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Page 1: 3 宮 城 県 柴 田 郡 大 河 原 町 立 大 河 原 南 小 学 校 四 年 加か と 藤う 由ゆ 萌め 自 分 を 守 る 「 交 通 ル ー ル 」 と つ ぜ ん

小学生の部

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3

宮城県柴田郡大河原町立大河原南小学校

四年 

加かとう藤

 由ゆ

め萌

自分を守る「交通ルール」

 とつぜん目の前に黒い車が止まりました。必配そう

な顔をしたお兄さんが、

 「大丈夫?」

と私の顔をのぞきこみました。私は、頭の中が真っ白

になりました。

 去年、私は交通事故にあいました。というよりも起

こしたといったほうが正しいかもしれません。友達と

自転車で追いかけっこをしていて、スピードも落とさ

ず、通りの前で止まることもせず、通りに出ました。

大通りから小道に入ってきた車に出合い頭にぶつかっ

たのです。自動車の前の部分に自転車がぶつかり、タ

イヤが私の足の先を踏んでいました。

 家からはあわててお母さんとおじいちゃんが来まし

た。けい察に連絡をしたら、パトカーと事故しょ理の

車も来ました。このとき、私の不注意で大変なことに

なったと気づきました。

 おまわりさんにいろいろしつ問されましたが、私の

飛び出しが原いんと言われました。お母さんは、お兄

さんにたくさんあやまりました。お兄さんは、

 「心配なので、病院に行ってみてもらってください。」

と言って、病院まで一緒に行ってくれました。お母さ

んは、病院で待っている時に、

 「由萌が悪いけれど、由萌の自転車よりもお兄さん

の車のほうが大きいから、ルールを守って車を運転し

ていても、たくさん注意して運転しなくてはならない

の。大きい乗り物のほうが責任重大ってことね。今回、

由萌はルールを守らなくて、ルールを守って運転して

いたお兄さんに迷惑かけたのよ。交通ルールだけでな

く、世の中にはいろいろなルールがあることは知って

いるよね。ルールを守るってことは、みんなが笑顔で

最優秀作   

内閣総理大臣賞

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生活していけるように決めたことなの、だから守らな

くてはいけないんだよ。」

 お兄さんの自動車がゆっくり走っていたこと、私に

早く気付いてブレーキを踏んだおかげで、ほとんどけ

がはありませんでした。お兄さんは安心して、

 「けがしてなくてよかったね。今度から気をつけよ

うね。」

と言ってほっとした表情をしていました。

 「交通ルールを守りましょう。」

 よく聞く言葉ですが、今回の事故で、私はなぜ守ら

なければならないかを実感しました。交通ルールは、

ルールを守ることで自分を危険から守り、周りの人の

安心と安全を約束することなんだ。お兄さんが交通

ルールを守っていたおかげで、私は安全だったんだと

気付きました。お兄さんには心配と迷惑をかけました

が、私に「ルールを守る」ことの大切なことを教えて

くれたように思います。これからは、交通ルールを守

ることはもちろん、周りの友達にもルールの大切さを

知ってもらうようにしたいと思います。

茨城県下妻市立大形小学校

一年 

田たなか中

 琉る

い結

おねえちゃんとあるいたつうがくろ

 ことしのはるに1ねんせいになりました。いままで

は、くるまでほいくえんにかよっていたけれど、いま

は、とうこうはんのおにいさんやおねえさんとあるい

てとうこうしています。

 1ねんせいになるすこしまえに、おとうさんとおか

あさんに、

 「1ねんせいになるまえに、がっこうまでのつうが

くろをおねえちゃんとあるいてごらん。きけんのかく

にんやほかの人といっしょにあるくれんしゅうにもな

るからね。」

優秀作 

内閣府特命担当大臣賞

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といわれたので、いまはちゅうがくせいですが、その

ときは6ねんせいでとうこうはんのはんちょうだった

おねえちゃんといっしょにあるいてみることにしまし

た。

 れんしゅうのひ、ランドセルをせおってあるくこと

にしました。いえのもんからみちにでようとすると、

 「あぶないよ。」

とおねえちゃんにとめられました。わたしは、なぜと

められたのかわからなくてもんのところにたったまま

でいると、

 「さゆうのあんぜんかくにんもしないでみちにとび

だしちゃだめでしょ。」

と、おこられました。わたしは、

 「だって、くるまのおとなんてしなかったもん。」

というと、

 「みみだけじゃなくて、めでしっかりとかくにんし

なくちゃきけんなんだよ。」

といわれました。

 みちをあるいてしばらくたつと、しんごうきのある

おうだんほどうのところにつきました。しんごうがチ

カチカとかわりはじめたので、あかいろにかわるまえ

にはしってわたろうとしました。すると、おねえちゃ

んにうでをつかまれました。

 「はしってはあぶないよ。つぎのあおいろにかわっ

てからわたりなさい。」

と、また、おねえちゃんにしかられました。

 そのほかにも、さきをあるくおねえちゃんのわきに

ならんであるいたときやランドセルがおもくて、した

ばかりをみてあるいたとき、おちていたいしをけりな

がらあるいたときなどにもちゅういされました。

 いえについて、おとうさんとおかあさんにそのこと

をはなすと、わたしのしたこうどうはぜんぶきけんな

ことだといわれました。

 めやみみをつかってしっかりあんぜんかくにんをす

ることや、1れつになってあるくことなど、たくさん

のことをおしえてくれたおねえちゃんが、

 「1ばんのあんぜんは、じかんやきもちにゆとりを

もって、あせらずにこうどうすることだよ。がんばれ。」

といいました。わたしは、おねえちゃんがおしえてく

れたことをわすれずに、こうつうルールをまもってい

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こうとおもいます。

山口県柳井市立平郡東小学校二

年 

平ひらお尾

 陽ひ

こ向子

わたしは先生。

 わたしはお母さんがこうそく道ろをうんてんする車

にのると、とてもつかれます。目てき地につくころに

はヘトヘトになります。それは、お母さんのきんちょ

うが伝わるからです。他の人のうんてんだと平気なの

に、なぜお母さんのうんてんだとつかれるのかふしぎ

に思っていました。お母さんに話すと、

 「こうそく道ろはビュンビュンとばす車ばかりで追

とつされたら、車はペシャンコよ。カーブをまがりき

らずにすべった車にまきこまれても、きっといのちは

ないよ。大じないのちをあずかるうんてん手は、とて

もきんちょうするんよ。とにかく、安全うんてんがだ

い一。」

と教えてくれました。お母さんのきんちょうのうんて

んと話から、スピードを出すのは、本当にこわいこと

だと分かりました。

 わたしはお父さんのうんてんする車にのっても、じ

いちゃんがうんてんする車にのっても、スピードメー

ターをじろっと見て、

 「少し、スピードの出しすぎよ。安全うんてんが大

じ。」

 「しんごうが黄色。止まって。止まって。」

とか言うようになりました。

 じいちゃんが、

 「陽向子は、教しゅう所の先生よりこわいな。だけど、

安全うんてんは、大切なことだから、気をつけよう。」

と、わらって言ってくれました。

 お父さんも、

 「いつもありがとう。四つの目でかくにんした方が

安全だ。たすかるよ。」

と、言ってくれます。

 わたしは、自てん車にのる時があります。いそいで

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いる時には、スピードを出しそうになりますが「自て

ん車のうんてんも安全だい一。」と思ってやめます。

友だちにも、

 「じこして、大けがをしないために安全うんてんで

行こうね。」

と伝えています。

 安全うんてんのわがひろがるといいです。

茨城県下妻市立下妻小学校

三年 

髙たかやま山

 悠ゆうた太

交通安全は思いやりから

 ブーブーブー。夜中にねていると、お母さんのスマー

トフォンが鳴りました。

 「はい、すぐかくにんします。」

 (じこだ。)ぼくはふとんの中で、こっそり聞いてい

ました。それから何人かに電話をかけている声は聞こ

えたけれど、いつのまにかねてしまっていました。ぼ

くの家は運そう会社です。そこではたらいているぼく

のお母さんのけいたい電話には、夜でもいそぎの電話

がかかってくることがあるので、その時は声の様子か

ら、きっとじこが起きたんだと思いました。朝になっ

てどきどきしながら聞いてみると、じこではなかった

と言われてほっとしました。そして、もしじこだった

ら、いっしょに朝ごはんを食べられていないとも言わ

れもっとほっとしました。

 お母さんは車を運てんする時、かならず道をゆずり

ます。ぼくは、

 「どうして急いでるのに入れてあげるの。」

とらんぼうに聞きました。するとお母さんが、

 「あの運てん手さん、ここで道をゆずってもらった

らうれしい気持ちになるでしょう。はんたいにゆずっ

てもらえなかったら一日中イライラして、交通じこを

起こすかもしれないでしょう。一人ひとりの思いやり

で、みんなにゆとりが生まれて交通じこがへったらい

いでしょう。」

と言いました。ぼくはみたいテレビがあるのに間に合

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わなくなるとあせっていたので、そう言われてはずか

しくなりました。

 ある日、習い事が終わってむかえをまっていると、

お母さんがあわててやってきました。

 「ごめんね、ごめんね。スピードを出して来たんだ

けど。道がこんでたの。」

 一時間以上まっていました。わすれてしまったのか

とふあんになっていました。でも、お母さんの言葉を

聞いて少しおこっていた気持ちをがまんして言いまし

た。

 「だいじょうぶだよ、お友だちとしゃべっていたか

らあっという間だったよ。それよりもそんなにあわて

て来たらじこになっちゃうよ。」

とかっこうつけていいました。お母さんはとてもびっ

くりした顔をしたけれど、あとからにっこりわらいな

がら、

 「いっぱい待たせてごめんね。もしゆう太がおこっ

ていたら帰りもスピードを出してしまったかもしれな

いけど、思いやりのあることばを言ってもらったから、

心がゆったりしたよ。安全運てんで帰ろう。」

と言いました。ぼくはとてもうれしくなりました。ぼ

くの話した言葉が、「思いやり」で、あいてにゆとり

を持ってもらえたからです。

 交通安全は交通ルールを守ることが大切だと思いま

す。けれども、もっと大切でだれでもできるのが「思

いやり」です。一人ひとりが「思いやり」を持てば、ぜっ

たいに交通じこはへらせるだろうし、安心してくらせ

ると思います。

福井県坂井市立東十郷小学校

四年 

伊いとう東

 里さ

ゆ祐

きんちょうの自転車テスト

 わたしは、四年生になって自転車で友達の家にいか

せてもらえることになりました。わたしは自転車で友

達の家にまだいけなかったのです。本当は三年生ぐら

いの時にもういってもいいのにお父さんとお母さんが

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ゆるしてくれなかったのです。

 夏休みに入る一週間前、もうわたしは道も分かるし

ルールも守れると思っておばあちゃんを味方につけて

お父さんとお母さんにおねがいをしました。やはりだ

めでした。するとお母さんが、

 「じゃあ、自転車のテストしてみよっか。」

と言いました。わたしは、やる気がでてきました。こ

れで夏休みに友達の家にいけると思いました。お母さ

んは妹と車でわたしについてきて、わたしとお父さん

は自転車でいきました。まず、わたしはアオキまでい

くことになりました。出発する前にお父さんが、

 「トマレは止まって、左右のかくにんをしっかりす

る。そして左がわ通行、ふみきりはおりてわたる。こ

うさてんではまがってくる車があるからよくみてわ

たってね。」

とお父さんがしんけんな顔をしていっていました。わ

たしは正直にいうとお父さんにいわれなくても自信ま

んまんでした。

 いよいよテストの始まりです。わたしは、お父さん

とお母さんの顔をチラチラみながらこの夏休みから友

達といっしょにいけるのを想像していました。無事ア

オキにつきました。ちゅう車場に自転車を止めました。

するとお母さんが注意をしてきました。

 「トマレできちっと止まらなかったのと、横だん歩

道でしっかり左右かくにんしていなかったね。」

 お父さんは首をかしげて、

 「ふごうかく。」

といやないい方で言いました。わたしはなんでと思い

ショックでした。お母さんは、

 「注意されたことをしっかり守ってさいテストね。」

と言いました。今度はちがう道を通ってテストをする

ことになりました。わたしは自信をなくしましたが次

こそ交通ルールを守って合かくしなければと思いまし

た。さっきよりもゆっくり考えながら進むことにしま

した。着いた時二人の顔を見るとニコニコしていまし

た。お母さんが、

 「合かく。」

と言いました。わたしはほっとしました。お父さんは

言いました。

 「今のかんじでいいけど、友達ととなりにならんで

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いくのはだめだよ。」

 これからはお父さんの注意を守っていつもテストの

ような気持ちで自転車に乗ろうと思いました。お父さ

ん達に見守られていることをわすれないようにしよう

と思います。

福島県会津若松市立謹教小学校

五年 

鈴すずき木

 心ここな渚

交通安全チェックカード

 「チェック完了。行ってきます。」

 「気をつけて、いってらっしゃい。」

 我が家の毎朝の出かける時の合言葉です。

 私の家では、出かける時には、必ずめくるチェック

カードがあります。ゴムが付いていて、裏返すと「き・

を・つ・け・て」の言葉がそろい、母の言葉と一緒に

私たちを見送ってくれます。

 父が四月から単身赴任で家を離れ、母も仕事を持っ

ているので、家族がなんとなく忙しく、安全への気持

ちが薄れてしまっては困ると思い、母と私が家族のた

めに考えたチェックカードなのです。

 カードの一枚目には、「きもちよいあいさつをしよ

う」と書いてあります。お互いに気持ちよくあいさつ

をし、言葉を交わすことで、それぞれが気分よく、気

をひきしめて、大切な一日のスタートを切ることがで

きます。

 二つ目のカードには、「お(を)ちついていこう」

と書いてあります。落ち着いて考え、行動することで、

忘れ物をなくし、あわてずに、危険を予知する心の余

裕を持って、一日行動できるようになると考えたから

です。

 三つ目は、「つぎの人のことを考えて」と書いてあ

ります。トイレのスリッパを揃えたり、手洗い場の水

を拭きとったりして、次に使う人が気持よく使えるよ

うに整えることは、自分の心を整えるだけでなく、次

に使った人の気持ちも穏やかにして、イライラしなく

なり、多くの人の安全につながると考えました。

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 四つ目は、「けがをしないように」と書いてあります。

不注意によって起こった小さなけがも、それがもとで

気が散り、大きなけがや事故につながってしまうと考

えたからです。けがをしないという事は、通学路や学

校生活の中に沢山ある危険を考え、ルールを守って生

活するという事です。頭の中に常に意識する事でけが

は減ると父に教えてもらいました。

 五つ目は、「てをあげて、てを出して、ていねいに」

と書いてあります。これは、体の小さい私が横断歩道

でドライバーの人に見つけてもらいやすいように手を

挙げて渡ったほうがよいという心配の意味と、教室で

も授業中、たくさん手を挙げて発表してほしいという

母の二つの願いを込めてある言葉です。

 「手を出して」というのは、歩くときポケットから

手を出して歩かないと、転んだ時に危険だという事と

困っている人に手を貸してあげる事も含まれていま

す。そして、一日一日を大切に、丁寧に生きようとい

う事です。

 私は母とカードを作りながら交通安全について色々

と考えました。家族みんなが出かけてから「ただいま」

と帰ってきて揃うまで、多くの危険が潜んでいるし、

一度事故が起きたら、両者が不幸になってしまう事を

知りました。一人一人の心掛けと思いやりの気持ちが

交通安全にとって一番大切だと思います。

埼玉県川口市立並木小学校

六年 

八やえがし

重樫 彩さ

き季

早く着くより安全に

 最近ニュースで、自転車と歩行者の接触事故を耳に

する事が多くなりました。中には死亡事故につながる

ケースもあり、その数は近年増加しているとの事です。

そして、自転車を運転していた加害者の中には、私と

同じ小学生も含まれていました。私が普段の生活で使

用する自転車も、油断をすれば、死亡事故を引き起こ

してしまう危険な乗り物だということに、私は正直驚

きました。

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 事故が増加している原因が何なのか、私は疑問に思

い、考えてみました。

 これまでの自転車に比べ、性能が良くなり、スピー

ドが出るようになったことや、携帯電話やウォークマ

ンが普及して、『ながら運転』が増えたこと。交通量

が増えたことによって、狭い道幅を行き交わざるを得

なくなったことなど、様々な要因がからみ合っている

と思いました。しかし、一番の問題はやはり、モラル

の低下だと感じます。

 私の家では、私が自転車に乗って出掛ける時に、必

ず親から言われる言葉があります。それは、『早く着

くより、無事に着くことが大事』という言葉です。時

間を気にしすぎて交通ルールを無視することは非常に

危険です。まずは、目的地に到着するという目的を果

たすことが大切だという意味です。

 私は自転車に乗り始めた頃はまだ、便利な乗り物と

いう認識しかありませんでした。しかし、一人で出掛

けられるようになった今では、これまで親がしてくれ

ていた危険の予測を、自分でやらなければならないと

自覚し、親の言葉を心掛けるようになりました。とは

いえ私自身、遅刻しそうな時や、周囲にペースを合わ

せようと、ついスピードを出してしまう事もあります。

事故はきっと、そんな一瞬の油断で引き起こされてし

まうのではないでしょうか。

 人を事故に巻き込まない、また、自分も巻き込まれ

ないよう私に出来ることは、危険を予測した行動をと

ることだと思います。『ながら運転』はもちろんのこと、

注意力がそがれるような乗り方をしない、交差する道

路では一旦停止して左右を確認する、これだけでも事

故は防げるのではないでしょうか。

 心と時間に余裕を持ち、予測の目を持つ。これが、

私が常に心掛けている交通ルールです。

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佳作 

 

 

