地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町)...

9
重左衛門の石像(梁瀬) 庄屋であった泉氏は北須川の下流に堰(猫啼堰)をつくり(県知事に奉願書)、水不足に 貢献した。猫啼に建立(石工、小林和平)され たが、後に王子八幡神社に移された。 (A.太楽さん) 花崗岩の巨石(母畑字長石田) 10m の花崗岩の巨石。この石が字名と なっている。石が重なりあって迷路のように なり、夏でも冷風が吹き抜けたとのこと。現 在は危険防止のため、入り口は塞いである。 (T.中田さん) 大山津見神社(松木下) 石川バイパスの開通によって現在地に移 された。祭神は「大山祇命」。祭日は旧暦3 月9日。神社は 猫啼地区の氏子により管理、 保存されている。 (H.丹内さん) 間知石の石垣(当町) 町道 102 号線(通称、循環道路)の両側の側 溝を挟んで長さ 300m に渡り、高 0.54.0m の日本独特の石垣用材である間石の石垣が ある。昭和 30 年頃に作られたもので当時の 石工の技術の高さが偲ばれる。 (K.小林さん) 石川自治センターでは、平成22年度から、先人が守り育ててきた石川町の自然・歴史・文 化などの資源を実地に学び、身近なところから見つめ直すとともに、地域の案内人の育成と地 域の活性化をはかることを目的として「地元学講座」を開催しております。 その中で、「地域の宝探し」と題して講座生の方々に、これまで見過ごされてきた(あまり紹介 されていない)「お宝」を募ってまいりました。これまで挙がっているお宝についてご紹介しま す(あいうえお順、文の末尾の()内はカードの記入者)。 地域の宝探し(調査カードより)

Upload: others

Post on 13-Sep-2019

10 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町) 永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親 子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

☆ 泉 重左衛門の石像(梁瀬)

庄屋であった泉氏は北須川の下流に堰(現

猫啼堰)をつくり(県知事に奉願書)、水不足に

貢献した。猫啼に建立(石工、小林和平)され

たが、後に王子八幡神社に移された。

(A.太楽さん)

☆ 花崗岩の巨石(母畑字長石田)

約 10m の花崗岩の巨石。この石が字名と

なっている。石が重なりあって迷路のように

なり、夏でも冷風が吹き抜けたとのこと。現

在は危険防止のため、入り口は塞いである。

(T.中田さん)

☆ 大山津見神社(松木下)

石川バイパスの開通によって現在地に移

された。祭神は「大山祇命」。祭日は旧暦3

月9日。神社は 猫啼地区の氏子により管理、

保存されている。 (H.丹内さん)

☆ 間知石の石垣(当町)

町道 102号線(通称、循環道路)の両側の側

溝を挟んで長さ 300mに渡り、高 0.5~4.0m

の日本独特の石垣用材である間石の石垣が

ある。昭和 30年頃に作られたもので当時の

石工の技術の高さが偲ばれる。(K.小林さん)

石川自治センターでは、平成22年度から、先人が守り育ててきた石川町の自然・歴史・文

化などの資源を実地に学び、身近なところから見つめ直すとともに、地域の案内人の育成と地

域の活性化をはかることを目的として「地元学講座」を開催しております。

その中で、「地域の宝探し」と題して講座生の方々に、これまで見過ごされてきた(あまり紹介

されていない)「お宝」を募ってまいりました。これまで挙がっているお宝についてご紹介しま

す(あいうえお順、文の末尾の()内はカードの記入者)。

地域の宝探し(調査カードより)

Page 2: 地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町) 永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親 子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

☆ 古民家(中田字矢造)

明治6~7年頃の建築で、築 140年位の

大きな屋敷である。昔のままの土間や囲炉裏、

広々とした座敷、昔からの障子戸や帯戸、奥

座敷には上段の間と呼ばれる書院造りの部

屋があり、障子戸や欄間に施された細工は一

段と華やかで豪華である。 (K.瀬谷さん)

☆ 御神馬像(南町)

この像は、日清戦争に軍馬として徴用され

戦没した当地方の農耕馬や運送馬を慰霊す

るため、明治 30年 11月に南町の有志が建

立したものである(石工は浅川町出小松寅

吉)。 (M.近内さん)

