超高感度harp撮像デバイス の医療応用 - nhkharp撮像管カメラ 光学系 x線源...

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夜間の緊急報道や自然科学番組の制作に不可欠な超高感度ハイビジョンカメラの実現に 向けて,アモルファスセレン(a-Se)におけるアバランシェ増倍現象を利用したHARP (High-gain Avalanche Rushing amorphous Photoconductor)光電変換膜の研究開発 を進めている。HARP光電変換膜を適用した撮像デバイスは超高感度と高画質を両立で きるので,放送用途だけでなく,さまざまな分野から注目を集めている。本稿では, HARP撮像デバイスの医療分野での応用例とHARP光電変換膜の最新の研究開発状況に ついて紹介する。 1.まえがき 現在の放送用ハイビジョンカメラの撮像デバイスにはCCD(Charge Coupled Device) やCMOS(Complementary Metal-Oxide Semiconductor)が用いられている。これら の撮像デバイスは,通常の照明条件での撮影においては十分な感度と画質を有している が,夜間の緊急報道や夜行性動物の撮影など,照明条件が非常に悪い場合には感度が必 ずしも十分ではない。 そこで,当所では,a-Seを主成分とする光電変換膜内でのアバランシェ増倍現象 *1 強電界によって加速された荷電 粒子が原子との衝突を繰り返す ことで,雪崩のように新たな荷 電粒子を次々に生み出す現象。 *1 利用したHARP光電変換膜 (以下,HARP膜と呼ぶ)の研究開発に取り組んでいる。 HARP膜を用いた撮像デバイスは超高感度で低ノイズ,広ダイナミックレンジ,高解像 度など,他の超高感度撮像デバイスにはない優れた特徴を有しており,利用分野も放送 用途以外へと広がりをみせている。 本稿では,HARP撮像デバイスの概要について述べた後,医療分野での応用例と HARP膜に関する最新の研究開発状況を紹介する。 2.HARP撮像デバイス HARP膜を用いた撮像管を1図に,その動作原理を2図に示す。2図に示すように, 光がHARP膜に入射すると,入射した光のエネルギーによって膜内に電子・正孔対が生 成される。このうち正孔は膜に印加された強い電界(約10 8 V/m以上)によって加速さ れ,Se原子との衝突イオン化 *2 電界によって加速された荷電粒 子が衝突によってエネルギーを 失う際に新たな電子・正孔対を 発生させる現象。 *2 を繰り返し,次々に新たな電子・正孔対を発生させる。 その結果,増倍された正孔が膜の電子ビーム走査側に蓄積する。一方,電子銃からは電 子ビームが放射され,HARP膜を走査する。その際,HARP膜に蓄積した正孔と電子 ビームの電子が結合し電流が流れる。この電流を外部に取り出すことで映像信号が得ら れる。この動作原理からわかるように,HARP膜では膜内部の電界強度が一定の場合に 超高感度HARP撮像デバイス の医療応用 久保田節 江上典文 解説 NHK技研 R&D/No.125/2011.1 4

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Page 1: 超高感度HARP撮像デバイス の医療応用 - NHKHARP撮像管カメラ 光学系 X線源 白色光 スクリーン HARP撮像管カメラ レンズ グレア 本来のレンズ光学像

夜間の緊急報道や自然科学番組の制作に不可欠な超高感度ハイビジョンカメラの実現に向けて,アモルファスセレン(a-Se)におけるアバランシェ増倍現象を利用したHARP(High-gain Avalanche Rushing amorphous Photoconductor)光電変換膜の研究開発を進めている。HARP光電変換膜を適用した撮像デバイスは超高感度と高画質を両立できるので,放送用途だけでなく,さまざまな分野から注目を集めている。本稿では,HARP撮像デバイスの医療分野での応用例とHARP光電変換膜の最新の研究開発状況について紹介する。

1.まえがき現在の放送用ハイビジョンカメラの撮像デバイスにはCCD(Charge Coupled Device)やCMOS(Complementary Metal-Oxide Semiconductor)が用いられている。これらの撮像デバイスは,通常の照明条件での撮影においては十分な感度と画質を有しているが,夜間の緊急報道や夜行性動物の撮影など,照明条件が非常に悪い場合には感度が必ずしも十分ではない。そこで,当所では,a-Seを主成分とする光電変換膜内でのアバランシェ増倍現象*1