内閣府政策統括官賞

岐阜県大垣市立静里小学校

一年 

松まつむら村

 理り

の々乃

ひとりであるくよ

 「いちねんせいになったら、おにいちゃんといっしょ

にしゅうごうばしょまでいくんやよ、おかあさんはつ

いていかんでね。」

と、わたしがまだほいくえんにいっていたとき、おか

あさんがいいました。わたしは、どうろをあるくとき

はおかあさんとてをつないであるいていたから、おに

いちゃんとふたりでがっこうへいくのは、わくわくし

てとてもたのしみでした。にゅうがくしきのまえには、

なんかいも、おにいちゃんとふたりでつうがくろをあ

るきました。みちのよこには、ようすいろがながれて

いて、なにかいるかなと、のぞいてみたいし、みずた

まりがあったら、ちゃぷんとはいってみたい! でも、

おかあさんは、

 「よそみしないで、ふらふらしないで、まっすぐあ

るくんやよ。」

と、いいました。なんだかつまらないなあとおもいま

した。おにいちゃんが、よつばのクローバーをみつけ

ました。わたしもほしくてさがしていたら、うしろか

らくるまがわたしのすぐそばまできていてびっくりし

たことがありました。

 「エンジンのおとがちいさいくるまがおおくなって

きたから、どうろをあるくときは、じぶんたちだけの

ことをかんがえていないでくるまがはしっていないか

きをつけていかないかんぞ。みんなのみちやぞ。」

とおとうさんがおしえてくれました。

 あと、くるまがとおっていなかったら、はしって

おうだんほどうをわたればいいとおもっていました。

だって、ちこくしたらたいへんだから。でもおにいちゃ

んは、くるまがこないのに、おうだんほどうのまえで

は、かならずたちどまります。

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 「あさは、おしごとにいくおとなが、くるまでいそ

いでえきまでいくとおりみちやで、ぜったいとまらな

あかん。」

と、おにいちゃんがおしえてくれました。たちどまっ

ているときうんてんしゅさんのかおをみると、おこっ

ているようなかおのひとがいます。きっといそいでい

るんだろうなとおもいました。

 「じかんによゆうがあるひとのくるまは、とまって

くれることもあるよ。ちこくしそうなひとは、じぶん

のことしかかんがえれなくなるし、あわててこうつう

じこをしてしまうかもしれんで、とくにあさは、じか

んによゆうをもってこうどうすることが、こうつうあ

んぜんにつながるんやよ。」

と、おかあさんがおしえてくれました。

 わたしは、しょうがくせいになりました。おとうさ

ん、おかあさん、おにいちゃんがおしえてくれたこと

をまもってとうげこうをしています。じぶんだけのこ

とをかんがえないでみんなのことをかんがえてわたし

たちは、どうろをつかいます。だから、おかあさん、

ひとりでしっかりあるけるから、みまもっていてね。

兵庫県南あわじ市立松帆小学校

一年 

善ぜんぽ甫

 日かなで奏

へるめっとってたいせつ

 わたしはじてんしゃにのって、がっこうへいきます

がヘルメットがきらいでした。というのもじぶんのし

たいかみがたができないときがおおいからです。

 でも、そんなことをわすれるじこがおこりました。

いつもちいきのおにいさんやおねえさんとしゅうだん

とうこうしているときに、まえをはしっていたわたし

のふたごのおにいちゃん「じゅんせい」がカーブできゅ

うにブレーキをかけたら、みごとにころんだのです。

 うでをすりむいて、あたまをうったのです。あんな

ころびかたをしてだいじょうぶかなとおもいました。

 でも、うでからはちがでているものの、あたまはヘ

ルメットをかぶっていたおかげで、どうもないようで

す。

 わたしは、「じゅんせいだいじょうぶ。」ときくと、「ヘ

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ルメットかぶってたから、あたまもうったけど、だい

じょうぶ。」といって、なにごともなかったかのよう

にじてんしゃにのって、みんなでがっこうにいきまし

た。

 わたしは、ヘルメットってすごいなあとおもいまし

た。いつもいえのしきちでじてんしゃをのるときは、

めんどうくさいからヘルメットをかぶらないことがお

おいです。けれど、おとうさんやおかあさんは、「み

ちではおおきいくるまや、だれかあるいているひとが

とびだしてくるからぜったいヘルメットをかぶるんや

で。」となんどもなんどもちゅういされてました。

 そうだったのか、おとうさんやおかあさんがなんど

もヘルメットをかぶるようにいっていたことがわかり

ました。

 わたしはまた2がっきからもじてんしゃにのって、

がっこうにいきます。スピードをださないようにきを

つけながら、きちんとヘルメットをかぶってがっこう

にいきます。

和歌山県和歌山市立紀伊小学校

一年 

藤ふじわら原

 健けんご吾

ぼくのおやくそく

 ぼくは、こうつうあんぜんできをつけていることが

3つあります。

 1つめは、くるまにのるときは、シートベルトをし

ます。どうしてかというと、おかあさんがいつも、

 「シートベルトほけんにはいっていますか。」

といいます。ぼくは、

 「シートベルトほけんってなに。」

とききました。おかあさんは、

 「シートベルトほけんは、いつでも、はいれてじぶ

んのいのちをまもってくれるよ。」

と、こたえました。これは、おかあさんが、めんきょ

センターのひとからきいたそうです。ぼくは、シート

ベルトをしなかったら、くるまからとびだしているひ

とのえをパーキングエリアでも、みました。それをお

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もいだして、シートベルトをしないと、じこでしんで

しまうかもしれないとおもいました。

 2つめは、おうだんほどうをわたるときにみぎ、ひ

だり、みぎをみます。おうちのちかくのしんごうで、

ぼくがわたるほうのしんごうは、あおだけど、くるま

のほうは、しんごうをみていなかったのか、とおりぬ

けたり、まがったりしました。ぼくは、くるまをとお

らせてあげました。そのときぼくは、きゅうにくるま

がきたので、とてもびっくりしました。これは、がっ

こうのこうつうあんぜんきょうしつでもべんきょうし

ました。

 3つめは、じてんしゃにのるときに、まわりにきを

つけることです。おみせで、さかみちをじてんしゃで

おりているおとこのこが、おばあさんにぶつかってい

るえをみました。ぼくは、じてんしゃをれんしゅうし

ているときにおとうさんのくるまにぶつかりそうに

なったことがあります。そのときくるまもだめだけど、

ひとにぶつかったほうがけがをしたりするのでまわり

をよくみようとおもいました。3つとも、いのちをま

もるために、きをつけたいです。

 こうつうあんぜんというのは、ひとりひとりがきを

つけることがたいせつとおもいました。

岡山県備前市立伊里小学校

一年 

勝かつた田

 和わ

な香菜

『よぉみぃよぉ〜!!』

「よぉみてわたるんでぇ〜!! くるまがきょおらん

か、みぎ、ひだり、みぎ、かくにんせにゃおえん

でっ!!」と、おじいちゃん。

 わたしのいえのすぐまえにはこくどうがあって、く

るまがいつもビュンビュンはしっています。

 ゆうがたのいぬのさんぽのときや、くるまにのって

でかけるときとか、どうろをわたるときにはかならず、

おじいちゃんがおおきなこえでさけびます。

 「ちゃんとみたよ! もぉわたるよっ!」

と、わたしがいうと、

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「おえん! もぉいっかいみい! くるまはすぐにち

かづいてくるんじゃけえ、あぶねぇ。」

 なんかいもいわれなくっても、いまみたばっかりな

のに、きてるはずないもん! っと、ふりかえってみ

ると、あんなにアリみたいにちいさくとおくにみえて

いたくるまが、すぐそこまでちかづいてきていました。

 わたしはビックリして、

 「おじいちゃん、アリがちょっとのあいだにちかづ

いてきて、ゾウになっとった!!」

といいました。

 「じゃけぇいわんこっちねぇ。さぁ、もぉいっかい

かくにんして、じいちゃんといっしょにてをつないで

わたろうでっ。」

 わたしはいつも、こうやって、おじいちゃんにてを

ひかれて、ぎゃくのてをうえにピンッ! とあげてど

うろをわたっています。

 どうろをわたるときいがいにも、おじいちゃんが「き

をつけにゃ、おえんで!!」ということがあります。そ

れは、もしも、ボールとかがどうろにころがっていっ

ても、おいかけていっちゃいけないということです。

 ボールがいきなりどうろにころがっていったら、く

るまもおおきなじこをするかもしれないし、ボールを

おいかけてくるまにきづかずに、くるまにはねられる

かもしれないからです。

 おじいちゃんは、わたしのめをじっとみて、

 「ボールのかわりは、みせにいきゃあいくらでもう

りょおる。じゃけどなぁわかなよ、ひとのいのちいう

もんは、たったひとつしかねんぞ! どこにもうりょ

うりゃせん。じゃけえたいせつでだいじにせんとおえ

んもんなんじゃ。おぼえとけぇよ。」

と、いいました。

 わたしはそんなやさしいおじいちゃんがだいすきで

す。もしもわたしが、くるまにはねられてケガをした

り、しんでしまったら、おじいちゃんはとってもかな

しむとおもいます。

 これからも、どうろをわたるときには、おじいちゃ

んのいっていたことをいつもおもいだして、きをつけ

たいです。

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愛媛県宇和島市立宇和津小学校

一年 

山やました下

 真ま

お央

はんしゃざいについて

 あるひのよる、ばあばのいえからかえっていると、

ひかるたおるみたいなものを、かたにかけているひと

がいるのをみかけました。

 「わっ、ひかっている!」

と、わたしはおどろきました。おかあさんに、ひかっ

ているものがなにかをきいてみると、

 「あれは、はんしゃざいよ。くらいところでも、ひ

とがおるのがわかるんよ。」

と、おしえてくれました。くらいところでもみえるの

は、すごいとおもいました。それで、わたしもはんしゃ

ざいを、ほしくなったのでおかあさんにいってみると、

こんどいっしょにけいさつしょでもらうことにしまし

た。

 けいさつしょにいくと、はんしゃざいをすぐにくれ

ました。おかねがいらなかったので、うれしかったで

す。

 そのひのよる、かぞくといっしょにはんしゃざいを

つかってじっけんをしました。

 おかあさんがはんしゃざいをつけているときと、つ

けていないときで、どれくらいちがうのかくらべてみ

ました。とおくからでもはんしゃざいがひかってみえ

ました。おかあさんはみえなかったけど、はんしゃざ

いをつけるだけでほかのひとにもわかるのは、とって

もいいことだとおもいました。

 わたしは、よるそとにでることがあれば、はんしゃ

ざいをつけます。それは、まわりのひとにわたしがい

ることをわかってもらうためです。すこしのどりょく

で、じこをへらすことができるので、これからもかん

がえていきたいです。

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福島県西白河郡中島村立吉子川小学校

二年 

瀬せ

や谷 菜な

こ々子

いのちをまもる

おやくそく

 

わたしが毎日歩く通学ろには、おうだん歩どうが一

かしょあります。そこは、けんどうで、たくさんの車

や大きなトラックがすごいスピードで走っていきま

す。

 

わたしは、小学校に入学した時、このおうだん歩ど

うを一人でわたることができませんでした。車やト

ラックのスピードがとてもはやくかんじて、しかもわ

たしの体のぎりぎりのところを通っていくような気が

するのです。こわくてこわくて、おしボタンも一人で

はおせませんでした。だから、朝や帰りには、毎日お

かあさんといもうとが、おうだん歩どうの先までむか

えに来てくれました。おかあさんやいもうとがついて

いてくれると、あんしんしておうだん歩どうをわたる

ことができたし、おしボタンをおしたり、どうろをわ

たったりするのもこわくありませんでした。

 

一年生の夏休みがおわって二学きになってから、は

じめておしボタンをおして一人でわたれるようになり

ました。家ぞくのみんなに、

 「えらいね。ななちゃんよかったね。」

 「おうだん歩どうのしんごうが青になってから、左

右をかくにんしてわたるんだよ。」

と言われました。わたしは、「しんごうが青になって

いるのに、どうして左右をかくにんしないといけない

んだろう。」と思いました。おかあさんに聞くと、お

かあさんは、

 「もしかしたら車がしんごうに気がついていないか

もしれないし、とまれないことがあるかもしれないか

ら、きちんとじぶんの目でたしかめるんだよ。」

と言っていました。

 

二年生になった今でも、家ぞくのことばをまもって、

おうだん歩どうをわたっています。あんなにこわかっ

たおうだん歩どうだったけれど、やくそくをまもって、

じぶんの目で左右をかくにんすればだいじょうぶって

思えるようになりました。

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わたしが五年生になる時に、いもうとが小学校に入

学します。いもうとが小学生になったら、いもうとに

もおうだん歩どうのわたりかたを教えてあげたいで

す。わたしのことをしんぱいして、いのちをまもるた

めに毎日おくりむかえをしてくれたおかあさんのよう

に、わたしも、じぶんといもうとのいのちをまもるた

めに、

 「しんごうが青になってから。」

 「左右をたしかめて。」

のやくそくをいもうとに教えて、毎日まもっていきた

いです。

茨城県筑西市立新治小学校

二年 

伊いとう藤

 慧けいと人

ばあちゃんの自てん車

 「ばあちゃん、車とぶつかっちゃったの。むかえに

来てくれる。」

 

三月の日よう日、ばあちゃんからでんわがかかって

きました。ばあちゃんは、自てん車でちかくのおみせ

に買いものに行きました。お母さんが、

 「車にのせていこうか。」

と言ったのに、ばあちゃんは、

 「へい気だよ。」

と言って出ぱつしました。

 

おみせから帰るとちゅう、細い道から少しひろい道

へ出るとき、左右をよく見ないで出てしまったそうで

す。ちょうど、車がちかづいてきていて、ばあちゃん

の自てん車とぶつかってしまいました。

 

お父さんが、いそいでじこの場しょへ行きました。

ぼくとお母さんと弟は、家でまっていました。

 「ばあちゃん、どうなっちゃうの。けがはしている

のかな。だいじょうぶかな。」

 

ぼくは、むねがドキドキしていました。お母さんも、

 「やっぱり車にのせていけばよかった。」

とあわてています。どうかけががひどくありませんよ

うに、とぼくはおいのりしました。

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すぐにお父さんが帰ってきました。ばあちゃんは、

けがをしているので、きゅうきゅう車でびょういんへ

行くことになりました。あたまと足とうでをけがして

しまったそうです。

 「ちはたくさんでたのかな。ばあちゃん、いたくて

ないていないかな。」

とぼくは心ぱいでした。

 

じこにあった自てん車をお父さんがもってきまし

た。ハンドルはまがっていて、タイヤのカバーがぐにゃ

りとへんな形にまがっていました。車とぶつかると、

こんな風にかわってしまうんだとわかると、じこって

本とうにこわいなと思いました。

 

ばあちゃんは、けががかるかったので、すぐにびょ

ういんからもどってきました。

 「心ぱいかけてごめんね。」

とばあちゃんが言いました。ぼくは、ばあちゃんが帰っ

てきてくれてうれしかったです。

 

しばらくの間、ばあちゃんはけがをしたところがい

たくてつらそうでした。ぼくは、おさらはこびやごは

んのしたくを手つだいました。いつもぼくのめんどう

をみてくれる大すきなばあちゃんには、早く元気に

なってほしいと思いました。

 

ぼくは、自てん車にまだのれないので、自てん車で

出かけることがありません。でも、とび出しは、自て

ん車でも人でもとてもこわいことがわかりました。ば

あちゃんがたすかって本とうによかったです。いのち

は一つしかありません。いのちをまもるのは自分です。

ぼくは、ぜったいにとび出しをしません。交通ルール

をまもって、あんぜんに自てん車にのれるようになり

たいです。

東京都板橋区立三園小学校

二年 

内うちやま山

 由ゆ

な絆奈

やさしい町に

 

わたしはいつもあぶない道をとおって学校へ行って

います。友だちとこう園へ行くときも歩道のせまい道

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をとおって行きます。わたしのいえのちかくには、交

さてんがあって、わたるときは青しんごうでもかなら

ず左右をよく見てわたります。右せつしてくる車のう

んてん手さんがわたしに気づいてくれると、「先にわ

たっていいよ。」とあいずを出してくれることもあり

ます。そういうときはあん心してわたることができま

す。

 

トラックやふつうの車にはねられてなくなってしま

うおなじとしぐらいの小学生がいるじこのニュースを

見るととてもかなしくなります。きっと左右をよく見

ておうだんほどうを歩いたかもしれないけれど、ドラ

イバーの人が見えなかったりよく見ていなかったりし

てじこがおきてしまうことをしりました。さいきんも

おうだんほどうをわたっているときにスピードを出し

てまがってくるバイクや車がいて、ぶつかってしまう

のではないかとヒヤヒヤしました。お母さんにもまい

日言われます。「しんごうが青でもかならず左右をよ

く見てわたりなさいね。まがってくる車にはとくに

ちゅういしなさい。」と言われます。

 

しゅうだんとう校するときもみんなといっしょでも

白い線のすぐよこを車がビュンビュンとおるので友だ

ちとふざけたりしないで一れつにならんで歩かなけれ

ばいけません。わたしもほかの友だちもルールをま

もって気をつけているからドライバーの人たちも、も

うすこしスピードを出しすぎないようにゆっくりうん

てんしてくれたらこわい思いはしないのにと思いま

す。まがりかどのところもカーブミラーをつけたり、

ほどうにガードレールをふやしてほしいです。大人の

人も赤ちゃんがいるお母さんも、おじさんやおばあさ

んもあん心して歩ける町になれると思います。

 

じてん車にのるときはかならずヘルメットをかぶっ

てスピードを出しすぎないようにはしります。さいき

んじてん車にのれるようになった妹にも「あわててじ

てん車をこがなくていいよ。右と左をよく見てね。」

と言っています。

 

この前じどうセンターに行ったとき、うごかないけ

れど本ものの車にのってうんてんを体けんできまし

た。うんてんせきにすわってみて小さな子どもは見え

づらいと思いました。だからお父さんやお母さん学校

の先生から交つうルールをまもるように言われている

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ことがわかりました。

 

