地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町)...

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☆ 泉 重左衛門の石像(梁瀬)

庄屋であった泉氏は北須川の下流に堰(現

猫啼堰)をつくり(県知事に奉願書)、水不足に

貢献した。猫啼に建立(石工、小林和平)され

たが、後に王子八幡神社に移された。

(A.太楽さん)

☆ 花崗岩の巨石(母畑字長石田)

約 10m の花崗岩の巨石。この石が字名と

なっている。石が重なりあって迷路のように

なり、夏でも冷風が吹き抜けたとのこと。現

在は危険防止のため、入り口は塞いである。

(T.中田さん)

☆ 大山津見神社(松木下)

石川バイパスの開通によって現在地に移

された。祭神は「大山祇命」。祭日は旧暦3

月9日。神社は 猫啼地区の氏子により管理、

保存されている。 (H.丹内さん)

☆ 間知石の石垣(当町)

町道 102号線(通称、循環道路)の両側の側

溝を挟んで長さ 300mに渡り、高 0.5~4.0m

の日本独特の石垣用材である間石の石垣が

ある。昭和 30年頃に作られたもので当時の

石工の技術の高さが偲ばれる。(K.小林さん)

石川自治センターでは、平成22年度から、先人が守り育ててきた石川町の自然・歴史・文

化などの資源を実地に学び、身近なところから見つめ直すとともに、地域の案内人の育成と地

域の活性化をはかることを目的として「地元学講座」を開催しております。

その中で、「地域の宝探し」と題して講座生の方々に、これまで見過ごされてきた(あまり紹介

されていない)「お宝」を募ってまいりました。これまで挙がっているお宝についてご紹介しま

す(あいうえお順、文の末尾の()内はカードの記入者)。

地域の宝探し(調査カードより)

☆ 古民家(中田字矢造)

明治6~7年頃の建築で、築 140年位の

大きな屋敷である。昔のままの土間や囲炉裏、

広々とした座敷、昔からの障子戸や帯戸、奥

座敷には上段の間と呼ばれる書院造りの部

屋があり、障子戸や欄間に施された細工は一

段と華やかで豪華である。 (K.瀬谷さん)

☆ 御神馬像(南町)

この像は、日清戦争に軍馬として徴用され

戦没した当地方の農耕馬や運送馬を慰霊す

るため、明治 30年 11月に南町の有志が建

立したものである(石工は浅川町出小松寅

吉)。 (M.近内さん)

☆ 古民具(白石)

白石の有賀二千雄氏は、平成2年頃から収

集した農具や家具、什器など約 200点の古

民具を離れを改造して展示している。前庭に

ある長さ 10mほどの藤棚も見事です。

(T.山田さん)

☆ 境之内稲荷神社(境ノ内)

稲荷神社の御神体は、溝井家第4代目の当

主(江戸末期)が京都の伏見稲荷から請けて

きたとのこと。爾来、溝井家の屋敷神として

祀られてきた。北須川沿いにも神社が身のあ

ったが御神体が洪水で流失したため北町区

の有志が昭和 43年に伏見稲荷大社から御神

体を請け安置した。祠の前には2基の燈篭が

あり、天頂の2匹の白狐が御神体を守ってい

る。 (K.増子さん)

☆ 笹小屋の桜と供養塔群(鹿ノ坂)

鹿ノ坂頂上あたりに清水が湧き出ている。

昔の井戸の脇には太さが 2.6mの江戸彼岸

桜(樹齢は?)と供養塔がある。

○巳待石碑 2基、○二十三夜石碑 1基

○地蔵尊 1基、○馬頭観音 1基

○解読不明 数基

(Y.塩沢さん(代))

☆ 三階建ての土蔵(下泉)

荒町の青柳商店の奥庭に白壁造りの三階

建て土蔵がある。繭を買い集めて収納するた

め3代目の鈴木善吉氏が大正初期に建てた

とのことです。昭和8年頃には生糸工場「磐

城双川社青柳製糸揚返場」を左隣につくり、

出来た生糸製品は横浜から貿易されたそう

である。 (A.太楽さん)

☆ 三夜さま(母畑字滝平、樋田)

廿三夜(にじゅうさんや)というのは、かつ

て月待ち行事が行われた陰暦二十三日の夜

を指す。この晩は下弦の月が真夜中に昇って

くるので、講を結んだ人たちが集まって念仏

を唱えたり、飲食をしながら月の出を待つと

いう行事が催された。

☆ 清水 (●:写真)

○安養寺の清水(沢井東打出) (K.櫻井さん)

○医者清水(中田石ノ森) ( 〃 )

○板仲集会所(板橋柿木平) ( 〃 )

○小和清水(曲木小和清水) ( 〃 )