強電界によって加速された荷電粒子が原子との衝突を繰り返すことで,雪崩のように新たな荷電粒子を次々に生み出す現象。

*1を利用したHARP光電変換膜1)2)(以下,HARP膜と呼ぶ)の研究開発に取り組んでいる。HARP膜を用いた撮像デバイスは超高感度で低ノイズ,広ダイナミックレンジ,高解像度など,他の超高感度撮像デバイスにはない優れた特徴を有しており,利用分野も放送用途以外へと広がりをみせている。本稿では,HARP撮像デバイスの概要について述べた後,医療分野での応用例とHARP膜に関する最新の研究開発状況を紹介する。

2.HARP撮像デバイスHARP膜を用いた撮像管を1図に,その動作原理を2図に示す。2図に示すように,光がHARP膜に入射すると,入射した光のエネルギーによって膜内に電子・正孔対が生成される。このうち正孔は膜に印加された強い電界(約108V/m以上)によって加速され,Se原子との衝突イオン化*2

電界によって加速された荷電粒子が衝突によってエネルギーを失う際に新たな電子・正孔対を発生させる現象。

*2を繰り返し,次々に新たな電子・正孔対を発生させる。その結果,増倍された正孔が膜の電子ビーム走査側に蓄積する。一方,電子銃からは電子ビームが放射され,HARP膜を走査する。その際,HARP膜に蓄積した正孔と電子ビームの電子が結合し電流が流れる。この電流を外部に取り出すことで映像信号が得られる。この動作原理からわかるように,HARP膜では膜内部の電界強度が一定の場合に

超高感度HARP撮像デバイスの医療応用久保田節 江上典文■

解 説

NHK技研 R&D/No.125/2011.14

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-- - -

----

+ ++

++

++++

- - - -光

走査電子ビーム

出力信号

ターゲット電圧

電子銃

電子

HARP光電変換膜

正孔

アモルファスセレン(a-Se)層

透明電極 酸化セリウム(CeO2)層 三硫化アンチモン(Sb2S3)層

は膜の厚さが厚いほどアバランシェ現象による増倍率は大きくなり,より高い感度を得ることができる。開発当初,HARP膜の膜厚は2μm(アバランシェ増倍率10倍)であったが,現在では膜厚15μmのHARP膜(アバランシェ増倍率200倍)を用いた撮像管が実用化されている3)。また,膜厚35μmのHARP撮像管を試作し,約1,000倍のアバランシェ増倍率を得ることにも成功している4)。通常,アバランシェ増倍時には比較的大きな雑音が加わるが,HARP撮像管ではこの付加雑音が非常に小さく,問題のないことが実証されている5)。この点がHARP撮像デバイスの最も優れた特徴である。次世代のHARP撮像デバイスとして,小型で低消費電力の冷陰極HARP撮像板の開発も進めている6)7)。冷陰極HARP撮像板は,3図に示すように,電圧を印加するだけで電子を放射する微小な冷陰極を平面上に多数並べた冷陰極アレイとHARP膜とを近接させて向かい合わせたものである。HARP撮像管では1本の電子ビームでHARP膜を走査するが,冷陰極HARP撮像板では冷陰極アレイの各画素が放射した電子でHARP膜を走査する。これまでに,画素数640×480,画素サイズ20μm×20μmの冷陰極アレイに膜厚15

1図 HARP撮像管の外観

2図 HARP撮像管の動作原理

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陰極

画素

ゲート電極

冷陰極アレイ

メッシュ電極

ガラスHARP膜

冷陰極(スピント型)

電子

μmのHARP膜を組み合わせた標準テレビ用冷陰極HARP撮像板(4図)を試作し,月明かり程度の明るさで鮮明な映像が得られること,画素数に相当する解像度が得られることなどを確認した8)。冷陰極HARP撮像板は撮像管とは異なり,水平ブランキング期間中に冷陰極アレイが放射した電子を用いてHARP膜に生成された過剰な電荷の一部を取り

3図 冷陰極HARP撮像板の構造

4図 標準テレビ用冷陰極HARP撮像板の外観

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直径約130µmの金属線(参考)

除くことができるので,車のヘッドライトなどの高輝度な被写体を撮影した場合においても,ブルーミング *3

高輝度な被写体を撮影した際に被写体が実際よりも膨らんで写る現象。

*4移動する高輝度な被写体を撮影した際に被写体がすい星のような尾を引く現象。

*3やコメットテール*4などの偽信号の発生を防止することができる9)。現在,更なる小型化とハイビジョン化を目指して,冷陰極アレイ上に集束電極を形成し,それに電圧を印加することで電子ビームを集束させる電界集束系の開発を進めている10)。