これからもルールをまもってじこにあわないように

気をつけたいです。車をうんてんする人もいそがない

でゆっくりはしってほしいです。やさしいうんてんを

してくれる人がふえてやさしい町になってくれたらい

いなと思います。

神奈川県秦野市立鶴巻小学校

二年 

本ほんま間

 結ゆいと人

たのしくじてん車にのりたい

 

八さいのたんじょう日に新しいじてん車を買っても

らいました。ピカピカの新しいじてん車にのって、お

とうさんとサイクリングに行くことがお休みの日のぼ

くのたのしみです。

 

サイクリングに行くと、いつもきけんだなと思うこ

とがあります。それは車のすぐよこや、人の多いほど

うをじてん車ではしることです。

 

そこで、おとうさんと話しあってあんぜんにはしる

ためのやくそくをきめました。じぶんの頭をまもるた

めにヘルメットをかならずかぶること。車とのじこを

ふせぐために左がわつうこうをすることです。

 

おとうさんとサイクリングをしていると、しんごう

をむししているおにいさん、おねえさんや右がわつう

こうしている大人の人をたくさん見かけました。とて

もあぶないなと思いました。

 

それから、きのうテレビでおわらいげいにんの人が

じてん車でひどいじこをしたけれど、ヘルメットをか

ぶっていたおかげでいのちがたすかったというニュー

スを見ました。ヘルメットをかぶることは「きまりで

はない。」とおとうさんに聞いたけれど、ぼくは、ヘ

ルメットをかぶったほうがいいと思います。みんなが

こうつうルールをまもってはしるようになれば、きっ

と今よりもたのしくあんぜんにじてん車にのれるよう

になると思います。

 

それと、ぼくがきけんだなと思っている車のすぐよ

こをはしることとたくさんの人があるいているほどう

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をはしることをなくすために、じてん車のせんようど

うろがたくさんできれば、子どもでももっとあんしん

してじてん車にのれるようになると思います。はやく

そうなってほしいです。

 

じてん車はだれでものれて、べんりでたのしいのり

ものだけどルールをまもらないと、すごくきけんなの

りものだと思いました。

 

だからぼくは、これからもおとうさんときめたやく

そくをしっかりまもってじてん車でいろいろなところ

へ出かけたいです。

香川県三豊市立本山小学校

二年 

森もり

 那な

み々美

うれしかったこと

 

わたしは、朝七時五分に家を出て学校に行っていま

す。

 

一年生のときは、友だちと三人で行っていたけど、

二年生になってからは一年生の女の子と行くようにな

りました。一年生の女の子が一人で行くとさびしいと

思うからです。

 

それと一年生が一人で学校に行くのはあぶないから

です。

 

少し前に、学校から帰ると、お母さんがとてもよろ

こんでいました。お母さんが妹をようちえんにつれて

行ったときに、ようちえんの先生にほめられたと言っ

ていました。ようちえんの先生が、車にのっていて、

わたしと一年生の子が道ろをわたるときに、とまって

くれました。わたしは、手をつないで道ろをわたって、

ぼうしをぬいで心をこめておじぎをしました。そのこ

とをようちえんの先生がお母さんに言いました。お母

さんは、びっくりしたと言っていました。けれどとて

もうれしかったと言っていました。

 

わたしは、いつも校長先生が、車がとまってくれた

ら、ぼうしをとって気持ちをこめておじぎをしましょ

うと言っているのを聞いているので、ふつうのことだ

と思っていました。

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お母さんにそれを言ったら、

 「すごいなぁ。そんなこと思ったなんてかんしんし

た。」

と言いました。

 

お母さんは、「毎日車に気をつけて。」と言います。

 「一年生とはぐれないように気をつけて、なかよく

行って。」と言います。「川の中をのぞかないで行って。」

と言います。

 

これからも、車に気をつけて学校に行きたいです。

 

車がまた、とまってくれたら、きちんとぼうしをぬ

いでおじぎをします。

 

こんど、また新しい一年生が入って来たら、いっしょ

に行ってあげます。そして、車があぶないことをおし

えてあげたいです。

山形県東根市立大森小学校

三年 

片かたくら倉

 菜な

こ々子

大切な命を守る交通ルール

 

私は、毎日テレビで流れる事故のニュースを見ると、

 「どうして事故は、ふせげないのかなぁ。」と、いつ

も気になってしまいます。テレビを見ながらそんな目

にあいたくないなと思います。

 

去年の夏、私のかよう学校で児童がまきこまれる交

通事故がおきました。学校前の十字路で集団下校をし

ていたら5~6人の列に軽自動車がつっこんだので

す。その時、私は学校内にある学童保育所にいて、しょ

くいん室から先生たちがあわてて走っていくすがたが

まどから見えて、まもなくパトカーやきゅうきゅう車

が大きなサイレンを鳴らしてたくさん集まって来たの

で、何か大きな事件か事故がおきたんだと思いました。

学童の先生は、

 「大変だぁ、学校前の十字路で下校班の児童が車に

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はねられたって。」

と、いそいでもどってきてみんなに知らせてくれまし

た。私たちは、どうすることもできずに、まどから見

まもることしかできませんでした。

 

夕方、お母さんがいつもの時間にむかえに来ました。

私がお母さんの所に行くと、お母さんが、

 「事故がおきたから、いつもの道路が通れなくなっ

ていて、ちがう場所に車をとめたから少し歩かなきゃ

いけないんだ。」

といいました。

 

車にもどるとちゅう、事故のあった場所の近くを通

らなければならず、事故の場所に近づくにつれて事故

をおこした車が道路に止めてあって、その近くの路面

にしみのようなものが見えてきて、私は、それを指さ

して、

 「あれは、血っ?」

と、お母さんにきくと、

 「人のふこうは、見てはいけないのよ。」

と言いながら、お母さんは私の目を手でおおい通りす

ぎるまでそのままで歩きました。

 

このことがきっかけで、家でも交通安全について話

し合いました。毎朝の通学路のきけんなところ、気を

つけなければいけないところをさいかくにんしまし

た。まず、きけんなところは、まがりかどです。集合

場所がT字路になっていて、一時停止側の車が一時停

止をしないまますすんで行くことが多く、いつ車が自

転車や人に気づかないで来てぶつかったりするか分か

らないからです。気をつけなければいけないところは、

しんごうきのない十字路です。住宅地など家が多い場

所はしんごうがない道路が多いからです。

 「なれた道ほどキケンがかくれているよ。」

と、おばあちゃんが言いました。なれた道だから、つ

いゆだんしてしまう。安全かくにんをきちんとしない

でいると、いつか交通事故にあうかもしれない。だか

ら、ふだんから安全かくにんをきちんとしてから道を

歩くように心がけていれば、自分やまわりの人が安心

して道を歩くことができるということをおばあちゃん

は、私にわかってほしかったんだと思いました。

 

私のことを大事に思う家族のためにも交通ルールを

これからもしっかり守り、安全に登校していきます。

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新潟県長岡市立青葉台小学校

三年 

宮みやした下

 月る

い希

注意は、気をひきしめる

 「だれもがしっかり止まっていなくても、ていし線

があるかぎり、しっかり、止まらなくてはいけないん

だよ。」

 

これは、お母さんが、けいけんした事で、だれより

も気をつけている事です。

 

私は、ニュータウンのじゅうたく地に住んでいます。

住んでいる人いがいは、あまり車も入ってこないので、

自分の家の前の道路で遊んでいる人もいるくらい車の

出入りの少ない所です。その道路から大通りに出る所

に停止線があります。停止線が少しおくにあるので大

通りからの車がよく見えないので、しっかり停止線で

止まっている人がいなく、停止線より前へ出て、見や

すい所でしっかり止まらずに運転している人がほとん

どです。

 

ある時、私が具合が悪くなって、先生からの電話が、

お母さんに行き、むかえに来てくれました。私の家か

ら学校までは車で二、三分で着きます。私の事が心配

だったお母さんは、いそいでむかわなくてはと思った

そうで、いそいでいたそうです。それでも停止線近く

からスピードをおとして止まってから大通りへ出たそ

うです。いつもならあまり、ろじまで入ってパトロー

ルしていないパトカーが、その日は、じゅん回してい

たらしく、ちょうどパトカーが曲がった時に、お母さ

んの車が停止していて、その止まり方がきちんと止

まっていないと声をかけられ止められたそうです。注

意された時、

 「ゆっくり停止したのは、見ていてわかるのですが、

停止線というのは、きちんと止まる場所に線がついて

いるので大通りから見えにくいのはわかりますが、ま

ず停止線でしっかり止まりそれから、一、二、三くらい

数えてからゆっくり見える所まで出て、また止まるよ

うにしてください。」

と注意をされたそうです。おまわりさんも、

 「ここは、じゅうたく地なので、きゅうにとびだす

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人は少ないと思って、みなさんしっかり停止線で止ま

られていないようですが、一人の注意がみんなへの注

意になりますから。」

と、停止線のきちんとした止まり方を教えてもらった

そうです。

 

その話を聞いてから、私は車がきちんと停止線で止

まっている人がいるのか気にしていますが、やっぱり

お母さんのようにみんなが、停止線より前に出て止ま

り、きちんと停止している人はいません。でも、お母

さんは、注意された事で気をつけるようになり、みん

なはしていなくても、きちんと停止線で止まるように

なりました。

 「人は注意されてはじめて知る事が多いからよいべ

ん強になった。」

とお母さんは言いました。私もお母さんと出かける時

は、お母さんと一緒に、一、二、三を言っています。み

んなにも、一、二、三の停止線を心がけてほしいです。

愛知県岩倉市立岩倉南小学校

三年 

品しなむら村

 佳よしき希

ぼくのいのちをまもってくれる人

 「ホットパトロール」

 

そう書かれた、はでなチョッキを着ているおじさん

たちは、いつもぼくたちの登下校について来てくれる。

先生でもないし、おまわりさんでもないし、おしごと

でもないらしい。でも毎日、かならずいっしょに登下

校してくれる。一年生になったころは、それがふしぎ

だったので、お母さんに聞いてみた。

 「どうしていつも、おじさんたちがいっしょなの?」

 

するとお母さんがおしえてくれた。

 「おじさんたちは、子どもたちのいのちをまもって

くれる、せいぎのみかたなんだよ。」

 

なるほど、だから車が来ると大きな声でちゅういし

てくれたり、ふざけてれつからはみだした子をしかっ

てくれるんだ。その時お母さんがいつもおじさんたち

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に「ありがとうございます」と言っているい味がよく

わかった。

 

ぼくは今、三年生になったけど、これまで一日だっ

ておじさんたちがいない日はない。雨の日も、雪の日

も、夏の暑い日も、いつでもおじさんたちはいっしょ

に通ってくれている。ときどきおこられたりするけれ

ど、おじさんたちがいてくれるから安心できる。学校

までの通学路は、あぶないことがいっぱいあるからだ。

 

時どきテレビで、小学生の通学はんの子どもたちが、

車にはねられたというニュースを見る。ぼくは「いた

かっただろうな」と考えると、とてもこわくなる。今

まで、車やじてん車とすれちがう時、あぶなくてど

きっとしたこともある。もしかしたら、ぼくがニュー

スにでてしまうかもしれない。そうならないように、

おじさんたちは毎日ぼくたちをまもってくれているの

だ。こうつうじこにあわないように、一生けんめい歩

いてくれているのだ。今までじこにあわなかったのも

おじさんたちのおかげなんだと気づいた。よし、これ

からもおじさんたちの言うことをよく聞いてぶじに学

校や家に着くように、気をつけよう。ふざけたりしな

いで通学路を歩こう。もしもぼくたちがじこにあって

しまったら、お父さんとお母さんと同じくらいおじさ

んたちもかなしませてしまうと思うから。いつか、お

じさんたちに心をこめてこう言おう。

 「いつもぼくたちのいのちをまもってくれてありが

とう。」

香川県丸亀市立城東小学校

三年 

三み

せ瀬 大ひろと翔

命を守るヘルメット

 

ぼくは、一年生になる年にえひめけんから丸がめ市

にひっこしてきました。えひめにいる時、自てん車に

のる時は、ぜったいにヘルメットをかぶるという事が

家ぞくできめたやくそくでした。でも丸がめでは、ヘ

ルメットをかぶっている子は、ほとんどいませんでし

た。

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ぼくは、いつものようにヘルメットをかぶって友だ

ちの家に遊びに行くと友だちに、

 「ヘルメットなんてかっこわるい。」

と言われました。ぼくは少しかなしい気もちになりま

した。でも、その日からぼくは、ヘルメットをかぶる

事がはずかしくなり、

 「ヘルメットをかぶりなさい。」

とお母さんに言われてもヘルメットをかぶらず遊びに

行くようになりました。

 

ある日、小学生が自てん車でバイクとぶつかる事こ

があったとテレビのニュースでしていました。ぼくは

その時ドキッとしました。

 

ぼくがふあんそうな顔をしていたのをお母さんが見

ていたのか、

 「ヘルメットは、命を守る大切な物なんだよ。車に

のる時のシートベルトと同じで自てん車にのる時は、

ぜったいにヘルメットをかぶらないとね。」

と言いました。

 「命は一つしかないんだよ。自てん車でこけてかる

いケガですめばいいけれど、頭をうったりしたら命に

かかわるたいへんな事になるんだから自分の命を自分

で守るために、まずは、ヘルメットをかならずかぶろ

う。」

とお父さんも言いました。

 

ぼくは、そのとおりだなと思いその日からは、友だ

ちにバカにされてもヘルメットをかぶって遊びにいこ

うときめました。なにを言われてもはずかしくなんて

ありません。

 

命を守ってくれる大事なヘルメット。ぼくは、これ

から友だちにもヘルメットをかぶるようにちゅういし

ていこうと思います。

香川県丸亀市立城東小学校

三年 

亀かめい井

 夕ゆうあ亜

家ぞくのやくそく

 

朝わたしがとう校する時、お母さんに、

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 「だんち出るときは気をつけてわたりなさい。」と、

毎日言われます。

 

わたしの家の前の道や通学路は、細いけどぬけ道で

通る車がたくさんいます。

 

ほ道もおうだんほ道もないので、後からくる車がこ

わいです。

 

だから、こうさ点や道をかくにんするのが家ぞくで

きめたたいせつなやくそくです。

 

お母さんと車にのっている時に、交通じこを見た時

は、こわいなと思いました。

 

お母さんも、うんてんしている時にきゅうによこか

ら人がとび出してきたり、2列で走っている自転車を

おいこそうとしても、自てん車が1列になってくれな

くて、ぶつかりそうになってひやひやしたことが何回

もあったと言っていました。

 

みんな交通じこには、あいたくないと思っているの

に、どうしてルールを守れないのかなぁと思いました。

 

急いでいるときやあせっているときはついスピード

を出しすぎたりかくにんをちゃんとできていないから

じこをおこしやすくなるといっていました。

 

自分たちがきをつけていても、まきこまれる時もあ

るので、いつも心によゆうを持たなければいけない

なぁとみんなで話し合いました。

 

だから道路を歩く時やおうだんほ道をわたる時は、

左右をきちんとかくにんしてあわてずにわたるとやく

そくしました。

 

また、道路だけじゃなくて、お店のちゅう車場でも

1人で走っていかないでとめようとしている車や出よ

うとしている車や動いている車に注意をして、車の間

からとび出さないこともやくそくしたので、わたしは

いつもお父さんやお母さんたちとはなれないでかくに

んしながら行くようにしています。

 

歩く時だけではなくて、これからは自てん車にのる

ときもあるのでその時はヘルメットをかぶって左がわ

を1列で走って、スピードを出しすぎないで、あぶな

いと思ったら自てん車からおりておしてすすむかとま

ることをやくそくしました。

 

わたしも道路にとび出してお父さんたちにおこられ

た時もあります。

 

その時は、うるさいなぁと思ったりしたけど、あぶ

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ない思いを自分でしたときに家ぞくできめたやくそく

を守らないとたいへんなことになるんだなぁと思いま

した。

 

わたしはこれからも家ぞくのやくそくを守って交通

あん全に気をつけたいと思います。

富山県富山市立山田小学校

四年 

藤ふじい井

 大たいよう陽

ぼくが命がけで学んだこと

 

ぼくは五才の時に交通事故にあいました。土曜日の

朝、買ってもらったばかりの赤い自転車がうれしくて、

さっそく家のまわりで乗って遊んでいました。前を行

くお兄ちゃんの自転車を追いかけてせまい道を走りぬ

けようとした時でした。大通りから曲がって入ってき

た車とぶつかってしまったのです。

 

自転車ごとふっとばされてたおれているぼくを、運

転手のおばさんがだきかかえて家までつれていってく

れました。たまたま庭に出ていたとなりのおじさんが

すぐに救急車を呼んでくれました。顔中血まみれに

なってぐったりとして運ばれてきたぼくを見て、お母

さんはぼくが死んでしまうんじゃないかとこわくて心

配でたまらなかったそうです。ぼくはお母さんと救急

車にのって遠くの病院へ運ばれました。ずっとサイレ

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ンが鳴っていました。

 

病院でいろんなけんさを受けたら、骨も折れていな

くて、すぐに帰れることになりました。お母さんは「あ

んなに血が出ていたのにね。きっと亡くなったひいお

じいちゃんが守ってくれたんだね。」と今でも時々話

します。

 

病院の待合室に出ると、お父さんやお兄ちゃんお姉

ちゃんみんなが待ってくれていました。お姉ちゃんは

ぼくが無事だってわかったとたん、

 「どれだけ心配したと思ってるんだよ! 