●笹小屋清水(鹿ノ坂) (Y.塩沢さん(代))

○塩沢鉱石水(塩沢佐武内) (K.櫻井さん)

●大法清水(薬王寺下,大室) ( 〃 )

○長寿清水(板橋塩ノ沢) ( 〃 )

○酉木沢(今出川水源、中田酉木沢) ( 〃 )

○福田乃清水(山形福田) ( 〃 )

●八合田清水(矢ノ目田) (Y.塩沢さん(代))

○平田文男氏所有(サイダー製造、

湯郷渡字湯坂) (T.中田さん)

○元湯別館源苑(母畑字樋田) (K.櫻井さん)

☆ 外国見の板碑(国見)

大小5基あるが、以前からこの場所にあっ

たものか、他から移されたものかは不明であ

る(中途で埋もれた姿で建っていることから、

何らかの原因で破損したものをこの地に移

したもの?)。老朽化しており文字や彫りが

見えないので年代等、不明である。

(H.丹内さん)

☆ 大黒天の石像(母畑字小田口)

地元樋田の溝井好一氏が私財を投じて地域

の繁栄を願い、昭和 63年3月から制作に取

り組みましたが、病に倒れ、志半ばで亡くな

りました。妻のマサさんが意志を継ぎ、平成

6年2月に見事完成させたものです。

(K.増子さん)

☆ 太子堂(南町)

指物の神様として建立されたもので、石川建

築工業組合(大工や建具屋で組織)が管理し、

毎年、4月3日に例大祭を行っている。昭和

48年4月3日に現在の場所に建立されたと

する太子堂再建記念碑がある。また、奉納百

周年記念碑が昭和 63年4月3日に奉納され

ている。 (M.近内さん)

☆ 大正橋(今出川、当町~立ヶ岡)

この橋は、元は「佐一(佐市)橋」と云った。

近くに住んでいた佐一(佐市)という人が地

元民の利便を計るため、丸木を用いて架けた

と云われている。その後、数度、洪水で消失

したため架け替えられ、橋の名も「大正橋」

となった。現在のコンクリート橋は昭和 43

年に架設された。 (K.小林さん)

☆ 煙草神社(南町)

当地方の農業においては高収入が得られ

るタバコ耕作が盛んであったことから、終戦

後の昭和 23年頃に建立された。社殿は、旧

石川小学校にあった奉安殿(御真影、教地に

つくられた施設)であると言い伝えられてい

る。福島県たばこ耕作組合が管理しており、

毎年、5月に例大祭が行われている。

☆ 滝桜の子孫のしだれ桜(立ヶ岡)

石川木工所の須藤正光氏が昭和 50年代に

「三春滝桜」の苗木を、立ヶ岡の大石地蔵尊

の道路下の敷地に植えたもの。樹齢 30年以

上経過しており、開花時は傘状の見事な「桜

花」に目を奪われます。 (H.丹内さん)

☆ 近津神社(南町)

永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親

子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

感謝し、高田五里石に千勝神社を祀り、「中

ツ国広の扇」を御神体として祭祀した。康平

5年(1062)、源有光公は八幡山に三蘆城築城

の際、山頂にあった「味金且高彦根命」(あ

じすきたかひこねのみこと) を祀る社をこ

の地に遷座した。治歴2年(1066)9月1日、

社に還遷するに際し、祭神を合祀して近津神

社と改称した。この祭神は大国主命の子で、

古来農業国守の神として崇敬を集め、祭日

(八槻市)には柚、生姜、衣料、雑貨などを買

い求める近郷、近在の参拝人で賑わっている。

(M.近内さん)

☆ 忠魂碑(母畑字樋ノ口)

日露戦争並びに日独戦争の戦死者(病死者

を含む)の忠魂碑である。大正 15年 10月に

起工、昭和2年3月竣工。帝国在郷軍人会母

畑村分会が建立した。6名の名前が刻まれて

おり、当時の戦死者に対する畏敬の思いが感

じられる碑であり、立派な造形である。

(T.中田さん)

☆ 天狗の足跡(当町)

塩竃神社の境内の花崗岩の大石に大きな

左足跡がある。その昔、天狗が空を飛ぶのに

大石を蹴った際にできたものと言われてい

る。同じ足跡は、猫啼の荷倉石にもある。

☆ 荷倉石(猫啼)

猫啼温泉、井筒屋の下流域、流れが右にカ

ーブする所に巨大な「花崗岩のかたまり」が

ある。馬に付ける「荷倉」に似ていることか

ら「荷倉石」と呼ばれている。いまから 50

年程前は子供達の水泳場であった。川魚も鯉、

ハヤ、オイカワ、ウナギ等が生息し釣り人に

名を知られていた。 (H.丹内さん)

☆ 馬頭観音(矢ノ目田)