3.HARP撮像デバイスの医療分野への応用例HARP撮像デバイスの応用分野は放送用途以外にも,医療,理学11)12),深海探査13),映画制作14),夜間監視15)など多岐にわたっている。ここでは,医療分野での主な応用例について述べる。3.1 微小血管撮影一般的に,血管のX線撮影は血管内に注入した造影剤と周囲の骨や筋肉とのX線に対する吸収特性の差を利用している。しかし,血管の直径が細くなるに従ってその中に入る造影剤の量が少なくなるので,診断などに必要な十分なコントラストを得ることが難しくなる。そこで,東海大学医学部および高エネルギー加速器研究機構と共同で,HARP撮像管カメラを用いた微小血管撮影システムを構築し,撮影実験を行った。その結果,従来のレントゲン装置では撮影することが困難であった直径50μm~200μmの微小血管を鮮明な動画像として撮影することに世界で初めて成功した(5図)16)。この結果を基に,

まっしょう

一般の病院でも利用が可能なX線微小血管撮影装置(6図)が開発され,末梢動脈閉そく症*5 *5

動脈硬化などによって手足の細い血管が詰まり,血液が流れにくくなる病気。

の患者などに対して行われる血管再生治療の評価に利用されている17)。3.2 子宮内胎児治療超音波診断技術の進歩に伴って胎児の異常が早期に発見できるようになり,胎児が母親の子宮の中にいる間に治療を行う子宮内胎児治療が増加する傾向にある。この治療は内視鏡に接続されたテレビカメラで子宮の中を撮影しながら行うが,子宮の中は暗く,撮影用の照明を当てる必要がある。その際の照明が胎児の目に与える影響を低減するためにはできるだけ照明は暗い方が良い。また,照明を暗くすることは,子宮内の羊水の温度上昇の抑制や,内視鏡の細径化による母体の負担軽減にもつながる18)。そこで,2章で述べた小型の冷陰極HARP撮像板を子宮内胎児治療用内視鏡に適用する取り組みを国立成育医療研究センターなどと共同で進めた。その結果,CCDカメラを用いた既存の

5図 微小血管の撮影例(犬の心臓)

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HARP撮像管カメラ

光学系

X線源

白色光

スクリーン

HARP撮像管カメラ

レンズ

グレア

本来のレンズ光学像

スリット板

内視鏡と比較して,照明を大幅に暗くできることを確認した。開発した内視鏡は,今後,胎児治療の治療効果の向上や少子化対策につながるものと期待されている。3.3 眼科治療目の水晶体が濁って物がかすんで見える白内障の治療法として,水晶体の代わりに人工レンズを挿入する手術が広く行われている。このレンズを挿入した後で,明るい光源などを見たときに,グレアと呼ばれる不要な光学反射像が知覚されることがある。この原因の1つはレンズの端部での光の反射によるものと考えられている19)。そこで,7図に示す実験系を構築し,HARP撮像管カメラを用いてグレアを撮影した。撮像例を8図

6図 病院設置型X線微小血管撮影装置(提供:国立循環器病センター)

7図 グレアの撮影実験系

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グレア

本来のレンズ光学像

HARPカメラ

に示す。高い感度と広いダイナミックレンジを有するHARP撮像管を用いることで,非常に明るい本来のレンズ光学像と薄明るいグレアとを同時に撮影することができた。すなわち,レンズへの光の入射角度とグレアの発生状況との関係を動的に把握することができ,実際に即したレンズの評価が可能となった。3.4 バイオ研究生きた細胞内で起きている現象のメカニズムを解明するためには,微弱な蛍光*6 *6

光や熱,化学反応などによって励起された物質がエネルギーを失って元の状態に戻るときに発する光。

を非常に短い時間間隔で観察する必要がある。そこで,理化学研究所などと共同で,撮影速度が従来の光学顕微鏡の100倍以上高速なレーザー共焦点顕微鏡に超高感度なHARP撮像管カメラを組み合わせた新しい観察装置を開発した(9図)。この装置により,世界中の研究者の間で論争が繰り広げられてきた細胞内小器官ゴルジ体*7 *7

細胞の中で作られたタンパク質を仕分けして,さまざまな方向に送り出す仕事をする細胞内の小器官。

におけるタンパク質の輸送メカニズムが明らかになった20)。生きたままの細胞を高い時間分解能で観察する手段が得られたことで,今後,新薬の開発や感染症の研究などへの貢献が期待される。