飛び出し

た大陽が悪いんだよ!」

ととてもおこっていました。でもぼくは、お姉ちゃん

もこんなにぼくのことを心配してくれていたんだなと

じんとしました。

 

家に帰ると、運転手のおばさんがお見舞いに来てく

れました。おばさんはぼくが無事だと聞いて、

 「よかったです。よかったです。」

とずっと泣いていました。その後もぼくに何度もあや

まってくれるんだけど、お父さんとお母さんも、おば

さんにやっぱり何度もあやまっていました。おばさん

はその後も、お菓子やおうちで採れたスイカや野菜を

持って、何度もお見舞いに来てくれました。そして元

気なぼくを見ると、いつもなみだぐんで喜んでくれま

した。そのたびに、ぼくはおばさんにどれだけ心配を

かけてしまったんだろうととても反省しました。

 

あれから自転車はもう二回乗りかえて、大きなサイ

ズになりました。変速ギアがついて遠くまで楽に走れ

ます。でも今でもあの道路を横断するときは、事故の

ことを思い出します。あのとき、ぼくはたまたまラッ

キーで大けがにならずにすんだけれど、打ちどころが

悪かったらと思うとこわくなります。運転手さんや家

族、近所の人たちにもとても心配をかけてしまいまし

た。

 

だからぼくは、もう二度と事故にあわないように気

をつけるぞとちかっています。

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福井県坂井市立東十郷小学校

四年 

吉よしむら村

 鴻こうし志

すごいぞ、標しき!

 「あれ、あのしかは何だろう。」

 

黄色い四角に黒色のふちどり、そして右向きに飛び

出してきているしかのマーク。山道を車で走っていた

ら、左側に見えたのです。するとお父さんが、

 「あれは、動物注意の標しきだよ。この辺りは山が

多くて、動物がたくさん住んでいるから、道路に飛び

出してくるかもしれない。だから注意して運転するよ

うにというお知らせだよ。しかのマークだから、しか

がたくさん住んでいるんだね。」

と教えてくれました。長い説明だなあと思ったその時、

気づいたのです。標しきってすごい。標しきを見たしゅ

んかん、何に注意しなければいけないかすぐにわかる

んだと。

 

すると、とたんに他の標しきも気になってきました。

あちこちをさがさなくてもすぐにたくさん見つかりま

した。その中でもぼくが一番すきなのが「横だんきん

止」です。白い四角に赤い太めのふちどり。青色の人

が道路をわたろうとしているけれど、赤いななめ線が

入っていて、下に青字で「横断禁止」と書いてある。

まず、赤色が多く使われているから、おこっている人

の顔が思いうかびます。そしてななめ線のおかげで、

ああ、ここは横だんしてはいけないんだなあと、すぐ

に分かります。

 

ほとんどが赤色の標しきといえば、「止まれ。」です。

赤いぎゃく三角形で、上の方に白字で「止まれ」と書

いてある。これを見ただけで、ぜったいに止まらない

とこの先何かきけんなことが起こると言われているか

のようです。「横だんきんし」や、「止まれ」など、赤

色の標しきは、ぜったいにだめな時に使われているの

かもしれません。信号だって、赤は「止まれ」だし、

だじゃれだけど、「あかはアカン」とよくいわれてい

るしね……。

 

ぼくの家の近くには、青い丸に、白で親子と自転車

がかかれている標しきがあります。調べてみると、「自

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転車および歩行車専用」とありました。やたらと長い

名前だけど、見た目ですぐに分かります。青色が多い

から、よさそうなふんいきだし、人と自転車が通って

もいい道路だなと。これも信号の青の「進め」と同じ

みたいです。

 

こうしてじっくり標しきを見ていくと、そのべんり

さがよく分かります。信号と同じで色でいいのか悪い

のかを判だんできます。そしてマークで何を意味する

かも分かります。何よりスピードを出して走っていて

も、すぐにお知らせしたいことが理かいできてしまう

のです。すごいぞ、標しき。でも、こんなに人にやさ

しく分かりやすく教えてくれる標しきや信号なのに、

かんたんに無視する人がいます。命は一つしかないの

です。やり直しはできません。だからぼくは、信号や

標しきをよく見てしっかり守り、一つしかない命を大

切にしたいと思います。

愛知県あま市立甚目寺南小学校

四年 

船ふなおか岡

 夏なつき妃

命を守るひょうしき

 「その車とまってください。」

とつぜん大きな声がしました。まわりをよくみると私

が乗っていた車の前の車の人にけいさつの人が話しか

けていました。

 

わたしは、びっくりしました。なぜかというと前の

車の人は、わるいことをしてないと思ったからです。

 

するとけいさつの人が、

 「そこ一時ていしですよ。止まりましたか?」

と言っているのがきこえました。

 

わたしはやっと前の車が止められている理由がわか

りました。そこは一時ていしのひょうしきのある道で

した。その時、お母さんが、「このひょうしきがある

ところでは、車はかならず一度とまって左右を確認し

ないといけないのよ。」と教えてくれました。私は心

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の中で「前の車はゆっくり走っていたのにそれじゃだ

めなのかな?」と思っていました。

 

そして次の日、私は自転車に乗って、おかいもの

に行きました。するときのうの道を通りかかりまし

た。そしてきのうのことを思い出し、左右を見てか

ら、わたろうとしたとき左から車がきているのが見え

ました。そこは一時ていしのひょうしきが立っている

ので、車の人がそれを見ていれば、とまってくれるは

ず、と思って見ていました。するとその車は一時てい

しのひょうしきにきづき、止まってくれて、さきにわ

たっていいよ。と合図してくれました。もしわたしが

左右をかくにんしていなくて、走ってきた車も一時て

いしひょうしきに気付かなかったら、どうなってい

たでしょう。車のスピードがゆっくりだったとして

も、私と車はぶつかっていたと思います。「やっぱり

一時ていしのひょうしきがあるところでは一度きちっ

と止まって左右の安全をかくにんしないといけないん

だぁ。」とあらためて思いました。一時ていしのひょ

うしきは、命を守ってくれるひょうしきだと思います。

車のための物ではなくて、車にのらない人もひょうし

きの意味をりかいして行動できたらじこはもっとへる

と思います。

 「おはよう!」と

 

またいつもと同じ一日が始まります。

 「行ってきます!」

 

私がげんかんで元気にあいさつをすると、

 「がんばって。」

 

お父さんの声がします。

 「気をつけてね。」

 

お母さんの声もします。

 

そして、私は元気にたくさんのひょうしきにかこま

れた外へととびだします。

 

私たちの生活や命は、たくさんの人とルールに守ら

れているのです。

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愛知県あま市立甚目寺東小学校

四年 

杉すぎ

 帆ほだか高

ぼくが事こにあって気づいたこと

 

四年生になったある日、ぼくは事こにあいました。

自転車で友達と習い事に行くと中に信号のない交差点

で自動車とぶつかったのです。ぼくの飛び出しが原因

でした。

 

いっしょにいた友達は、そばにいていろいろ聞いて

くれましたが、ぼくはただただいたくて泣いているこ

としかできませんでした。お父さんやお母さんもすぐ

にかけつけてくれたり、まわりにはものすごいたくさ

んの人が集まってきたりして、ぼくは大変なことをし

てしまったんだと思いました。

 

きゅう急車で運ばれている間、この先ぼくはどう

なってしまうんだろうと考えると不安になり、またな

みだが出てきました。病院のけんさでこしのほねを

こっせつしていることがわかりましたが、手じゅつの

必要のないところのこっせつだったので医者や両親が

不幸中の幸いだと話していました。ただ、歩けるよう

になるまで二日間入院しました。最初は歩くのが怖く

て一人でトイレも行けませんでした。い動する時は車

いすを使ったり、立ったりすわったりする時にはだれ

かに支えてもらわなければなりませんでした。ぼくは

入院中の二日間だけですんだけど、この生活が一生つ

づいていたかもと思ったら、ぞっとしました。

 

たい院して登校すると、たくさんの先生や友達が、

 「もう大じょうぶなの?」

 「何か手つだってほしいことがあったら言ってね。」

などと、やさしく声をかけてくれました。ぼくはうれ

しいようなはずかしいようなふくざつな気持ちでし

た。そのことを帰ってお母さんに話したら、

 「その分みんなに心配かけたんだよ。」

と言われ、ぼくに何かあると悲しむ人がたくさんいる

ことに気づき心がじんとしました。

 

事こにあってしばらくは、もう二度と自転車なんか

に乗りたくないと思っていました。でも生活する中で

やっぱり自転車に乗る自信をつけるために、お父さん

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やお母さんといっしょに自転車で出かけ交通安全につ

いて見つめ直してみることにしました。

 

すると道路にはたくさんの標しきがあることにあら

ためて気づきました。「止まれ」では左右をかくにん

するなど学校の交通安全教室で当たり前だと思ってい

たことが自分にはできていなかったり、見のがしてい

たりすることの多さにおどろきました。また友達と

いっしょだと調子に乗ってついスピードを出しすぎて

しまう自分のせいかくも問題だとわかりました。

 

今回事こにあったことで、怖さや不安など様々な感

情と向かい合い、大切なたくさんのことに気づかされ

ました。これからは、その気づいたことを、ちゃんと

心がけながら自転車に乗っていきたいです。

香川県仲多度郡多度津町立多度津小学校

四年 

啓けいだ田

 勇ゆうが雅

シートベルトの大切さ

 

一年前の夏、ぼくのおじいちゃんが事故を起こしま

した。夜、仕事の帰りに赤信号でとまっているときに、

とつ然意しきを失って、アクセルをふんでしまったそ

うです。そして電柱にぶつかり、救急車で病院へ運ば

れました。病院で検査をしたら、何と頭の病気が見つ

かりました。それが原因で、事故を起こしたのだそう

です。後からお母さんに聞いたのですが、おじいちゃ

んがのっていた車は、形が分からないぐらいグチャグ

チャにこわれていたそうです。よかったのは、相手が

いない「自そん事故」という事故だったということと、

軽いけがだけですんだということでした。

 

頭の病気のせいで入院は長かったけれど、打ぼくだ

けの軽いけがですんだのは、きちんとシートベルトを

していたからだそうです。シートベルトをしていたか

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らエアーバッグが出てきて、おじいちゃんを守ってく

れました。エアーバッグはシートベルトをしめていな

いと、出てこないそうです。シートベルトは、事故の

とき、フロントガラスにぶつからないように体を止め

てくれるだけではなくて、エアーバッグを出してくれ

る役割もあるということを初めてしりました。おじい

ちゃんの事故で、交通事故ってこわいんだな、シート

ベルトって大切なんだなとあらためて感じました。

 

車に乗ったときに、よくお母さんやお父さんに、

「シートベルトをしてよ。」と言われていました。ぼく

は、どうしてシートベルトをしないといけないのかが

よく分からず、体がきゅうくつになるからシートベル

トをするのがとてもきらいでした。でも、おじいちゃ

んの事故をきっかけに、シートベルトをつける意味や

シートベルトの役目を知って、シートベルトをつける

ことがきらいではなくなりました。まだ車に乗ってす

ぐにシートベルトをつけるのを忘れて、お父さんやお

母さんに注意されることもあるけれど、これからは、

言われる前に必ずつけるようにしようと思います。お

父さんやお母さんは、乗るとすぐにシートベルトをつ

けているので、まねをしようと思います。

 

シートベルトは、ぼくやぼくの大切な人の命を守っ

てくれる大事なものです。自分や大切な人のためにも、

車に乗るときは、シートベルトを必ずつける習かんを

身につけたいと思います。そして、クラスメートやサッ

カーの仲間たちなどぼくの大切な友達にも、自分の身

を守るためにシートベルトを必ずつけるようによびか

けたいと思います。

 

シートベルト、おじいちゃんを守ってくれてありが

とう、大切なことを教えてくれてありがとう。交通ルー

ルを守って、正しく車に乗ります。

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山形県尾花沢市立尾花沢小学校

五年 

笹ささはら原

 天たかし志

飛び出し

 「キキー。」と音がして、ぼくの目の前で車が止まり

ました。その時のぼくには、何が起きているのか分か

りませんでした。ぼくは、

 「いってきます。」

と言って家を出ました。家を出た時は、友達と遊びた

い気持ちでいっぱいで、左右の確認もせずに道路に飛

び出しをしてしまったのです。

 

ぼくは止まってくれた車のおばさんにおじぎをして

帰ろうとしました。道路の向こう側でお母さんが、

 「天志ー。来いー。帰ってこい。」

と呼んだので、ぼくは道路にもどりました。

 「すみません。申しわけありません。天志もあやま

りなさい。」

とお母さんは何度もおばさんに頭を下げてあやまりま

した。おばさんは突然の事で動けなくなってしまいま

した。その時のぼくには、どうしてなのか分かりませ

んでした。お母さんは、ずっと頭をさげながらおこら

れていました。何でお母さんがおばさんにおこられて

いるのか、ぼくが飛び出しをしてぼくが悪いのに、何

でだろうと思いました。おばさんは、

 「子どもの飛び出しは親の責任ですよ。もし私がひい

てしまったら私の家族はどうなるんですか。家族をど

うしてくれるんですか。あなたが見ていれば飛び出さ

なかったはずです。私があなたの子どもをひいてしまっ

たら、ずっとその事故を背負って生きていくんですよ。」

と言われました。ぼくとお母さんは泣いてしまいました。

 

お母さんは、仕事をしながらぼくを育ててくれまし

た。忙しくて大変なのに、ぼくが勝手なことをしてお

母さんに迷惑をかけてしまいました。お母さんが知ら

ない人からおこられている姿を初めて見て、それがぼ

くにはショックでした。後からお母さんが、

 「母親失格だなー。ゴメンな。ママが見てやってればな。」

と言っていました。

 

あの時、ぼくは初めて、事故をおこしてしまった人

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のつらさや悲しみ、苦しみを知りました。家族がばら

ばらになったり、仕事を失い、免きょもとられてしまっ

たりするそうです。交通事故は、車でひいてしまった

人も、ひかれた人も悲しくなります。

 

あれからぼくは、左右をよく確認して横断するよう

にしています。将来はぼくも免きょをとる日がきます。

その時は、あの時の気持ちとおばさんに言われたこと

を忘れずに、運転も気を付けなければならないなと思

いました。

茨城県坂東市立逆井山小学校

五年 

石いしつか塚

 光ひかり

自転車大会に参加して

 

私は、今年の6月に開さいされた「交通安全子ども

自転車境地区大会」の選手にえらばれました。筆記試

験と実技試験があり、交通ルールや標識を覚えたり、

安全走行のための練習をしました。

 

その中で、交通ルールを覚えることがとても大変で

した。横断歩道をわたる時に左右を確認することや、

歩道を歩く時は右側通行など、基そ的なことは知って

いました。でも、いろいろと勉強していくうちに、安

全のために大切な、たくさんの交通ルールを学ぶこと

ができました。今回、今まで私が知らなかった交通ルー

ルやマナーについて、紹介したいと思います。

 

自転車に乗る時には、必ず左側から乗ります。右側

から乗ろうとすると、後ろからきている自動車に、注

意することができません。おりる時も、同じように左

側からおります。友達との話に夢中になったり、何か

に気を取られている時は、右側から乗ってしまいそう

になる時があります。でも、自転車に乗っている時だ

けでなく、乗りおりする時も前方と後方の安全を確認

することが、とても大切だと思います。

 

次に、自転車・自動車・歩行者のそれぞれに、信号

機があることを知りました。私は、横断歩道にある信

号が歩行者用だということは知っていました。でもそ

れ以外のものは、全て同じだと思っていました。でも、

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今回勉強したことで、したがわなければならない信号

がそれぞれにあることを知りました。通学や友達の家

に遊びに行く時など、状きょうにあった信号を見るよ

うに、注意したいと思いました。

 

私は、免許証を取らないと乗れないものだけが車両

だと思っていました。でも自転車も軽車両という車両

の仲間だということを学びました。車両ということは、

自転車もお酒を飲んだら乗ることはできません。道路

交通法に従わなかったら、それは違反したことになり

ます。また、道路標識や歩行者にも気を配り、走行し

なければなりません。

 

私は、幼稚園生のころに自転車に乗れるようになり

ました。それから今まで、転ばないようにすることと、

自動車に気を付けることしか、考えていませんでした。

だから、危ない乗り方をしていたかもしれません。今

回、自転車大会を通して、安全のための交通ルールを、

たくさん学ぶことができました。自転車も自動車も、

とても便利な乗り物です。でも、交通ルールやマナー

を守らずに、みんなが自分勝手な乗り方をしたら、交

通事故につながる危険な乗り方になってしまいます。

この経験をいかして、周りの人にも、交通ルールを守

ることの大切さを、教えてあげたいと思いました。そ

れで交通事故が1件でも減ったら、とてもうれしいで

す。私も、今回勉強したことを忘れずに、安全に自転

車を運転できるように、これからも練習していきたい

と思います。

神奈川県南足柄市立北足柄小学校

五年 

大おおの野

 水なないろ

々紅

おたがいの安全のために

 

わたしは、五年生になって塾に通うようになりまし

た。塾へ行くには、近くのちゅう車場でお母さんの車

をおりた後、交通量の多い県道の横断歩道をわたらな

ければなりません。今までは、学校の登下校で家の近

くの横断歩道しか、一人でわたったことはありません

でした。横断歩道には、学校の先生達が旗を持って立っ

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ていてくれるので、わたしはいつも自分で信号を見て

左右を確にんしてわたるというよりも、先生の旗の合

図で安心してわたっていたのです。

 

交通量の多い県道の横断歩道をわたるために、お

母さんと三つの約束をしました。一つ目は、信号をよ

く見て左右を確にんしてすばやくわたる事。二つ目は、

青い点めつ信号のときは絶対にわたらない、もしもと

中で点めつになってしまったら手を上げて急いでわた

る事。三つ目は、何かのひょうしに道路に飛び出さな

いように、信号を待つときは車道から一メートルはな

れた所に立つ事。それから、後ろを向きながら歩いたり、

歩道の車道側ギリギリの所を歩いたりしないという当

たり前のような事も、もう一度お母さんと確にんしま

した。塾に通い始めてたった四カ月の間にいろいろな

車を見ました。横断歩道をわたろうとしているのに右

折してきて、歩行者よりも先に走り去る車。「早くしろ」

と言わんばかりに、わたっている歩行者のすぐ横まで

近付く車。黄色信号をアクセル全開で走り去る車。さ

らには、赤信号なのにもうスピードで走り去る車。こ

の横断歩道を一人でわたるのがこわかったわたしは、

いつも他の歩行者にくっついてわたっていました。

 