矢ノ目田地内の雇用促進住宅入り口の松

木の側に、高さ 44cm、横幅 22cmの石碑が

一基建っている。天保 15年4月建立と記さ

れている。 (Y.塩沢さん(代))

☆ 農村の原風景(王子平、原地内)

王子平の八幡神社から進入していくと社

川を挟んで前方が沢田地区、手前が原地区で

ある。広々とした田圃に白鷺が飛びかってい

る。田圃は水路が巡り、周囲に点在する家屋、

緑の山々、空の広さが感じられる、のどかな

農村風景に心が癒されます。いつまでも残し

ておきたい原風景である。 (H.丹内さん)

☆ 馬頭観音と石像群(鹿ノ坂)

石川地方でも大きいと思われる、高さ

234cm、横幅 90cm、厚さ 24cmの馬頭観音

で、大正6年 10月 17日建立とある(台石の:

縦 110cm、横 74cm、高さ 44cm)。

石像群の内容は、馬頭観音6基(弘化3~

5年、嘉永6年、2基は不明)、牛頭観音1

基である。 (Y.塩沢さん(代))

☆ 深谷新之助翁

及び吉田嘉重翁の頌徳碑(南町)

(表) 深谷新之助翁頌徳碑

参議院議員 松平勇雄書

(裏) 頌徳従六位勲六等深谷新之助翁

(碑文 略)

昭和三十三年霜月 矢部保節併書

(表)吉田嘉重翁頌徳稗

福島県知事 木村守江書

(裏) (碑文 略)

昭和五十年九月吉日

石川たばこ耕作組合長 渡辺俊政

(M.近内さん)

☆ 社川の奇石群(王子平)

今出川と社川の合流点の下流域、川井橋の

下側に大小の花崗岩が川面に露出しており、

この景観は王子橋まで続く。王子橋の上流域

には「オットセイ」が首をもたげている姿に

見える石がある。 (H.丹内さん)

☆ 平安住居(母畑字小田口)

小田口地区には原始、古代の遺跡が点在し、

昭和年の福島県の発掘調査により各遺跡か

ら住居跡が発掘された。とりわけ、平安時代

の住居跡からはイロリ炉やカマドなど古代

の人々の生活が偲ばれる土器や石器が出土

した。これらの貴重な文化遺産を形あるもの

として後生に伝えようと発掘に従事した地

元の人達が中心となり、住居跡として復元し、

古代の人々の生活に思いをはせるとともに

生きた学習の場として広く開放している。

(K.塩沢さん)

☆「おひとつ」(お手玉)

幼少時、女の子は、集まってはお手玉でよ

く遊んだ。地域によってやり方が違う。ひと

りでも遊んだが、2人以上集まると、ひとり

ずつお手玉「おひとつ」を初めから行い、ま

ちがうと交代して、また初めか行うという遊

びを歌いながら行った(写真は、教えを請う

た母畑出身の吉田さん(左)、中田出身の瀬谷

さん(右))。 (K.瀬谷さん)

☆ 塩竃神社・アカガシの大木(当町)

塩竃神社は、石川有光公が前九年の役で阿

倍頼時・貞任を源頼義・義家父子とともに討

伐した時、奥州の総鎮守塩釜大明神を「宮城」

の地名とともに勧請した。歴代の石川城主が

崇敬を厚くしてきた神社で、最後の城主石川

昭光公が石川城の退去後は神主の遠藤家に

よって守護され、現在も当町地内の氏子等に

より祭祀がうけつがれている(毎年、7月 10

日に例大祭を執行)。

アカガシは4本あり、神社正面の大木は樹

高 18.5m、幹周 4.06m、樹齢 300年(推定)

の巨木で中通り地方でこれだけの大木は分

布域の北限として植物学的にも珍しく、アカ

ガシ樹叢は福島県の「緑の文化財」に指定

(H21.6.5)されている。 (H.丹内さん)

☆ 大石地蔵尊(立ヶ岡)

花崗岩の自然石を加工して「地蔵尊」を建

立したもので全長約の堂々とした石仏であ

る。この地蔵尊は、別名「首切地蔵尊」とも

いわれており、昔、石川氏の時代に処刑場が

あり、犯罪者を処刑し晒し首にしたと言い伝

えられている。当時は大石地蔵尊の上側に寺

院があり、住職が処刑者の遺骸をこの地に埋

葬し、手厚く弔って供養のために大石花崗岩

を加工したと伝えられている。年代は不詳で

あるが、地蔵尊の首が取れたことから「首無

し地蔵」と呼ばれたこともあったが、昭和年

代に補修され現在の姿になった。地蔵尊入り

口の両側に銀杏の大木がそびえ立ち、春の芽

立ちや秋の黄葉はとても見事である。

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