4.HARP膜の最新の研究開発状況4.1 HARP膜の高効率化理想的な超高感度撮像デバイスを実現するためには,①入射した光をすべて光電変換

8図 グレアの撮影例(提供:東京医療センター)

9図 開発したバイオ研究用顕微鏡の外観(提供:理化学研究所)

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高効率光電変換層

電界緩和層透明電極 三硫化アンチモン(Sb2S3)層

アモルファスセレン(a-Se)層

部に導くことができる(開口率*8*8撮像デバイスに入射した光量のうち,光電変換部に導かれる光量の割合。

100%),②光電変換部において光をすべて電荷に変換できる(光電変換効率100%),③ノイズの増加なしに光から生成された電荷を増幅できるの3つの条件を満たす必要がある。HARP膜においては,①と③の条件は達成できているので,現在,②の条件を実現するための取り組みを行っている。HARP膜の主成分であるa-Seのバンドギャップは2.0eVであり,青色光に対しては100%に近い光電変換効率が得られるが,波長が長い緑色光や赤色光に対しては光電変換効率が低下する。そのため,3管式カラーカメラの赤チャンネルに使用するHARP撮像管には,長波長光を吸収しやすいバンドギャップが0.34eVのテルル(Te)を添加したHARP膜を適用するとともに,その添加量を増やすことで赤色光に対する光電変換効率の改善を図ってきた21)。しかし,電子を捕獲しやすい性質を持つTeの添加量を増やすほど,Teを添加した部分により多くの電子が捕獲され,強い電界集中が生じて膜欠陥が発生しやすくなる*9

本号の論文「温度制御による赤色光増感型HARP膜の画面キズ抑制」を参照。

*9。Teを添加する手法で光電変換効率を改善することには限界があるので,HARP膜の抜本的な光電変換効率の改善に向けて,次世代の高効率HARP膜の開発を進めている。高効率HARP膜は可視光全域にわたって100%に近い光電変換効率を有する光電変換層とa-Seから成るアバランシェ増倍層とを電界緩和層を介して接合したものである(10図)。電界緩和層は光電変換層とアバランシェ増倍層に印加される電界を制御するための層である。これまでに,多結晶のセレン化カドミウム(CdSe)を光電変換層に用いた高効率HARP膜を試作し,可視光全域での高い光電変換効率と安定したアバランシェ増倍動作の両立に成功した(11図,12図)22)。しかし,試作した膜では,光電変換層とa-Se層に印加される電界のバランスが最適値から少しずれており,アバランシェ増倍層の厚さから期待されるアバランシェ増倍率が得られなかった。現在,電界緩和層の成膜条件などについて見直しを進めている。4.2 HARP膜の暗電流低減HARP膜では,膜に印加する電圧を高くすることでアバランシェ増倍率を高めることができる。しかし,印加する電圧を高くすると画質劣化の要因となる暗電流*10

入射光がない状態で撮像デバイスに流れる電流。

*10が同時に増加するので,HARP膜に印加できる電圧の最大値は暗電流の値によって制限される。HARP膜の実効的な増倍率(感度)を向上させるためには,暗電流を低減させる必要がある。HARP膜における暗電流は外部から不要な電荷(正孔および電子)が膜に注入するこ

10図 高効率HARP膜の基本構造

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高効率HARP膜

青 緑 赤

40

60

80

100

300 600 700

光電変換効率(%)

従来のHARP膜

0

20

400 500 800

入射光波長(nm)

電流比がアバランシェ増倍率

0 1,000 2,000 3,000

HARP膜印加電圧(V)

信号電流(任意目盛)

0

1

2

3

4

5増倍層の膜厚:25µm

緑色光照射時

とが主な原因であると考えられている。そこで,透明電極とa-Se層との間に酸化セリウム(CeO2)層を,a-Se層の電子ビーム走査側に三硫化アンチモン(Sb2S3)層を設け(2図),それらが形成するエネルギー障壁を利用することで,外部からの電荷の注入を阻止するようにしている。正孔のアバランシェ増倍を利用しているHARP膜の暗電流を低減するためには,特に,外部からの正孔の注入を抑制することが重要であり,透明電