でもある日の帰り道、横断歩道にはだれもいません

でした。わたしは、どうしようと思いました。信号が

変わるのを待ちながら、お母さんとの約束を何度も心

の中でくり返しました。そして、青信号になりわたろ

うとしたしゅん間、わたしの目の前を右折する車が走

り去って行ったのです。わたしは、びっくりしたのと

こわかったのとで、思わず後ずさりしてしまいました。

その後も、右折する車がどんどん横断歩道に入ってき

て、ついに信号は赤に変わってしまいました。これで

は家に帰れないと思うとなみだが出てきそうでした。

そして、わたれない青信号を三回待った四回目の青信

号でやっと、右折車がと切れてわたることができまし

た。ちゅう車場で待つお母さんの車に乗って、「おそ

かったね、どうしたの?」と心配そうなお母さんの顔

を見たとき、ほっとしてがまんしていたなみだがどん

どん出てきました。わたしの話を聞いたお母さんは、

「約束を守っていたのは、すごくえらかったね。でもね、

もしもななが手を上げていたのなら車は止まってくれ

たと思うよ。」と言いました。わたしも、そう思います。

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でも、横断歩道を手を上げてわたった事は、学校の交

通安全教室以外ではありませんでした。少し、はずか

しいと思っていたからです。でも、自分がわたりたい

という事を運転手に伝えるためにも、手を上げること

は大事だと考え直しました。おたがいの安全のために、

大切な事だと思いました。

 

これからは、右折車が多いときには必ず手を上げま

す。そして、止まってくれたら、会しゃくをわすれず

に素早くわたるようにします。もう、泣きません。

静岡県磐田市立豊浜小学校

五年 

朝あさくら倉

 悠ゆう

注意一秒一生涙

 

私のお父さんは、オートバイで仕事に行っています。

今年の三月二十六日、その日の朝もいつも通り、お父

さんは元気に、

 「行ってきます。」

と、家を出ました。

 

ところが、夜の九時に帰ったお父さんの格好を見て、

びっくりしました。着ていたダウンジャケットはびり

びりにやぶれて中の綿がとび出しています。ズボンも

やぶれて、足から血が出ています。お母さんと私はと

てもびっくりして、

 「何があったの。」

と聞きました。暗くてよく見えなかったようですが、

道にとび出してきた何かの動物とぶつかって、転んで

しまったそうです。そしてそのままオートバイごと道

路をザーっとすべったそうです。

 「オートバイはこわれていなかったから、家までな

んとか乗ってこれたよ。」

と、お父さんは笑って言いました。本当はこわかった

と思います。でも、私たちを心配させないように、傷

がついたオートバイややぶれたズボンのことを、まだ

新品だったのに悔しいなと気にしているみたいでした。

 

その夜、お母さんは、事故のことを考えると、こわ

くてなかなかねむれなかったそうです。私も、もしも

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お父さんがもっと大きなけがをしていたら、とか、も

しも死んでしまったら、とか、考えるだけでとても悲

しくなりました。

 

もしも、ある日突然お父さんがいなくなったら、ご

飯は食べていけるのかな。ソフトボールやスイミング

は続けられなくなるのかな。キャッチボールの相手が

いなくなっちゃう。野菜も食べなさい、早くねなさ

いって言ってくれる人がいなくなっちゃう。家族旅行

も行けなくなるのかな…。このごろお父さんに冷たい

態度をとってしまうことがあるけれど、いなくなって

しまったら、もう二度と話したりけんかしたり遊んだ

りすることもできなくなるんだな…。そんなこと、想

像しただけで涙が出てくる。

 『注意一秒けが一生』という標語を見たことがあり

ます。今回私は、お父さんの事故を通して、本当に交

通事故はこわいなと感じました。お父さんは、ろっ骨

を折っただけですみましたが、運が悪ければ命を落と

していたかも知れません。一しゅんにして人の命が奪

われることがあるということを知りました。

 

これからも悲しい思いをすることがないよう、毎日、

一秒一秒、交通安全に気を付けて生活したいと思います。

岡山県倉敷市立赤崎小学校

五年 

石いしい井

 快よしかず和

交通事故から学んだこと

 

ぼくは、小学一年生の冬に交通事故にあった。お兄

ちゃんといっしょに自転車で近所の友達の家に遊びに

行っている時だった。お兄ちゃんの自転車について行

くのにせいいっぱいで、つい道路を飛び出してしまっ

た。そして右から来たバイクとぶつかり飛ばされてし

まった。気がつくとひたいから赤い血が流れていて、

その後、救急車で病院へ運ばれた。

 

このことがきっかけで、ぼくは五年生になった今も

自転車に乗れない。自転車に乗ると足がすくむのだ。

四年生の交通安全教室で、安全に自転車に乗る練習を

した時、ぼく以外の友達は、みんな上手に自転車に乗

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れていた。しかし、ぼくはフラフラして上手に乗るこ

とができなかった。

 

ぼくは、もう少しで中学生になる。このままではい

けないと思う。だから、中学生になるまでには、自転

車に乗れるようになりたい。そして道路でも安全に自

転車に乗れるようになりたいと思う。

 

このことを、お母さんに相談した。すると、お母さ

んも、ぼくが今まで自転車に乗ろうとしなかったこと

を心配していて、さっそく、自転車を買ってくれるこ

とになった。

 

ぼくは、図書館で安全に自転車に乗るための本を借

りて読んでみた。読みながら、あの事故のことをいろ

いろと反省してみた。

 

その一つが、ヘルメットを着用していなかったこと

だ。いつもはきちんとかぶっていたのに、あの日はヘ

ルメットがこわれていたのでうまくかぶれず、自転車

のカゴに入れていた。本には、自転車の事故で頭を打っ

て死んでしまった人がとても多く、ヘルメットを正し

くかぶっていたら多くの人の命が助かっていたと書か

れていた。ぼくも、あの時死んでいたかもしれないと

思うとゾッとした。ヘルメットをかぶることの大切さ

がすごく分かった。

 

それから、もう一つ反省することがある。それは、

本の「集団で自転車を走らせる時の注意点」が書いて

あるところに「道路の横断、転回、交差点の横断は一

人ひとりが自分で安全を確認しなければならない」と

書いていたことだ。ぼくは、これができていなかった。

お兄ちゃんについて行くことに必死で、ぼくは左右の

安全を確認できなかった。集団で自転車を走らせる時

も、一人ひとりが自分で安全を確認することの大切さ

がよく分かった。

 

このようなちょっとしたあやまちが、大きな事故を

引きおこし、自転車事故で多くの人が命をおとしてい

ることを知った。ぼくは今、ちゃんと命があって元気

に生活もできていて本当に幸せだと思う。

 

これから、少しずつ自転車が上手に乗れるように練

習をがんばっていくけど、上手に乗れるようになって

も、事故から身を守る気持ちをいつも持っていようと

思う。そして、ぼくのように交通事故にあう人がいな

くなるといいなあと思う。

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茨城県結城郡八千代町立安静小学校六

年 

小こいわい祝

 絢しゅん

危ない、危ない

 

その日ぼくは、母の車の助手席に乗っていとこの家

に遊びに行った。後部座席には兄が居て、居ねむりを

していた。この先の信号が赤になろうとしていたので、

母は車を止めようとブレーキをかけようとした。

 

その時だ。信号のすぐ手前から軽トラックがバック

してきたのだ。母はおどろいたがすぐに急ブレーキを

かけた。ぶつかると思ったぼくは、足をつっ張って身

構えた。ねていた兄も急ブレーキでシートベルトに

引っ張られ、目が覚めた。

 

軽トラックとぼくたちの乗った車とのきょりは一

メートルほどになっていた。母は車をおりて軽トラッ

クの方へ歩いて行った。

 「ちょっと、おじさん、危ないですよ。」

 

母が話しているのを聞くと、どうやら年をとったお

じいさんのようだった。母は少し話をしてもどって来

ると、おこったようにこうふんしているようだった。

母によれば、運転していたのは八十歳のおじいさんで、

つい最近自動車学校で教習を受けてきたようだ。「車

は通らないだろうし、来てもよけてくれる」と思って

バックしたらしい。自分の勝手な判断で事故になるか

もしれないという考えはなかったのかもしれない。

 

ぼくたちはまだ車を運転することは出来ないが、自

転車に置き換えて考えると、とんでもないことだと思

う。これでは、命がいくつあっても足りないだろう。

大の大人が、しかも人生経験も豊かな大人がやるべき

ことではないとぼくは思う。車を運転するということ

は、かけがえのない命を危険に巻き込まないよう、注

意しなければならないということだ。「危ない、危ない。

もう少しでぶつかるところだった。」ではなく、「危な

い、危ない。子供が居るかもしれない。自転車が出て

くるかもしれない。気を付けて運転しよう。」という

発想を持って行動することが大事だと思う。

 

これからの未来には、絶対に事故にならない車や危

険を未然に防ぐことのできるセンサー付き自転車など

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が作られるようになるかもしれない。しかし今は、今

ある物を使って事故を防がなければならない。

 

自分が気を付けることで、少しでも事故が減るなら

ば、「危ない、危ない。」の発想と行動を続けていきた

いと思う。

長野県諏訪郡下諏訪町立下諏訪南小学校

六年 

御みこしば

子柴 育すぐみ実

今、私にできる交通安全運動

 

今まで交通安全のルールは小さなころから父と母に

教えてもらったり、保育園や小学校で交通安全教室を

受けてちゃんと身につけているので「私は交通事故な

んかにあわない。」と思っていました。また、「手をあ

げないにしても左右は見てるつもりだからひかれない

だろう。手をあげるのはちょっとはずかしいね。」と

も思っていました。

 

でもそんな私が先日、事故にあいそうになってし

まったのです。その時は、妹と手をつなぎポストへ手

紙をだしにいった帰りでした。道の反対側に後を追っ

て迎えに来てくれた父と母を見つけた時、私たちは父

と母のほうへ早くいきたくて信号のある横断歩道を渡

らずにそのまま道路を横断してしまったのです。その

時、右側から車が来ていたのですが左右を確認せずに

渡ってしまったので車が来ていることに気がつかず私

たちはひかれる寸前だったそうです。その後は、父と

母にものすごく叱られました。夕飯の時もお風呂に

入っているときも何度も何度も交通安全のルールにつ

いて聞かされて正直「もう、うるさいな。」と思って

しまいました。でも寝る前冷静になって、あの時のこ

とを思い出しながら父や母に言われたことをふり返る

と恐怖がおそってきました。あと一秒おそかったら私

はひかれて命を落としていたかもしれない。車を運転

していた人も私たちのせいで人生が変わってしまった

かもしれない。もしかしたら、妹だけを失って私は一

生後悔して苦しい人生になったかもしれない。そして

私たちを失った両親がどれだけ悲しむかも考えまし

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た。すると両親がいってくれた数々の言葉をありがた

いなと感謝の気もちに変えることができました。

 

今回の出来事を通して、「命はすごく大切」という

ことを感じると同時に交通安全のルールをなぜ守らな

くてはいけないかということが身にしみて分かった気

がします。ルールは私自身や家族を守ってくれるため

に作られているのだから、これからは自分の大切な命

を守るために自分の目で安全を確かめるようにしま

す。友達の中にも以前の私の様に「自分は大丈夫だろ

う」と思っている人がたくさんいると思います。しか

し、ルールを守らなければ誰もが事故にあう可能性が

あります。だから、私の様に危険な目にあってみない

と交通安全のことを深く考えられないだろうと思うけ

ど、事故にあってからではおそいので私のこの失敗し

た経験を友達に話し、みんなが交通安全を意識できる

よう身近な所から周りに広めていきたいです。それが

今私にできる交通安全運動です。

岡山県総社市立総社中央小学校

六年 

宗そうた田

 結ゆづき月

私にできる交通安全

 「ならんでー!!」

 

この一言で今日の一日がスタートします。

 

私は、総社中央小学校の六年生です。私の地区は、

西総社という地区で、四十一名います。私の地区では、

一班から四班の順にならんで学校に行きます。私は、

今年六年生になったので地区長をして、一班の班長で

もあります。

 

私たち六年生は、登下校の時とても気をつけている

ことがあります。それは、自転車通学の人と時間が、

かぶる時のことです。中学生が、急いで行くので、自

転車をとばして乗っています。とても危ないので、近

所のおばあちゃんやおじいちゃんたちが立っていて、

声かけをしてくれています。私たちも、自転車や車が

来ていないかどうかを確かめていますが、後ろの方の

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人が、見えにくいので、危ないです。そのために、地

区のみんなで学期に二度ほど集まってよりよく登校す

るための話し合いをしています。登下校の確にんや、

交通ルールなどを確かめ、反省をし、次にそのことを

気をつけています。

 

私たち六年生が一番工夫していることは、ならび方

です。毎日安全に学校に行くために一番大切なことだ

と私は思います。一年生は初めて学校に一人でならん

で行くので、六年生や大きい学年の人の目にとどくよ

うに、班長のすぐ後ろと、副班長のすぐ目の前にして

いつも気にかけています。他の学年の人が二列三列に

なっていて、後ろから車が来ていることに気がつかな

かったら危ないので、他の学年の人のこともよく見て

います。

 

私たちは、いつもの班の様子を見て、

 「この人は、しゃべっていて、まわりを見ていない

から危ないんじゃない。」

など、みんなで考えて、班のメンバーをチェンジさせ

たりして、安全に学校に行けるようにしています。ま

た、登校班カードといってきちんとならべているかど

うかを確かめるカードがあります。そのカードは、記

録してあるので、前のときよりも、きちんとならべて

いるかどうかを確かめることができます。

 

私が卒業するときに、「地区長さんありがとう。」と

言われるように、今できることをみんなで協力してや

りたいです。

 

そして、来年の班長にも私たちが心がけたことを引

きついでもらいたいです。今のうちに、小さい学年の

人に、いろんなことを教えてあげたいです。

香川県丸亀市立城北小学校

六年 

太おおた田

 雅まさと人

少しの心がけで

 「キキーッ。」ぼくは一度、自動車と歩いている人が

ぶつかりそうになり、間一ぱつ、事故をまぬがれた現

場にそうぐうしたことがあります。この時ぼくは、お

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父さんの車に乗っていて、信号待ちをしていました。

そして、一人の男の人が走って来るのが見えました。

すると、突然、その人が車道を横切ったのです。ぼく

は突然のことでびっくりして、思わず車の中で「危な

い!」と叫びました。その男の人は、左右の確認もせ

ず横切ったため、自動車が来ているのにも気づいてい

ませんでした。幸い、自動車があまりスピードを出し

ていなかったので事故になることはなかったのです

が、この場面を見た時は心臓がぎゅっと痛くなったの

を覚えています。

 

家に帰って、ぼくはお父さんから「さっき起こった

ことを見てどう思った?」とたずねられました。ぼく

は、「とてもこわかった。あの時は、おじさん死んで

しまうんじゃないかってぞっとした。」と答えました。

そしてお父さんは、「あのおじさん、とても急いでい

るように見えたよね。大人でも急いでいたら自分のこ

としか考えられなくなって、周りの動きや状況が見え

なくなってしまうんだよ。だから、雅人も交通に注意

すること、出発する時間も考えなければいけないよ。」

と言いました。

 

ぼくは今まで、交通安全とは、信号無視をしない、

飛び出さない、左右を確認する、運転中はけい帯電話

を使わない、自転車の二人乗りをしないなど、自分自

身が十分注意をして、交通ルールをきちんと守ってい

れば大じょうぶだと思っていました。しかし、お父さ

んの話しを聞いてからは、交通ルールを守るだけでな

く、出かける時間や時間帯を考えることも交通安全に

つながるのだと気づきました。例えば、友達と待ち合

わせしていたら、あわてないように集合時間の五分前

につくように家を出発する、自動車や自転車の通行が

多い道はなるべくさける、など周りの状況に気をくば

ることは誰にでもできることだと思います。あのよう

な場面にそうぐうして、自分があのおじさんの立場

だったらと思うと、本当にこわいけれど、時間や心に

ゆとりをもつことは交通事故を防ぐための方法の一つ

であると分かりました。

 

ぼくは、来年から中学生になります。自転車にのる

時間が増えたり、学校から帰る時間も遅くなったりと、

今までよりもっと交通安全に注意しなければならなく

なります。この世にたった一つしかない命をちょっと

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した不注意で亡くしてしまうなんてぼくは絶対にいや

です。交通事故は少しの注意、心がけで防ぐことがで

きると思います。一人ひとりの交通安全への意識が事

故防止になり、「事故ゼロ」へとつながっていくのです。

ぼくは、将来、「事故ゼロ」の街が実現することを願っ

ています。

長崎県島原市立第一小学校

六年 

白しらかべ壁

 和かずあき晃

六年生のぼくにできる事

 

今年の四月、ぼくの弟が一年生になった。入学した

日から、毎朝ぼくは弟と一緒に登校する事になった。

初めて弟を連れて登校した日はいつもより十分も多く

時間がかかってしまった。弟はぼくの後ろをついて歩

くので、ぼくは何度も後ろを振り返りながら歩き、と

てもつかれたのを覚えている。歩き慣れている道なの

に、ぼくがゆっくりと歩かないと弟がついて来れない

ので、とても大変だった。

 

弟と一緒に歩くようになって気付いた事がある二つ

ある。

 

一つ目は、弟のように小さい子は周りの車の様子を

よく確認せず、横断歩道を走ってわたっている事だ。

例えば、車がカーブで曲がってきている事に気付かず

にわたっている。そんな時はぼくも、ドキッとする事

がある。

 