☆ 古民具(白石)

白石の有賀二千雄氏は、平成2年頃から収

集した農具や家具、什器など約 200点の古

民具を離れを改造して展示している。前庭に

ある長さ 10mほどの藤棚も見事です。

(T.山田さん)

☆ 境之内稲荷神社(境ノ内)

稲荷神社の御神体は、溝井家第4代目の当

主(江戸末期)が京都の伏見稲荷から請けて

きたとのこと。爾来、溝井家の屋敷神として

祀られてきた。北須川沿いにも神社が身のあ

ったが御神体が洪水で流失したため北町区

の有志が昭和 43年に伏見稲荷大社から御神

体を請け安置した。祠の前には2基の燈篭が

あり、天頂の2匹の白狐が御神体を守ってい

る。 (K.増子さん)

Page 3: 地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町) 永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親 子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

☆ 笹小屋の桜と供養塔群(鹿ノ坂)

鹿ノ坂頂上あたりに清水が湧き出ている。

昔の井戸の脇には太さが 2.6mの江戸彼岸

桜(樹齢は?)と供養塔がある。

○巳待石碑 2基、○二十三夜石碑 1基

○地蔵尊 1基、○馬頭観音 1基

○解読不明 数基

(Y.塩沢さん(代))

☆ 三階建ての土蔵(下泉)

荒町の青柳商店の奥庭に白壁造りの三階

建て土蔵がある。繭を買い集めて収納するた

め3代目の鈴木善吉氏が大正初期に建てた

とのことです。昭和8年頃には生糸工場「磐

城双川社青柳製糸揚返場」を左隣につくり、

出来た生糸製品は横浜から貿易されたそう

である。 (A.太楽さん)

☆ 三夜さま(母畑字滝平、樋田)

廿三夜(にじゅうさんや)というのは、かつ

て月待ち行事が行われた陰暦二十三日の夜

を指す。この晩は下弦の月が真夜中に昇って

くるので、講を結んだ人たちが集まって念仏

を唱えたり、飲食をしながら月の出を待つと

いう行事が催された。

☆ 清水 (●:写真)

○安養寺の清水(沢井東打出) (K.櫻井さん)

○医者清水(中田石ノ森) ( 〃 )

○板仲集会所(板橋柿木平) ( 〃 )

○小和清水(曲木小和清水) ( 〃 )

●笹小屋清水(鹿ノ坂) (Y.塩沢さん(代))

○塩沢鉱石水(塩沢佐武内) (K.櫻井さん)

●大法清水(薬王寺下,大室) ( 〃 )

○長寿清水(板橋塩ノ沢) ( 〃 )

○酉木沢(今出川水源、中田酉木沢) ( 〃 )

○福田乃清水(山形福田) ( 〃 )

●八合田清水(矢ノ目田) (Y.塩沢さん(代))

○平田文男氏所有(サイダー製造、

湯郷渡字湯坂) (T.中田さん)

○元湯別館源苑(母畑字樋田) (K.櫻井さん)

Page 4: 地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町) 永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親 子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

☆ 外国見の板碑(国見)

大小5基あるが、以前からこの場所にあっ

たものか、他から移されたものかは不明であ

る(中途で埋もれた姿で建っていることから、

何らかの原因で破損したものをこの地に移

したもの?)。老朽化しており文字や彫りが

見えないので年代等、不明である。

(H.丹内さん)

☆ 大黒天の石像(母畑字小田口)

地元樋田の溝井好一氏が私財を投じて地域

の繁栄を願い、昭和 63年3月から制作に取

り組みましたが、病に倒れ、志半ばで亡くな

りました。妻のマサさんが意志を継ぎ、平成

6年2月に見事完成させたものです。

(K.増子さん)

Page 5: 地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町) 永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親 子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

☆ 太子堂(南町)

指物の神様として建立されたもので、石川建

築工業組合(大工や建具屋で組織)が管理し、

毎年、4月3日に例大祭を行っている。昭和

48年4月3日に現在の場所に建立されたと

する太子堂再建記念碑がある。また、奉納百

周年記念碑が昭和 63年4月3日に奉納され

ている。 (M.近内さん)