11図 高効率HARP膜の分光感度特性の例

12図 高効率HARP膜の電流-電圧特性の例

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+ アモルファスセレン(a-Se)層

伝導帯CeO2層

透明電極フェルミ準位

正孔

正孔に対するエネルギー障壁

理論値より減少

価電子帯

CeO2の酸素原子欠陥に起因する欠陥準位

X線

ガラス基板

FOP

レンズ

被写体

HARP膜

(a) レンズ結合

(b) ファイバー結合

X線

X線用蛍光板

極,a-Se層,CeO2層から成る正孔注入阻止構造の強化に取り組んでいる。これまでの試作実験から,CeO2層を成膜するときに基板を加熱することで暗電流が低減できることがわかっている23)。このときの暗電流低減のメカニズムを明らかにするために,硬X線*11

エネルギーが高く,透過性の高いX線。

*11によるCeO2層の構造分析などを実施した。その結果,基板を加熱して成膜したCeO2層は基板を加熱しなかったCeO2層と比較して酸素原子欠陥が減少していることがわかった。この欠陥に起因した欠陥準位が消滅することで実効的なエネルギー障壁

13図 HARP膜の正孔注入阻止構造(エネルギーバンド図)

14図 X線用蛍光板とHARP撮像管の結合方式

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コアガラス

クラッドガラス

吸収体ガラス

HARP膜

FOP

が高くなり(13図),暗電流が低減したと考えている。今後,更なる暗電流の低減に向けて,酸素欠陥をより少なくできるCeO2層の成膜プロセスの開発や新たな正孔注入阻止材料の探索を継続する予定である。4.3 ファイバー基板上へのHARP膜形成技術の開発3.1節で述べた微小血管撮影システムでは,被写体を透過したX線を蛍光板に当てることで可視光像に変換し,レンズ光学系を通してHARP撮像管で撮影している(14図(a))。そのため,蛍光板から放射された可視光の数%しかHARP膜には入射しないという問題があった。これを解決する方法として,14図(b)に示すように,直径数μmのガラスファイバーを多数束ねた光学デバイスであるファイバー・オプティック・プレート(FOP:Fiber Optic Plate)を用いて,X線用蛍光板とHARP膜とを結合する方法が有効である。そこで,FOPの表面上に直接HARP膜を形成する技術の開発に取り組んだ。高電界を印加して使用するHARP膜を形成するための基板には,膜欠陥の発生を抑制するために十分な平坦性が要求される。しかし,15図に示すようにFOPはコアガラス,クラッドガラス,吸収体ガラスと呼ばれる硬さや弾性係数 *12

物質が力を受けた際の変形のしやすさを示す物性値。

*12の異なる3種類のガラスで構成されているので,従来のガラス基板と同様の研磨法では平坦化は困難であった。そこで,ウレタン板を利用した柔軟な研磨盤と超純水を用いた新たな研磨技術を開発した。

15図 FOPの構造

16図 FOP上に形成したHARP膜

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イメージインテンシファイアーFOP-HARP撮像管

レンズ

開発した研磨法を用いて平坦化したFOP上に直接HARP膜を形成することに成功し(16図),このHARP膜を適用したFOP-HARP撮像管において,膜欠陥を抑制した状態でアバランシェ増倍が実現できることを実証した24)。また,この撮像管を微小血管撮影システムに適用して25μm以上の空間分解能が得られることや,血管撮影時に使用する造影剤の濃度を従来の1/4(32%→8%)に低減した場合においても,直径150μm~200μmの血管の動画像撮影や評価が可能であることを確認した(17図)25)。HARP膜自体は近赤外光には感度を有しないが,例えば,イメージインテンシファイアーのような近赤外光を可視光に変換するデバイスとFOP-HARP撮像管とをファイバー接続することで超高感度な近赤外光撮影が可能となる。現在,試作カメラ(18図)による撮影実験を進めており,今後,天体の撮影や生体深部に注入した蛍光物質からの微弱な近赤外光の撮影など,科学番組制作への貢献が期待されている。

17図 低濃度造影剤を使用して撮影したラットの血管(提供:筑波大学)

18図 FOP-HARP撮像管を用いた近赤外光撮影装置の外観

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5.むすびa-Se光電変換膜内でのアバランシェ増倍現象を利用した超高感度HARP撮像デバイスの医療分野への応用例とHARP膜に関する最新の研究開発状況について述べた。夜間に発生した大規模災害や事件などの緊急報道に不可欠な超高感度撮像デバイスの開発は公共放送であるNHKに課せられた使命である。また,放送用として開発した技術を人々の幸せな生活に直結する医学などの進歩に役立てることはNHKの重要な業務の一環である。今後,より高性能で小型の超高感度カメラの実現に向けて,可視光全域で高い光電変換効率が得られる次世代の高効率HARP膜の開発や,これを適用したハイビジョン用冷陰極HARP撮像板の開発に尽力するとともに,研究成果の更なる社会還元に積極的に取り組んでいきたい。