二つ目は、歩くスピードがおそいので、急に走り出

したり、下ばかりを見て、よく前を見て歩いていない

事である。ぼくは弟と一緒に登校するようになって、

小さい子ども程、多くの危険にさらされていることを

改めて実感するようになった。

 

ぼくは今、六年生なので弟だけでなく、他の学年の

お世話もしないといけない。ぼくは、六年生になって

森岳交通少年団に入団して活動している。交通安全パ

レードの参加や、他地区交通少年団との交流活動、朝

のあいさつ運動をしている。交通安全のリーダーとし

て、安全で正しい横断歩行を誘導し、交通事故防止に

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努めている。ぼくたち以外にも、先生方やお母さんた

ち、地域の交通指導員の方など、たくさんの人たちに

お世話になっている。佐世保のおじいちゃんも、近く

の小学校の交通指導員をしている。そこで、気付いた

事を聞いてみることにした。おじいちゃんは、

 「道路でふざけている子がいると、とても危険なの

で、注意をする。」

と言っていた。また、

 「一年生の荷物が多い時は、上級生が持ってやるよ

うに教える。」

とも言っていた。ぼくたちが毎日、安全に登下校でき

るのも、いろいろな人に支えてもらっているおかげだ

と感謝しなくてはいけない。

 

毎朝、家を出る時お母さんは、

 「いってらっしゃい。気をつけてね。」

と声をかけてくれる。六年間、毎日の事なので、あた

り前に感じていたが、よく考えてみると、その声かけ

はぼくたちを心配してくれているのだとうれしくなっ

た。そしてその声かけは、一つの見守りにつながるの

ではないかと思った。弟と一緒に登校する時、ぼくが、

 「気をつけて。」

と声をかけてあげれば、きっと弟も気をつけて横断歩

道をわたるようになるだろう。これからは、恥ずかし

がらずに、他の学年の子にも声をかけたい。そうすれ

ば、一人一人が交通ルールを守り、より安全に登下校

できると思う。小学校最後の一年間、登下校の「声か

け」をしていきたい。

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中学生の部

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岐阜県関市立緑ヶ丘中学校

二年 上うえむら村アレックス勉べん

かっこいいとか悪いとかじゃなく

 「ヘルメットはさぁ、とりあえず首にひっかけてお

いて、先生とかに会ったらさっとかぶればいいんだ

よ。」

と、友だちに言われた。うん、そう言う気持ちも分か

る。でもやっぱり、ぼくにとってヘルメットは正しく

かぶるべきものだ。それは、ぼくが身をもって経験し

たからだ。

 小五の時、夕方にお遣いを頼まれたぼくは、いらい

らしていた。めんどうくさくてたまらなかった。たっ

た数分離れた祖母宅に行くだけなのに、いやでいやで

しょうがなかったぼくは、自転車で行くことにした。

 すごいスピードで祖母宅に行き、おにぎりをもらっ

て、またすごいスピードで帰った。下り坂で曲がり角

のところも、加速したスピードのままつっこんだ。そ

して、直進してきた車にぶつかった。自分からぶつかっ

ていったような、そんな感じだった。

 あとは、何が何だかわからない。相手の人や警察の

人に大丈夫かと聞かれ、ぼくはどこも痛くないと答え

た。本当にどこも痛くなかった。両親もかけつけたが、

ぼくは、道路に散らばったご飯粒が気になって、「お

にぎりが…、おにぎりが…。」と必死になってかき集

めていた。

 その後母に連れられて病院へ行き、家に着いたのは、

九時半過ぎだった。祖母は、ぼくの家で待っていてく

れた。悪いのはぼくなのに、「おばあちゃんが、お遣

いを頼んだばっかりに…。ごめんね…。」と何度も謝

られた。

 母が小学校に連絡を入れたら、担任の先生がわざわ

ざぼくに会いにきてくれた。遅いし、無事なのでと電

話でも伝えたが、それでも、「勉君の元気な顔を一目、

最優秀作   

内閣総理大臣賞

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見たいので…。」と十時ごろ家に来てくださった。

 こうして、ぼくにとって、これまでの人生で一番長

かった日が終わった。

 翌日、自分の身体を見てみたら、太ももの内出血が

すごかった。痛みもあった。

 かけていた眼鏡は、こわれて使えなくなっていた。

自転車も、大きく曲がって、廃棄しなければならない

ほどだった。

 ぼくは、一人になって、昨日のことを、改めて思い

返していた。事故って、一瞬の出来事だけれど、車の

スピードやぼくの飛び出すタイミング…いろいろな要

素がからんでいる。その時に、何かがちょっとでも違っ

ていたら、ぼくは今、生きていないかも…そう思った。

 はっとした。腹を立ててお遣いに行った時、自分で

は意識していなかったけれど、ヘルメットはかぶって

出かけたんだ。もちろん、あごひももしっかりと締め

て、「ぼくのヘルメットは。」と母に聞くと、ヘルメッ

トをぼくに手渡してくれた。ヘルメットは、割れてい

た。

 ぼくが、これだけの軽症ですんだのは、ヘルメット

に守られたからだ。もしかぶっていなかったら…と考

えると、さっきよりもまして、今、生きていなかった

可能性の大きさに気付かされた。

 ヘルメットをかぶるなんてかっこ悪いという人もい

る。でも、ぼくは、ヘルメットに救われた。だから、

ヘルメットは絶対にかぶる。命を落とすことも悲しい

し、周りの人をこんなにも悲しませるということも

知ったから。友だちにもこのことを強く伝えていきた

い。

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福井県越前市武生第三中学校

一年 坂さかした下

 寿としあき明

黄色い旗のこと

 僕の家の前を通る道路は、車の往来が激しく、朝の

通勤時間帯や夕方の帰宅時間はいつも渋滞している。

 曾祖母は、道路を渡った先にある畑に行くとき、近

くの横断歩道を渡るのがとても大変そうだった。車が

来ていないことを確認して渡り始めるのだが、歩くの

が遅いので、遠くにいた車もあっという間に近づく。

「押しボタン式の信号がつかんかなぁ。」と言っている

うちに、曾祖母は他界してしまった。

 数年前、その横断歩道に、「横断中」と書かれた黄

色い旗が設置された。旗は、電信柱にくくりつけられ

たケースに入っているが、風で吹き飛ばされるのか、

どぶに落ちていたり、道路に落ちて車にひかれてバラ

バラになっているのをよく見かけた。

 僕は、学校に行く時や遊びに行く時、その横断歩道

を渡るけれど、その旗を使ったことは一度もなかった。

誰かが使っているのを見たこともなかった。誰も使わ

ないのに、壊れて少なくなると、新しい旗が補充され

ている。もったいないなぁと思っていた。

 夏休みに入って、八時過ぎに部活に行こうと家を出

たら、相変わらず朝の渋滞が始まっていた。道路を渡

るのが大変だなぁと思っていたら、横断歩道の反対側

に、保育園に行くらしい親子がやって来た。女の子は、

あの黄色い旗を取りに行って、通り過ぎる車に振って

見せていた。「みんな急いでいるのに、止まってくれ

るわけないよ。」そう思っていた僕は、車の流れが少

し途ぎれたら走って渡ろうとその瞬間を待っていた。

 すると、女の子の旗に気付いて車が止まった。女の

子はうれしそうに旗を振り、お母さんは止まってくれ

た車の運転手に頭を下げてお礼をしながら渡っていっ

た。ついでに、僕も反対側に渡ることができた。僕は

優秀作 

内閣府特命担当大臣賞

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「こんなことってあるんだなぁ。」と驚いた。

 数日後、午後の車の往来があまりない時間に、郵便

局から出てきたおじいさんが、やはり黄色い旗を持っ

て、横断歩道を渡っているのを発見した。車は来ない

のだから、わざわざ旗を持って渡る必要はないのに、

旗を前にかざして横断歩道を渡り、旗を持ち手にてい

ねいに巻きつけて、向こう側の電柱にあるケースにさ

して去って行った。きっと黄色い旗は遠くからでも目

立つので、安全のために持って渡ったんだろうと思っ

た。

 僕が知らなかっただけで、「横断中」の黄色い旗は、

ちゃんと役目を果たしていた。

 それからは、黄色い旗がはみ出ていたり、落ちてい

たりしていたら、ケースに戻すようになった。ケース

の中の旗の数が、こちらの方が本数が多くて、向こう

側が少ないようなら、二本ほど持って渡って、追加し

ておくことにしている。いつでも、誰でも、安全に渡

れるように……。

宮城県仙台市立山田中学校

二年 清しみず水

 ひなの

尊い命を守る為に

 (ひかれる!)

 そう思った瞬間、ものすごいブレーキ音をたてなが

ら、バスは私の目の前スレスレの所で停まった。運転

手さんは今にも心臓が止まりそうな青ざめた表情でハ

ンドルを握り締めていた。バスの中のおばさんはえら

い剣幕で、

 「危ないじゃない!」

と怒鳴った。

 その日、私は近所の友達の家に遊びに行き、その帰

り道、坂道を上っていたら道路の向こう側に母と弟の

姿を見つけ、

 (あ、迎えに来てくれたんだ。)

と思い、一目散に坂道を駆け上り、そのままの勢いで

道路に飛び出した。

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 「―――――――――!」

 何かを母が叫んでいる。きっと私を呼んでいるのだ

ろう。急がなきゃ。更に加速して一気に道路を渡り切

ろうとした。その時、目の前にバスが急停車したのだ。

初めは何が起きたのか訳がわからずにいたが、顔面蒼

白の運転手さん、ざわついている乗客、何度も頭を下

げている母の姿を見ているうちに、次第に、

 (どうしよう。大変な事をしてしまった…。)

という気持ちでいっぱいになった。

 家に帰ってから、あの時母は私を呼んでいたのでは

なく、

 「危ない! バス来ているから渡っちゃだめ!」

と叫んでいたと知った。そして、ちょっとした不注意

から大事故を招きかねない事。私の身に何かあったら

多くの人が悲しむ事。一度失った命は二度と戻らない

事。等をよく分かるように話してくれた。話をして暫

く経った後、母は持っていた花瓶を落として割ってし

まった。あの時からずっと手の震えが止まらなかった

のだと言った。その時私は、

 (もう二度と心配させる様な事はしない。)

と固く心に誓った。

 近年は、危険ドラッグや飲酒運転、よそ見運転等で

重大事故を起こす人も少なくはない。運転する側のモ

ラルももちろん必要だ。しかし、歩行者側も不用意な

飛び出しや信号無視、ながらスマホ等危険行為が増え

ている様に感じる。

 皆がお互いを思いやり、きちんと安全ルールを守る

事により、痛ましい事故で悲しむ人が少ない世の中に

なるのではないかと思う。少なくとも私はそうありた

いと思う。

 じりじりと照りつける暑い夏が来ると、私は小学二

年生の時のあの恐怖体験を思い出す。今年、上の弟が

あの時の私と同じ小学二年生になった。下の弟は来年

小学校に入学する。弟達もこれからますます活動範囲

が広がる事だろう。

 自らの力で尊い命を守る為にも交通ルールをきちん

と守る様、私からも伝え続けたいと思う。

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青森県

私立青森山田中学校

三年 髙たかはし橋

 遥はるな菜

心のゆとり

 「あそこの三差路のとこ、信号つくんだって。」

 「えっ、そうなの? 良かったぁ! あそこ危ない

もんね〜!」

 最近、家の近くの三差路に信号機がついた。そこは

病院への入口になっていて、早く診察券を出すためな

のか、駐車場を確保するためなのか、朝から結構なス

ピードを出して車が走っている道だ。通学路でもあり、

横断歩道もあるのだが、なかなか車が止まってくれず、

私は毎日のようにイライラしていた。なので、信号機

がつくと聞いてとても嬉しかった。

 「よしっ、これで朝からイラつかなくても良くなる

ぞ!」

 しかし、信号機がついた数日後、それは起きた。青

信号を確認して渡ろうとしていた私の目の前を一台の

車が横切ったのだ。間一髪、衝突はせずに済んだが、

心臓が口から飛び出るほどびっくりして、少しの間、

その場でぼーっとしてしまった。

 「私のことが見えなかったの?」

 「信号機がここについたことを知らなかったの?」

 いろいろなことが頭をよぎった。家に帰って家族に

も話した。

 「こっちはちゃんと交通ルールを守ってるのに、な

んでこんな目に遭わなきゃなんないの? ホント、信

号無視なんてありえない!」

 いつの間にか驚きや怖さは怒りに変わり、興奮気味

に話していた。すると、それに反して母は落ち着いた

様子で言った。

 「今日、起きた出来事を防ぐことはできなかった

の?」

 「防ぐこと?」

 「自分は何一つ悪くないって思ってない? 危険は

至る所にあるんだよ!」

 今朝はいつもより支度に時間がかかり、少し遅めに

家を出て焦っていた。運よく病院前の信号が青だった

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から、急いで渡ろうとして……。

 私はハッとした。信号機がつくまでは用心して渡っ

ていた横断歩道。最近は左右の確認もせず、信号の色

だけを見て渡っていたのだ。自分がしっかり交通ルー

ルを守っていれば、事故に遭うことはないという思い

込み、油断が自分の中にあったのだ。怒りがすーっと

消えていった。

 「確かに信号無視は悪いこと。でも、事故に遭わな

いためには、自分も常に注意を払わないと。自分の身

は自分でしか守れないんだから!」

 次の日から私は、それまでより五分早く家を出るこ

とにした。周囲に注意を払うためには気持ちにゆとり

がないと! そのためには、まずは時間にゆとりを持

たないと! と考えたからだ。交通ルールを守るのは

当然のこと。そして、更に事故を遠ざけるために、い

つも心にゆとりを持っていよう。交通事故なんかに私

の未来を邪魔させないんだから!

栃木県栃木市立栃木東中学校

一年 井い

ど戸 允みつき月

身近な人の事故死

 僕のまわりの誰かが交通事故で命を落とす。そんな

体験や経験は想像も出来ないことでした。

 母の叔父は、母が小学四年生の冬、二十四歳の若さ

で交通事故に遭い亡くなってしまったそうです。僕は、

今までその事実を知りませんでした。

 母は真夜中に起こされて、父母と交番に向かいまし

た。どしゃ降りの雨の中、その交番の前に広がる光景

は異様だったそうです。一面ピンク色の水たまりと黒

い厚手のビニールシート。それが雨で薄くなった叔父

の血だと理解するのに時間がかかったことを母は覚え

佳作 

 

 

