目的への到達ではなく,自己の可能性
の発展が大切なのである。だからといって,
「一人の生徒」に対しての個別指導を推奨す
るわけではなく,集団の中にあって,全体へ
命令し改善を促すことが必要である。この方
法により,生徒達はある面で,指導者達の指
導を受け,また一方では,自我を抑制し,グ
ループに溶け込むことを覚える。他との関係
の中での行動という,集団の中で自我を抑え
ながら,自己を作りあげていくということな
のであろう。
1980年代に,勝つことよりも「素晴らしい
パフォーマンス」が大切であるという考え方
が出現した。これについて,A.Ehrenberg
は「成績のみを追求することの崩壊によ
る」92)と述べている。それまで,スポーツマ
ンやチャンピオンは成功者であり,スポーツ
は,個人の自律と責任感の形成に大きく役立
つとみなされていた。ところが,「スポーツ
マンは知識のない,労働者階級の支配者であ
り,脳は筋肉」的な考えと,時代とともに高
まる個性化により,「成績よりもパフォーマ
ンスが重要」という考え方へと転換現象が生
じた。しかし,現実は個人の弱体化への悪循
環となった。93)
「自分の能力を高める,例えば,自分をコ
ントロールすることは,全て当事者に戻って
く る」。こ の 発 想 は,D.Fassin94)と D.
Memmi95)(2004)の共著や Elias96)らが指摘
している「自己統治に関する Foucaultの分
析」から得たものである。今日の情報社会で
は,幸せになるための絶え間ないメッセージ
が次々と発信され,「食べて動き,1日に5
つのフルーツと野菜を取り(後略)」など,
プライベートな部分にも溢れるほどの情報が
ある。97)もちろん,これらの情報によって
我々は幸福へ近づけるかもしれない。たとえ
叶わなくともそれは自分の責任かもしれない。
しかし,これらの情報に依存しすぎること
は弱い自己を形成しているようなものである。
V.Châtel98)& M−H.Soulet99)は,脆い状況
下で習得されたパフォーマンスの影響につい
て研究している。「脆さは極度の自信喪失の
結果である」と述べている。100)Judoに関し
ていえば,選手達は敗北によって自信を喪失
し,それが繰り返されることによって更に弱
い個人を作ってしまう。「自信喪失は更に弱
い人間を作る。」101)
Judoのナショナルチームにおける組織化
の論理や構造の働きは全世界でよく似通って
いる。その制度は,選手達が成功者となるた
めに,全ての手段を提供しているものの,も
しも選手達がメダルを獲得できなかったり,
好成績を残せなかった場合には,責任は選手
にあり,評価を落とし,ひいてはそのグルー
プから追放されることもありえる。M−H.
Souletは,成功への手段を数多く持ちなが
ら,最終的に失敗したときは,本人の責任,
これこそが「脆さ」なのだと述べている。102)
「judoをする」から「柔道をつくる」へ92
最も大切な日に最高のパフォーマンスをす
るために,選手は自分自身の動けるリズムに
よって動き,攻撃し,その場に相応しい judo
をつくることが必要である。これにより,自
分の judoはむろんのこと,相手の judoを感
じとることができるに違いない。ところが,
最大の敵が現れた時,試合独特のストレスが
押し寄せ,更に敵がこちらを観察し研究して
いるのではないか,などと極度な不安に襲わ
れる。トップ選手であればあるほど,エリー
トでレベルが高ければ尚更であり,そこに懸
ける意気込みは益々高くなる。選手達からそ
れらの計り知れないプレッシャーを取り除く
ことが重要であるが,しかし,まずは自分自
身で越えなければならないことを自覚させな
ければならないだろう。
嘉納は「敵に勝つ前に自分に克て」という
ことを力説した。これが一番重要であって,
他は自分の進歩のためのものである。「Judo
家には,他との戦いの前に自分との戦いがあ
る」103)が,勝利を目指すことは自分を変え
ていくことであり,限界を突き破ることであ
る。そして何より他より優れたいという欲求
がある。嘉納は柔道を通して「精力善用」と
幸福感について説き続けた。104)この観点か
らも試合だけが judoではないし,個人の形
成にはつながらない。ただ単に judo形成の
プロセスに過ぎないといえる。「道」の概念
とは,従って「己」の意味なのだろうか。
謝 辞
平成23年度天理大学学術研究助成「建学の
精神」により,平成24年1月11日(水)にオ
ルレアン大学で開催されましたMichaël
Hilpron氏の学位論文の公開口述審査に参加
させていただきました。
また,本抄訳作成に当たりましては,多く
の先生方に多大なるご助言をいただきました。
皆様方に厚くお礼申し上げます。
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