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11)“超高感度カメラで植物の「成長リズム」を解明,”NHK技研だより,No.51(2003)

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13)内田,棚田,大川,谷岡:“超高感度深海用ハイビジョンカメラの開発,”映情学技報,Vol.26, No.78, pp.27-30(2002)

14)大和谷,井関,市川,松原,大川,宮川,鈴木,高畠,久保田,谷岡,小林,吉田,佐々木,小栗:“高感度・高画質ハイビジョンHARPカメラのドラマ制作への応用検討,”映情学年次大,23-6(2005)

15)http://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihu68/siryo3.pdf

16)H. Mori, E. Tanaka, K. Hyodo, M. U. Mohammed, T. Sekka, K. Ito, Y. Shinozaki, A. Tanaka,H. Nakazawa, S. Abe, S. Handa, M. Kubota, K. Tanioka, K. Umetani and M. Ando:“Synchrotron Microangiography Reveals Configurational Changes and to-and-fro Flowin Intramyocardial Vessels,”Am J. Physiol Heart Circ Physiol, Vol.276, pp.H429-H437(1999)

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Page 14: 超高感度HARP撮像デバイス の医療応用 - NHKHARP撮像管カメラ 光学系 X線源 白色光 スクリーン HARP撮像管カメラ レンズ グレア 本来のレンズ光学像

17)知久,西上,竹下,林,野々木,荻野,中谷,田中,内藤,盛,宮武,友池,北村:“病院設置型微小血管造影装置による微小血管の評価,”脈管学,Vol.45, No.11, pp.965-971(2005)

18)石山,山下,三好,千葉:“超高感度内視鏡技術の開発,”炎症と免疫,Vol.16, No.1, pp.15-20(2008)

19)根岸:“術後視機能の再評価,”眼科手術,Vol.16, No.4, pp.441-446(2003)

20)K. Matsuura-Tokita, M. Takeuchi, A. Ichihara, K. Mikuriya and A. Nakano:“Live Imagingof Yeast Golgi Cisternal Maturation,”Nature, Vol.441, pp.1007-1010(2006)

21)大川,宮川,松原,菊地,鈴木,久保田,谷岡,小林:“赤色光増感型高感度15μm厚HARP光電変換膜の開発,”映情学誌,Vol.62, No.12, pp.2031-2036(2008)

22)大川,宮川,松原,菊地,鈴木,谷岡,久保田,江上,小林:“CdSe層を接合した高量子効率HARP光電変換膜,”映情学年次大,12-9(2009)

23)菊地,松原,大川,宮川,鈴木,久保田,江上:“暗電流低減によるHARP膜の感度向上,”映情学年次大,12-7(2008)

24)K. Miyakawa, Y. Ohkawa, T. Matsubara, K. Kikuchi, S. Suzuki, K. Tanioka, M. Kubota, N.Egami, T. Atsumi, S. Matsushita, T. Konishi, Y. Sakakibara, K. Hyodo, Y. Katori and Y.Okamoto:“Development of FOP-HARP Imaging Device,”Proc. SPIE-IS&T Electron.Imaging, Vol.7536, pp.753604-1-753604-8(2010)

25)T. Konishi, S. Matsushita, K. Hyodo, H. Sugimori, C. Tokunaga, Y. Enomoto, S. Kanemoto,Y. Watanabe, Y. Hiramatsu and Y. Sakakibara:“Can Angiography with SynchrotronRadiation and High Sensitivity Receiver Make Lower Doses of Contrast MediumPossible?,”Proc. American Heart Association Scientific Session 2008, 898(2008)

く ぼ た みさお

久保田節1983年入局。福井放送局,放送技術研究所,大阪放送局を経て,2003年から放送技術研究所にてHARP方式光電変換膜の研究に従事。現在,放送技術研究所撮像・記録デバイス研究部主任研究員。

え が みのりふみ

江上典文1980年入局。徳島放送局を経て,1983年から放送技術研究所にてハイビジョンHARP撮像管,冷陰極HARP撮像板の研究に従事。現在,放送技術研究所撮像・記録デバイス研究部部長。工学博士。

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