内閣府政策統括官賞

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ているそうです。

 夜遅く、会社から呼び出され、車で向かう途中の事

故でした。雨の中見通しは悪いものの、夜の少ない交

通量を理由に、ほとんどの車はスピードを出し過ぎて

いました。母の叔父の車は路地から突然飛び出してき

たタクシーをよけたために、激しくスリップしました。

そして体は運転席から外へ投げ出され対向車のバスに

のみこまれたのです。即死でした。

 母が最後に叔父と話したのは、その数時間前でした。

弟におもちゃを買ってきたのに自分には文具だったた

め、すねて我がままをたくさん言い、困らせたことを

今も後悔しているそうです。

 あの日、タクシーがきちんと一時停止をして、安全

確認を怠らなければ、皆が速度を守っていれば、叔父

が亡くなることなどありませんでした。叔父と結婚す

る予定だった人を、悲しませることもなかったのです。

祖母の母、曾祖母が、叔父の遺体を抱きしめて、泣き

続け、離さなかった話を聞いて胸が詰まりました。あ

たり前の日常が突然無くなる事の恐さを知りました。

 母が、自転車に乗る僕を過剰に心配する訳も分かり

ました。毎日毎日話をして、喜怒哀楽を共にした人が

消えてしまう。僕には想像もできません。でも、母に

は起こりました。交通安全の大切さは、理屈で分かっ

ているのに守れない。そんな人が大勢いる、それが現

実です。

「このくらいならいいだろう」「めんどうくさい」「ま

さかそんなことはないだろう」。

 心がゆるんだ時、安全は音を立ててくずれていくの

です。

 一人一人が安全を確認し、交通規則を守る、それが

どれ程大切な事か知りました。

 僕も、その一人です。日々、自覚し、努力すること

を心に誓いました。

 母から叔父の話を聞いて、家族で交通安全について

話し合う機会が出来たことは、僕にとって人生を左右

する有意義な出来事だったと思います。本気で安全を

考えることもまた、交通安全の行動の一つだと考えま

す。車を運転する人達にも、伝わってほしい。そう願っ

ています。

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群馬県伊勢崎市立第三中学校

一年 新あらい井

 佑ゆうな奈

思いやりのある運転で事故を防ぐ

 春休み友達が事故に遭った。下り坂を自転車で下っ

て行くカーブの道で自動車とぶつかった。私は先を

走っていたのでぶつかる瞬間は見ていないが、ブレー

キの音と自動車とぶつかる音に驚いて振り向いた。自

転車は飛び友達は道路に倒れていた。すぐに立ち上

がったのでホッとしたけれど、運転手の怒った声に怖

くなった。倒れた友達を心配するのではなく、ぶつかっ

てきた事に対して怒っていた。友達の親に連絡が取れ

たけれど、私も母に連絡をした。母が到着するまでの

間も運転手は怒り続け、自分は悪くないと言い続けた。

言っている事が私が見たことと違う所もいくつかあっ

たけれど、友達は泣き続けていたし、その場ではただ

ただ怖くて言えなかった。母がすぐに飛んできた。少

しほっとした。母の第一声は友達の身体を心配した言

葉だった。

 家に帰り、事故の様子を母ともう一度考えてみた。

場所は下り坂のカーブのT字路。どちらにも一時停止

の標識はない。坂の上には公園があるので、そこを通

る人は一度はひやっとした事があるのではないかと母

が言った。当時、春休みになったばかりで通学用の新

しい自転車でみんな来ていた。楽しくて、慣れない自

転車だというのに注意が足らなかったのだと思う。あ

の時どうすればよかったのか。坂はスピードを落とし

ながら下る。T字路は一度止まって左右を確認してか

ら曲がる。車から自分が見えていないかもしれない事

を意識する。事故の場所に限ってではなく、通学する

道でどこが危ないかを確認した。

 母がさらに付け加えた。車を運転する人の心構え

だった。事故を起こさない様に注意して運転するのは

当たり前。もしも事故を起こしてしまった時は人命救

助が第一にしなければならない事だと。母が駆けつけ

てはじめに友達の身体の心配をしたのは友達だからで

はなかったのか。しかしあの運転手は友達の身体の心

配を一度もしなかった。自分を守る事に必死だった。

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本当なら運転手はあの場で救急車を呼び、警察に連絡

するべきだったのだと母は言った。これは車に限った

事ではないとさらに言った。自転車だって歩行者とぶ

つかってしまうことだってあると。そうなったとき正

しい対応が出来るようになりたいね。事故が起こった

ときはもちろんだけれど、普段から人として思いやり

がある運転を心掛けたいね。と話し合った。

 あの事故からもうすぐ半年が経つ。事故にあった友

達は自転車に乗る事が怖くなっていないだろうかと思

う。私は、ふとした瞬間にあの事故を思い出して怖く

なる。忘れてしまいたいけれど、忘れてはいけないと

思う。忘れない事で事故を起こさないよう気を付け続

けたい。自分の命も、誰かの命も守るために。

愛知県半田市立青山中学校

一年 吉よしだ田

 優ゆうか花

私の交通安全

 私が小学生のころ家の近くの交差点の信号が歩車分

離式信号に変わりました。その交差点は、小学校への

通学路だったので毎日通っていました。信号が歩車分

離式に変わったときは、青信号になるまでの時間が増

えて、面倒くさいなと思いました。

 でも、実際に渡ってみると、車は赤信号で止まって

いて動かないので、慌てて渡らなくてもよくなったし、

一度に二方向へ渡れるようになったので便利だと思い

ました。

 歩車分離式信号は歩行者にとって、青信号の時間が

長くなるので、ゆっくりとしか歩けないお年寄りや身

障者、重い荷物を持った人には便利なようです。また、

右左折の車と歩行者との事故を防ぐ効果もあるので、

歩行者にも車を運転している人にとっても、安全でと

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てもよいと思いました。

 しかし、安全なはずのこの交差点で、私は事故に遭

いそうになったことがあります。青信号になったので、

自転車で横断歩道を渡っていると、背後から車が左折

して来ました。ぶつからなくてよかったけれど、とて

も怖い思いをしました。

 そして母と兄も同じような出来事があったそうで

す。母と兄が、歩道の信号が青に変わったので横断歩

道を歩いて行くと、赤信号で止まっていなければなら

ないはずの車が交差点内に入って来たそうです。信号

を見間違えたのかと思い立ち止まると、その車は赤信

号に気付かないまま怒ったようにクラクションを鳴ら

して、母と兄のすぐ後ろを通過して行ったそうです。

 私自身も、「しまった!。」と思った経験があります。

同じ交差点で私と友達が自転車に乗っていたとき、青

信号になったと思い込んでしまった私がペダルをこい

だら、友達が「まだ青信号じゃないよ。」と言ってく

れました。もしあのままペダルをこぎ続けていたら、

反対方向から来る車にぶつかっていたかもしれないと

思うと、とても怖いなと思いました。

 安全なはずの歩車分離式信号も、歩行者や運転者の

かんちがいや思い込みで、大事故が起こる可能性があ

ります。

 また、交差点で赤信号が青に変わるのを待てずに進

み始める歩行者や運転者もよく見かけます。慣れてい

る道ほど、安全を確認する意識が低くなると思います。

 事故を防ぐためには、まず、歩行者も車の運転者も

どちらともが、交通ルールを守ることが大切ですが、

ルールを守っていれば安全だとは思わないで左右の確

認をしたり、しっかりと周りを見て行動することが大

切だと思いました。

 私は母に、急いでいるときほど、慎重に行動するよ

うにといつも言われています。これからも交通安全に

じゅうぶん気を付けていきたいです。

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三重県名張市立北中学校

一年 森もり

 準じゅんのすけ

之典

命の重み

 僕には、「交通安全」や「命の大切さ」について考

えるようになった出来事があります。

 僕が小学4年生の頃、テニスの試合に行く途中、名

阪国道でスリップ事故にあいました。幸い、他の車と

はぶつからず、車のテールランプが壊れただけで、家

族全員無事でしたが、その時の恐怖は今でも頭から離

れません。

 その日は、雨が激しく降っていて車の窓のワイパー

がひっきりなしに動いていました。テニスの試合の準

備が遅れ、受付時間に間に合わなさそうだったので父

が急いで運転していました。車がトンネル前の坂道に

さしかかった時、スリップが始まったのです。父は普

段から冗談を言って人を笑わせたりするのが好きだっ

たので最初はふざけてわざとゆらゆら運転しているの

かと思いました。しかしいつもとは違う、父のあせり

具合にこれは何かおかしいと気付きました。車は車線

をはみだし、右にふらふら、左にふらふら、ハンドル

がまったくきかない状態でした。妹や、母の悲鳴が車

の中でひびいた時、車がガードレールにぶつかり止ま

りました。その時にやっと事故したんだと分かりまし

た。ほんの数秒の出来事だったのだろうけど、まるで

全てがスローモーションで進んでいるかの様に感じま

した。今思うとあの時死んでいてもおかしくなかった

と思いました。

 僕達は、家に帰ってから、事故の事について話し合

いました。まず事故がおこった原因は2つあると思い

ます。1つは朝、出発するのが遅くなったということ

です。この事に関しては、その前の日に明日の用意を

しておくとか、朝もっと早くおきて準備をするという

事を皆が気を付けないといけないと思いました。2つ

めは、テニスの試合におくれないかと思うばかりに、

運転する父や、まわりの家族があせっていたという事

です。そわそわしていると運転に集中できなくなりま

す。そして僕たちが、

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 「あと、どれぐらいで着く?」

 「間に合うかな。急いで。」とあせらせていた事も気

付きました。もう二度とこんな目に遭わないために僕

たちは対策を考えました。いつも時間にも心にも余裕

を持とうということです。

 今回の事故の時、直接ハンドルを握っていたのは父

でした。しかし事故がおきた原因は車に乗っていた家

族それぞれにあります。ハンドルを握る人も、乗せて

もらっている人も皆が気を付ける事が大切だと思いま

した。

 事故の後、家族全員が無事で本当に良かったと思い

ました。そして自分達の起こした事故によって誰かが

巻き込まれ、怪我をしなくて良かったと思いました。

僕が大人になって車のハンドルを握る時、いつも事故

の事を忘れず、安全に運転します。

兵庫県南あわじ市立南淡中学校

一年 島しまだ田

 新あらた太

家族との約束

 僕は今年の四月から中学生になりました。小学校の

時と比べて中学校までの距離はすごく長くなったし、

徒歩から自転車通学に変わりました。しかも、僕が通

う中学校は山の上にあるので「かのこの坂」という急

な坂がくねくね続きます。

 中学校へ通い始める一ヶ月程前から家族と繰り返し

した約束がひとつだけあります。

 「かのこの坂は必ずスピードを落として帰って来る

こと。」

 たったこれだけでした。僕の父も母も兄も、僕と同

じ中学校に通っていました。三人は、かのこの坂で転

んで大きなケガをした友達を何人も見てきたと言いま

した。かのこの坂は急な坂がくねくね続くのでペダル

をこがなくてもどんどんスピードが上がり、それが面

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白くて、つい友達と競争してしまいたくなるとも言っ

ていました。

 僕も中学校に通うようになってまだ五ヶ月しかたっ

ていませんが、すでに何人もの友達や先輩が転んだと

いう話を聞いたり見たりしました。

 中学生になる直前に、家族からたったひとつだけ出

された約束が、勉強を頑張れ。でも、部活を頑張れ。

でもなく、

 「かのこの坂は必ずスピードを落として帰って来る

こと。」

だった理由がすぐに分かりました。僕が慣れない危険

な登下校でケガをしないように繰り返し約束したんだ

と思います。そして家族がそう想ってくれていること

が何よりもうれしいなと感じました。

 僕はこの約束のおかげで五ヶ月間の中学校への登下

校で転ばずにケガもしないで毎日、学校に通っていま

す。授業も部活も終わりお腹もペコペコで早く家に帰

りたいと思うとついスピードを出してしまいそうにな

ることもあります。だからきっと、この約束がなかっ

たら何も思わずかのこの坂を猛スピードで下っていた

と思います。

 家族で話しあうことで自分だけでは気づかない危険

を防ぐことができると分かりました。中学校を卒業す

るまでまだまだ数えきれないほどかのこの坂を下りて

こなくてはいけないけれど僕はこの約束につまった家

族の想いにこたえるためにもどんなに友達や先輩と楽

しく帰ってきていても急いで家に帰りたくても必ず

ゆっくりと「かのこの坂」を下りてきたいと思います。

僕が三年間、かのこの坂を無事に下りてくることを家

族は一番願っていると思います。

鳥取県西伯郡伯耆町立溝口中学校一

年 田たなか中

 桜かおり里

ありがとう シートベルト

 キキー。バスが急停止。見通しの悪い曲がり角から

左折しようとした車も停まる。その瞬間、体が宙に浮

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いた気がして、気づいたらバスの座席と座席の間の通

路に投げ出されていた。私が座っていたのは後ろの五

人席の中央で、左右には座席があるが、私の前は通路。

四年ぐらい前かな。乗り降りを繰り返していて、うっ

かりシートベルトをつけるのを忘れていた。幸い、私

が投げ出されたところに補助席が出ていなくて、私は

補助席に座っている人に突っこまないで済んだ。

 「話してたらいきなり前に飛び出すからびっくりし

たよ。」

と友達は言っていた。今でも、あの瞬間をよく覚えて

いる。

 私は中学生になった。あの日からずっと欠かさず、

車やバスなどの乗り物に乗る時は必ずシートベルトを

つけている。逆につけていないと落ちつかない。姉は

時々つけていない時がある。その時はいつも言う。

 「お姉ちゃん、ベルトつけて。」

 春の旅行で寄ったサービスエリアの駐車場で、ある

男の子がこう言っていたのを聞いた。

 「パトカーも来んし、ベルトはいーよ。」

 そういう軽い気持ち、もうすぐ着くからとか、めん

どくさいとか、そんなこと思ってつけていなくて事故

で重傷を負ったり、最悪死亡することもある。それが

少し考えれば分かるのに、なぜベルトをつけないのか。

ベルトをつければ事故が百パーセント防げる訳じゃな

い。ベルトをつけていても死亡することはある。でも

前に飛び出したりしそうになった時、きっと少しでも

体をとどめてくれる。精一杯、備えつけられた力の限

り、はたらいてくれる。それで少しでも多くの人が救

えるなら、全員がベルトを必ずつけてほしい。

 私が音楽教室に行く時、父が交差点で右折しようと

した。そしたら真っ直ぐ向かってくる車が走ってきた。

このままだとぶつかるのだと私でも分かった。父がブ

レーキを踏んだ。ぐっと前に押し出されるこの感じ、

あの時に似ていた。でも今回はベルトをつけている。

ガンッとベルトが伸びず、止まった。私はくの字に曲

がって引きもどされた。プアァァァ。相手の車からク

ラクションが聞こえる。衝突…しなかった。生きてる

…。ベルトのおかげで頭から突っこまなかった。その

時思った。

 「ありがとう、シートベルト。」

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 よく部活の大会の会場までの移動で町バスを利用す

る。乗って、ベルトをつけていると、

 「あぁ、ちゃんとそういうのやるんだぁ。」

 「つけるの!? うわぁ、真面目〜。」

とよく言われる。

 でも私は、気づいたら、

 「シートベルトつけようよ。安全のために。」

って言って一人でも多くの人に、ベルトをつけてもら

いたい。事故を防止して、安全に、たくさんの人に、

外出を楽しんでほしい。

栃木県那須烏山市立烏山中学校

二年 深ふかざわ澤

 夢ゆめか花

小さなことから始めよう

 約一年前、私の目の前で交通事故が起こった。横断

歩道をわたろうとしていた親子がいた。小さい女の子

と、お母さんの二人。そこに、一台の車が赤信号にも

かかわらず信号無視をして親子をひいた。さいわい、

お母さんは軽傷ですんだが、子どもの方は気を失って

いて目をさまさない。毛布にくるまってお母さんが子

どもを抱きかかえていた。それから何分かして救急車

や警察がきた。その先のことは、私はよく知らない。

でも次の日、新聞に出ていないかと思い、朝起きてす

ぐ新聞を開いた。そこには、昨日あった交通事故につ

いて書かれてあった。親子をひいた車を運転していた

のは男性だった。ひいた理由は、「信号が太陽の光で

見えなかった。」と書いてあった。たしかにその日は、

とても日ざしが強かったので信号が見えにくくなって

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いた。そして、女の子はというと「事故があって何時

間か後に息を引き取った。」と書かれていた。私は新

聞を読んだあと、とても悲しい気持ちになった。数分

の出来事で一つの命が、消えていったと考えると涙が

あふれてきた。その女の子が亡くなる事故現場を自分

は見ていたのだ。そう考えると、全身にとり肌が立つ

ような恐しさを感じた。

 交通事故というものはひいた人もひかれた人も、さ

らにその家族の心をも悲しみでいっぱいにしてしま

う。今回の事故でなくなった女の子の、お母さんの気

持ちはどれほどつらく悲しい気持ちだろう。いっしょ

にいたのに自分だけが助かってしまってもうしわけな

いと思っていると思う。だからといって、運転手の人

も、わざとやったわけではないのだ。それでも、あん

なにも小さな命を自分がうばってしまったと考えると

一生罪の意識に苦しめられると思う。どちらの人も、

悲しい気持ちでいっぱいだ。だから、私は交通事故を

本当に憎む。心の底から、交通事故のない世界を願う。

 そのための第一歩として、自分にできる、交通事故

防止のための取り組みを始めた。それは、まず、家族

で車にのった時、「安全運転でね。」「スピード出しす

ぎないでね。」と声をかけるようにしたことだ。そし

てお互いにシートベルト着用をチェックし合うように

した。また、時間にゆとりをもって、家を出るよう家

族で取り決めをした。さらに、私は下校の時には、か

ならず反射たすきを着用するようにした。今までいい

かげんに考えていた交通ルールも、命を守る大切な

ルールとして守るようにした。小さなことでも、一人

一人が実行していくことで、少しでも交通事故を減ら

す力になると、信じている。

岡山県都窪郡早島町立早島中学校二

年 髙たかはし橋

 優ゆ

り里

心遣いから始まる交通安全

 「優里さんのおかげで、より一層交通安全への意識

を高める事が出来ました。」

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 夏休み前、小学校のある先生からこんな言葉をいた

だきました。

 なぜ、この様な言葉をいただけたかというと、それ

は、私が中学校に入学した頃からの事になります。

 自転車通学をしている私は、ほぼ毎朝、横断歩道で

小学校のある先生の車とすれ違っていました。この先

生は、私達に気付くと、必ず、

 「どうぞ。」

と、先に渡らせてくれていました。部活動が始まると

その先生とは会わなくなったのですが、テスト一週間

前などの朝練のない日は、また会うようになりました。

すると、やはり、必ず先に渡らせてくれたのです。

 朝は急いでいる車が多く、横断歩道で待っていても、

渡らせてくれる車はほとんどありません。だから、車

が途切れるのを待って、急いで渡らなければなりませ

ん。そんな中で、安全に渡らせてくれる先生にいつも

感謝していました。その気持ちを、

 「ありがとうございます。」

と、先生に聞こえるように大きな声で言えたらいいの

ですが、恥ずかしくてなかなか言えません。だから、

心の中でお礼を言いいながら、頭を下げて渡っていま

した。私は、この事をよく母に話していました。

 そんなある日、母が先生に伝えてくれたのです。す

ると先生は、

 「そんな事を言われたのは初めてです。そんな風に

見ていてくれた事がとても嬉しいです。」