☆ 大正橋(今出川、当町~立ヶ岡)

この橋は、元は「佐一(佐市)橋」と云った。

近くに住んでいた佐一(佐市)という人が地

元民の利便を計るため、丸木を用いて架けた

と云われている。その後、数度、洪水で消失

したため架け替えられ、橋の名も「大正橋」

となった。現在のコンクリート橋は昭和 43

年に架設された。 (K.小林さん)

☆ 煙草神社(南町)

当地方の農業においては高収入が得られ

るタバコ耕作が盛んであったことから、終戦

後の昭和 23年頃に建立された。社殿は、旧

石川小学校にあった奉安殿(御真影、教地に

つくられた施設)であると言い伝えられてい

る。福島県たばこ耕作組合が管理しており、

毎年、5月に例大祭が行われている。

Page 6: 地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町) 永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親 子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

☆ 滝桜の子孫のしだれ桜(立ヶ岡)

石川木工所の須藤正光氏が昭和 50年代に

「三春滝桜」の苗木を、立ヶ岡の大石地蔵尊

の道路下の敷地に植えたもの。樹齢 30年以

上経過しており、開花時は傘状の見事な「桜

花」に目を奪われます。 (H.丹内さん)

☆ 近津神社(南町)

永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親

子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

感謝し、高田五里石に千勝神社を祀り、「中

ツ国広の扇」を御神体として祭祀した。康平

5年(1062)、源有光公は八幡山に三蘆城築城

の際、山頂にあった「味金且高彦根命」(あ

じすきたかひこねのみこと) を祀る社をこ

の地に遷座した。治歴2年(1066)9月1日、

社に還遷するに際し、祭神を合祀して近津神

社と改称した。この祭神は大国主命の子で、

古来農業国守の神として崇敬を集め、祭日

(八槻市)には柚、生姜、衣料、雑貨などを買

い求める近郷、近在の参拝人で賑わっている。

(M.近内さん)

☆ 忠魂碑(母畑字樋ノ口)

日露戦争並びに日独戦争の戦死者(病死者

を含む)の忠魂碑である。大正 15年 10月に

起工、昭和2年3月竣工。帝国在郷軍人会母

畑村分会が建立した。6名の名前が刻まれて

おり、当時の戦死者に対する畏敬の思いが感

じられる碑であり、立派な造形である。

(T.中田さん)

☆ 天狗の足跡(当町)

塩竃神社の境内の花崗岩の大石に大きな

左足跡がある。その昔、天狗が空を飛ぶのに

大石を蹴った際にできたものと言われてい

る。同じ足跡は、猫啼の荷倉石にもある。

Page 7: 地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町) 永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親 子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

☆ 荷倉石(猫啼)

猫啼温泉、井筒屋の下流域、流れが右にカ

ーブする所に巨大な「花崗岩のかたまり」が

ある。馬に付ける「荷倉」に似ていることか

ら「荷倉石」と呼ばれている。いまから 50

年程前は子供達の水泳場であった。川魚も鯉、

ハヤ、オイカワ、ウナギ等が生息し釣り人に

名を知られていた。 (H.丹内さん)

☆ 馬頭観音(矢ノ目田)

矢ノ目田地内の雇用促進住宅入り口の松

木の側に、高さ 44cm、横幅 22cmの石碑が

一基建っている。天保 15年4月建立と記さ

れている。 (Y.塩沢さん(代))

☆ 農村の原風景(王子平、原地内)

王子平の八幡神社から進入していくと社

川を挟んで前方が沢田地区、手前が原地区で

ある。広々とした田圃に白鷺が飛びかってい

る。田圃は水路が巡り、周囲に点在する家屋、

緑の山々、空の広さが感じられる、のどかな

農村風景に心が癒されます。いつまでも残し

ておきたい原風景である。 (H.丹内さん)

☆ 馬頭観音と石像群(鹿ノ坂)

石川地方でも大きいと思われる、高さ

234cm、横幅 90cm、厚さ 24cmの馬頭観音

で、大正6年 10月 17日建立とある(台石の:

縦 110cm、横 74cm、高さ 44cm)。

石像群の内容は、馬頭観音6基(弘化3~

5年、嘉永6年、2基は不明)、牛頭観音1

基である。 (Y.塩沢さん(代))

Page 8: 地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町) 永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親 子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

☆ 深谷新之助翁

及び吉田嘉重翁の頌徳碑(南町)

(表) 深谷新之助翁頌徳碑

参議院議員 松平勇雄書

(裏) 頌徳従六位勲六等深谷新之助翁

(碑文 略)

昭和三十三年霜月 矢部保節併書

(表)吉田嘉重翁頌徳稗

福島県知事 木村守江書

(裏) (碑文 略)

昭和五十年九月吉日

石川たばこ耕作組合長 渡辺俊政

(M.近内さん)

☆ 社川の奇石群(王子平)

今出川と社川の合流点の下流域、川井橋の

下側に大小の花崗岩が川面に露出しており、

この景観は王子橋まで続く。王子橋の上流域

には「オットセイ」が首をもたげている姿に

見える石がある。 (H.丹内さん)

☆ 平安住居(母畑字小田口)

小田口地区には原始、古代の遺跡が点在し、

昭和年の福島県の発掘調査により各遺跡か

ら住居跡が発掘された。とりわけ、平安時代

の住居跡からはイロリ炉やカマドなど古代

の人々の生活が偲ばれる土器や石器が出土

した。これらの貴重な文化遺産を形あるもの

として後生に伝えようと発掘に従事した地

元の人達が中心となり、住居跡として復元し、

古代の人々の生活に思いをはせるとともに

生きた学習の場として広く開放している。

(K.塩沢さん)

☆「おひとつ」(お手玉)

幼少時、女の子は、集まってはお手玉でよ

く遊んだ。地域によってやり方が違う。ひと

りでも遊んだが、2人以上集まると、ひとり

ずつお手玉「おひとつ」を初めから行い、ま

ちがうと交代して、また初めか行うという遊

びを歌いながら行った(写真は、教えを請う

た母畑出身の吉田さん(左)、中田出身の瀬谷

さん(右))。 (K.瀬谷さん)

Page 9: 地域の宝探し 調査カードより · (h.丹内さん) ☆ 近津神社(南町) 永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義親 子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた天運に

☆ 塩竃神社・アカガシの大木(当町)

塩竃神社は、石川有光公が前九年の役で阿

倍頼時・貞任を源頼義・義家父子とともに討

伐した時、奥州の総鎮守塩釜大明神を「宮城」

の地名とともに勧請した。歴代の石川城主が

崇敬を厚くしてきた神社で、最後の城主石川

昭光公が石川城の退去後は神主の遠藤家に

よって守護され、現在も当町地内の氏子等に

より祭祀がうけつがれている(毎年、7月 10

日に例大祭を執行)。

アカガシは4本あり、神社正面の大木は樹

高 18.5m、幹周 4.06m、樹齢 300年(推定)

の巨木で中通り地方でこれだけの大木は分

布域の北限として植物学的にも珍しく、アカ

ガシ樹叢は福島県の「緑の文化財」に指定

(H21.6.5)されている。 (H.丹内さん)

☆ 大石地蔵尊(立ヶ岡)

花崗岩の自然石を加工して「地蔵尊」を建

立したもので全長約の堂々とした石仏であ

る。この地蔵尊は、別名「首切地蔵尊」とも

いわれており、昔、石川氏の時代に処刑場が

あり、犯罪者を処刑し晒し首にしたと言い伝

えられている。当時は大石地蔵尊の上側に寺

院があり、住職が処刑者の遺骸をこの地に埋

葬し、手厚く弔って供養のために大石花崗岩

を加工したと伝えられている。年代は不詳で

あるが、地蔵尊の首が取れたことから「首無

し地蔵」と呼ばれたこともあったが、昭和年

代に補修され現在の姿になった。地蔵尊入り

口の両側に銀杏の大木がそびえ立ち、春の芽

立ちや秋の黄葉はとても見事である。