と、言って下さいました。先生からのこの言葉に、私

までとても嬉しくなりました。

 交通安全という事を考える時、私は今まで、ルール

を守るという事を一番に考えていました。もちろん、

基本中の基本、とても大切な事です。ですが、今回の

経験を通して、もう一つ大切な事に気付きました。そ

れは、ゆずり合い、きちんと感謝の気持ちを伝える、

という事です。

 母が、運転中に道をゆずってもらうと、必ず相手の

車に頭を下げています。また、道をゆずってあげると、

ほとんどの方が、お礼の合図をしてくれます。これが、

ゆずり合い、きちんと感謝の気持ちを伝えるというマ

ナーなんだと思います。

 交通安全は、お互いのほんのちょっとした心遣いか

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らなんだと思いました。このような、ちょっとした心

遣いがみんなの心の中にあれば、「ありがとう」の交

通安全の輪が広がると思います。これを機に、私から

広げていこうと思います。

香川県高松市立牟礼中学校

二年 近こんどう藤

 翔しょうま真

母が教えてくれたこと

 僕は、休日に時々、父と弟とサイクリングへ出かけ

る。母は「連れていって。」と言うが、僕達は断る。

それは、前に母を連れて行った時に、「危ない」「左右

確認」などと、散々しかられて何だかいやな気分にな

り、一緒に行くのは二度とごめんだと思ったからだ。

 母は交通安全にはなかなかうるさい。僕がちゃんと

左右確認して道路を渡ろうとしているのに、そばの母

は、手を挙げて渡っているのだ。僕はそれを見て、(や

り過ぎだなあ。恥しいよ)と思う。後で「何で手挙げ

るの。」と聞いてみた。母は、「百パーセント相手の不

注意の事故で、どんなに自分のせいでなくたってそれ

で自分が死んでしまったら、つまらないでしょ。だか

ら、相手に気付いてもらうために手を挙げるんだよ。

ぼーっとしているドライバーの車が走ってくるかもし

れないんだから。」と、すまして言った。

 母が言いたいのは、ドライバーに、自分がどういう

行動をとろうとしているか、知らせる事が大事だとい

うことなのだろう。それでも、僕は中学生だし、手を

挙げて横断するのは幼稚園児みたいで、やっぱりいや

だ。だけど、飛び出しだけは絶対にしないと決めてい

る。母は、こんなこともする。運転中、ハンドルを握

る両手の人差し指を、時々ピンと立ててチカチカ左右

に動かすのだ。幼い頃の僕はそうやることは普通だと

思っていたが、ある時なぜやっているのか聞いてみた。

母は、「これは指さし確認といって、信号が赤になっ

たとか、横断歩道に人がいるかとかをチェックしてい

るんだよ。」と言った。やっぱり母は変だ。誰もやっ

ていないじゃないか。

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 それでも、手を挙げて道を渡るのも、運転しながら

指さし確認するのも、母なりの交通安全の工夫なのだ

ろう。でも、僕がもっと気にしてほしいのは、カッカ

して怒らないでほしいということだ。最も僕たちも反

省すべき点があるかもしれないが。

 家族と車で遠出する途中、たまに道路脇に花が生け

てあるのを目にする。僕は、事故があったんだなと思っ

て、心で手を合わせる。どうして、こんな所で人が死

んだんだろうという所もある。思いも寄らないとこで

死ぬことがあるのが交通事故なんだなと思った。

 僕も、ひやっとさせられたことがあった。直線道路

を自転車で走っていたら、横道から突然車が飛び出し

てきて、急ブレーキを踏まれ、とても怖かった。それ

から、その場所を通る時は、スピードを落とすように

している。

 どんなに注意しても、避けられない事故はあるのだ

ろう。でも、交通ルールを守り、多くのことに気を配

れば、失われなかった命もたくさんあったと思う。

 もしかしたら、僕が今、生きているのも、交通安全

にうるさい母のおかげかもしれない。

佐賀県小城市立牛津中学校

二年 小お

の野 千ちひろ潤

命の重み

 もうすぐお盆、という暑い日に私の住んでいる小城

市のスーパーの駐車場で三歳の子供が車にひかれて亡

くなるという悲しい事故がありました。

 仕事から帰ってきた父が顔をしかめながら、

 「三日月町で三歳の子供が車にひかれて死んどる

て!」

と母に言いました。料理をしていた母はもっと顔をし

かめて、

 「ありゃー」

と悲鳴をあげるように言いました。二人の会話を聞い

ていた私はたった三歳の小さい子が亡くなったことに

かわいそうだなと思いました。父と母の会話は、亡く

なった三歳の子供とその母親の悲しさだけではなく、

車を運転していた加害者を同じ分だけかわいそうと話

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していました。私ももし自分だったらと想像した時、

子供の母親であったなら自分の子供がある日突然亡く

なってしまうのはつらく悲しいことだと思うし、母親

として子供から目を離したことや子供への注意のまな

ざしを怠ったことを後悔するだろうと思う。もし自分

が加害者だったら自分が死ぬまで事故を忘れず苦しむ

毎日になるだろう。そう思った時、父と母の会話が十

分理解できました。

 私の家の玄関には母が書いた書が掛けてあります。

そこには、

 〝みんな元気で無事かえる〞

の字と二匹の元気なかえるの絵が描いてある。毎日何

とも思わず眺めるその色紙を私は思い出していた。も

し私が事故で死んでしまったら父と母はどうするだろ

う。父は仕事に行けるだろうか?

母は、自分も死ぬ

と言いだしはしないだろうか?

そう考えると自分が

どれほど愛されているかを知り、自分のためだけでは

なく両親のためにも命を大切にしなければいけないと

思いました。

 牛津中学校では自転車で踏切を渡る時には自転車を

降りて押して渡るというルールがあります。本当は〝面

倒くさいな〞と思っていたけど学校の先生達も私達の

命を大切に思ってくれているんだなと思うと嬉しいで

す。

 今私は車の免許を持たなくて父と母の運転する車に

乗って行くだけだけど、将来車の運転をするように

なった時命の重みを考えてハンドルを握らないといけ

ないのだと思う。

 事故があった二日後の朝、新聞を開いて母がおくや

み欄にのっている紙面を私に見せてくれた。その母の

顔は悲しみの顔でした。顔も名前も知らない子供だけ

ど、私の住む近くで起きた悲しい事故に私は心の中で、

 「天国に行って幸せになってね」

と手を合わせました。

 事故で悲しむ人や苦しむ人がいなくなってほしいと

思います。

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栃木県河内郡上三川町立明治中学校

三年 角かくた田

 幹かいと人

交通事故にあわないために

 僕の父は、交通安全に厳しい人です。僕が車に乗る

と、必ず、「シートベルトつけろよ」という言葉が飛

んできます。シートベルトをつけるまで絶対、車を発

進させません。母も同じです。

 自転車を乗るときでも、よく注意されます。「タイ

ヤに空気はしっかり入ってるかい。ヘルメットしっか

りかぶるんだよ。車に気をつけてね。飛び出しはしな

いでね」とくどくど言ってきます。僕も小学生の頃は

親の注意を素直に聞いていましたが、中学生になって

からは、交通安全の意識が薄れ、交通ルールを守るこ

とを「かっこ悪い」とか「めんどくさい」と思うよう

になりました。ヘルメットは親が見えなくなるところ

まで来たら、はずしたり、車の方が気をつけてくれる

からと平気で車道を走ったりしました。

 でも、最近そんな自分を見つめ直す機会がおとずれ

ました。小学生の妹が、初めて自転車で出かける日の

ことです。父は「信号は止まるんだぞ。ブレーキは早

めにな。」と、いつも僕に言うより細かく注意をし、

その横で母も、「ヘルメットのあごひもしっかりしめ

てね。横断歩道は気をつけて渡ってね。スピード出し

すぎないでね。」と何度も言いました。妹は、真面目

に父と母の話を聞いて、少し緊張した顔で出ていきま

した。

 妹が出かけた後、僕は妹のことが心配になりました。

公園で自転車の練習をしていた時、いつもよろよろし

ていた妹の姿が目に浮かび転んでいないかな、車にぶ

つかっていないかなと、とても気がかりでした。そし

て、妹を心配しながら、ハッとしました。父も母もい

つもこんな風に僕のことを心配してくれているんだ

と、気づいたのです。妹を心配する立場になって、初

めて両親の気持ちがわかったような気がしました。今

まで、うるさく思っていた父の注意も、僕がでかける

時に必ず言ってくれる、「気をつけてね。」という母の

言葉も、これからは素直に聞こうと、この時改めて思

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いました。

 今では、赤ちゃんを車に乗せる時に必ず取り付けな

くてはならないチャイルドシート。僕が生まれた時は、

チャイルドシートの取り付けは、まだ義務づけられて

いませんでした。でも、僕の両親は、「子どもの安全

のために」「万が一に備えて」と、車にチャイルドシー

トを取り付けてくれたそうです。僕が生まれた時から

ずっと守ってきてもらったこの命。これからは、守っ

てもらうばかりではなく、僕自身が、「自分の命は自

分で守る」という意識を持ち、命を守るための交通安

全について見直していきたいです。

千葉県柏市立中原中学校

三年 石いしげ毛

 南な

ほ帆

放置しないで

 私は、いつも駅の通りを通って不満に思うことがあ

ります。それは、たくさん雑に自転車が放置されてい

ることです。

 去年の十二月、私は塾に行く途中サングラスをかけ

杖を持った七十代ぐらいのおじさんが前から歩いて来

ました。その人は視覚障害者誘導ブロックの上を杖で

歩いていたので私はぶつかってはいけないと思い、端

に寄って歩いていると「ガシャ、ガシャン」と自転車

が倒れた音がしました。私は「まさかっ」と思い後ろ

を振り向くとあのおじさんが倒れていました。私は

急いで助けに行き自転車を起こしました。周りには、

優しい人達がおじさんに肩を貸したり、「大丈夫です

か?」と声をかけるなどしていて私は優しい人達の心

の温かさを感じました。おじさんは擦り傷で済んだの

で安心しました。私は、おじさんに「助けて下さりあ

りがとうございます。迷惑をかけてしまって本当に申

し訳ありませんでした」と言われました。

 しかし、私はおじさんが悪いのではなく放置自転車

をしている人達が悪いと思いました。

 幸い擦り傷だったので良かったですが、もし高齢者

が放置自転車につまずいて転倒し骨折してしまったら

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と考えると、放置自転車が無かったら転ばなかったで

しょう。そして、骨折は大怪我なので誰が責任をとる

のか。私だったらすぐ放置自転車をしている人達に責

任をとってもらいたいです。

 なので私は、こういう経験をしてインターネット

で「放置自転車について」調べてみました。そした

ら、二〇一五年現在の放置自転車の数は全国でおよそ

十三万台だそうです。私はこの数字を見た瞬間とても

驚きました。なぜ普通に放置しているのか、そしてな

ぜ指定の駐輪場に停めないのか。私は、放置自転車を

している人達に迷惑をしている気持ちと視覚障害者に

とってどれだけ邪魔になっているかを伝えたいです。

 また、私は放置自転車の事を元警察官であった母に

話してみました。母は「放置自転車をしている人達は

周りの人を考えていないから怪我をした人がいるとは

知らない汚れた心を持ってる人達なんだよ、だから放

置自転車をしようとした人を注意できる人が正義感の

心を持ってる立派な人だよ。」と言われ私は強く決心

しました。

 それは、母が言っていた「放置自転車をしようとし

た人を注意する」ことです。私は今まで数回そういう

人を見かけた事があります。

 けれど、なかなか口に出せず勇気が出なかったので

次見た時は「放置自転車は止めて下さい。とても迷惑

です」と言えるようにしたいです。

 最後に、放置自転車をしている人達に伝えたいと思

います。放置自転車は視覚障害者や歩行している人に

迷惑です。場所を考えて下さい。私達の生活が少しで

も良くなるために。

東京都調布市立第六中学校

三年 川かわて手

 玲れ

な応和

父の教え

 僕の父は車が大好きです。幕張でやる東京モーター

ショーにも何度も連れていってもらってます。父はス

ピードがすごく出る外国の車に乗っています。でも、

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父が猛スピードを出して運転することはありません。

 家族旅行で高速道路を走っていると、他の車にドン

ドン抜かれ、知らない相手なのに何だか負けた気がし

てくやしそうにしている僕に、

 「お父さんは大事な家族を乗せて運転しているんだ。

安全第一だよ。」

と、父は笑って言いました。ハッとしました。そして、

恥かしくなりました。僕は、運転する上で一番大切な

「安全運転」を忘れていました。

 車中で、両親は結婚したばかりの頃に起きた体験を

話してくれました。僕の両親は父が運転をする車でス

キー場に行きました。スキー場に着く前にレストラン

に寄っていこうと右折するためにウインカーを出して

待っていたら、突然後ろから車が突っこんできたそう

です。父は必死でブレーキを踏み続けましたが、突っ

こんできた車の勢いがすごすぎて対向車線に押し出さ

れ、前方からきた大型トラックの下にめりこみまし

た。ぶつかってきた車は飲酒運転で、レスキュー隊が

車を切断し、人を中から出すほど車はつぶれてしまい

ました。今でも特に寒い日の朝は母の体は痛むようで

す。その事故からもう十数年も経っているのに事故は

終わっていないのです。

 両親から話を聴いて、どんなに運転を気を付けてい

ても、事故に巻き込まれることもあるんだと知りまし

た。

 そんな経験があるせいか、ことのほか僕にシートベ

ルトの大切さを父は話します。両親はシートベルトを

していたので助かり、僕が生まれました。もし、シー

トベルトをせずに車外に吹き飛んで両親が死んでいた

ら、今の僕は存在しません。

 両親からの話を聴いているうちに、僕が赤ちゃん

だった頃チャイルドシートを嫌がって乗せるのが大変

だったという話を思い出しました。僕は覚えていませ

んが、その後成長してジュニアシートになった時、座

り心地が嫌で両親を困らせていた記憶が蘇ってきまし

た。あの頃は嫌だったけど、大切に思って守ってくれ

ていたのだと分かる今は感謝しています。

 僕も大人になったら、かっこいい車に乗りたいです。

そして、その時は、安全運転をするのはもちろんのこ

と、事故に巻き込まれても命を守れるように安全対策

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もしっかりして運転したいです。

 そして、父のように家族を守れる大人になりたいと

思います。

三重県名張市立南中学校

三年 山やまぐち口

 幸さ

き祈

五分のゆとり

 今年の一月、父が車で信号待ちをしている時に、後

ろからドンと車に当たられました。父はバックミラー

で見て「危ない」と感じたそうですが、一瞬の事でど

うにも出来なかったそうです。

 幸い、お互いに目立った怪我はありませんでしたが、

背中に痛みを感じた父は、そのまま警察と病院へ行く

こととなり、思いもかけない長い時間を費やす事にな

りました。家に帰って来てからも、車の修理に関する

事などで、相手や保険の方との連絡の取り合いにとて

もくたびれていました。

 身近での交通事故は初めてで、父が無事で良かった

とホッとしたと同時に、事故って怖いし、事故の後は

面倒臭いことが沢山あるんだなと思いました。

 父は「車が事故車になってしまった」とへこんでい

ましたが、父も相手の方もひどい怪我をしていなくて

本当によかったと思っています。

 乗り慣れた車はなかなか返ってこなくて、どこへ行

くにもいつもと違い、少し違和感がありました。

 事故は、事故にあったその時だけでなく、その後も

色々と不都合があったり、不便だったりと良い事無し

だと痛感しました。

 私は通学にバスを利用していて、生活の中で車は不

可欠です。今まで何も思わず乗っていたバスですが、

安全に移動できている事がありがたいと思いました。

 バスの運転手さんにも色々な方がいてくれます。私

が感じたのは、子どもに優しい運転手さんは運転も優

しいということです。

 通学に利用するバスは、中学生だけでなく小学生や

高校生、地域の方も利用しています。中でも、小学生

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は悪ふざけで危ない事をすることがあります。そんな

時に、それを柔らかく注意する運転手さんと、あから

さまに嫌そうな顔をするだけの運転手さんとは、明ら

かに運転の仕方が違います。

 柔らかく注意してくれる方は運転も優しく、運転し

ながら嫌そうな方の運転は荒々しい運転の時があり、

怖い時があります。

 その事から考えると、心の余裕や心のゆとりを持っ

ている方が、安全に運転できるのだと感じました。

 父の車に当たってきた人も、お仕事中で何かに急い

でいたそうです。日々の通い慣れた道でも、運転する

側の気持ちの持ちようで、危険な道になりえるのだと

感じました。

 日頃父が「五分ゆとりを持って家を出る」と言うの

は、只単に約束の時間に遅れないようにする為だけで

なく、自分の安全も周りの安全も守ることに繋がるの

だと、言葉の重みを感じています。

岡山県立倉敷天城中学校

三年 藤ふじわら原

 愛あい

笑顔でいてもらいたいから

 「怖い。」

 そう思ったのを憶えている。おじいちゃんの車の中

で。すごいスピードだった。車の中にいても、風を感

じるほど速かった。

 おじいちゃんはいつもすごいスピードを出す。まわ

りの車をどんどんぬいて行く。私は安心することが一

瞬たりともできなかった。だからおじいちゃんの運転

する車に乗るのは好きじゃなかった。

 あの日は塾でおじいちゃんの迎えを待っていた。そ

のまま卓球の練習をしているクラブチームに行く予定

だったから、急がなくてはいけなかった。なのに、お

じいちゃんの車はいつまでたってもあらわれなかっ

た。だいぶたって、私を迎えに来たのは、いとこの家

の車だった。

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 「おじいちゃんの車が事故にあった。」

 いとこの車に乗って、車が進んだ時、おばさんにそ

う言われた。とまどう私に、おばさんはこう続けた。

 「他の車にぶつかったわけじゃないんだけどね。石

の壁にぶつかったんだって。でももう警察にも来ても

らって、大丈夫だったって。車に一緒に乗ってたみー

ちゃんも無事だよ。」

 みーちゃんとは私の妹のことだ。私は二人とも無事

だと聞いて安心した。

 あの日からおじいちゃんは、安全運転になった。い

つもより出発時間を早くしなければいけなくて、時間

配分が下手な私は、いつもバタバタしている。でも、

運転するおじいちゃんの顔はやわらいだし、私も外を

見ながら安心して車に乗っている。だから今は、おじ

いちゃんの運転する車に乗るのは大好きだ。

 スピードを出しすぎている車を見るのはよくあるこ

とだ。通りすぎていくたびに怖くなる。急いでいるの

かもしれないけど、周りにまで怖い思いをさせるのは

いけないと思う。スピードを出しすぎていて良いこと

なんてないと思う。私の友達の塾の先生は、急いで自

転車をこいでいてスピードを出していると、むこうか

らやってきた、すごいスピードのトラックにはねられ

て、目前にあったインターハイを大ケガにより断念し

てしまったそうだ。ちょっとあせっただけで、ほんの

ちょっとのことだけで自分の夢をのがしてしまう。私

はもったいないと思う。

 交通事故は大切なものをうばってしまう。夢も、時

間も、時には命も。私は大切な人の笑顔がなくなって

しまうのが一番かなしい。自分の不注意によって大切

な人の笑顔を奪ってしまいたくはない。だから私が車

を運転する時は、乗っている人が笑顔になれるように

したい。だからまずは、今、自転車での安全運転を心

がけたい。大切な人には笑顔でいてほしいから。そし

て何より大切な、私自身にも、笑顔でいてほしいから。

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宮崎県都城市立高崎中学校

三年 榮えいじま島

 胡くるみ桃

命を守るシートベルト

 「胡桃! 大丈夫か!?」

 父が、絞り出すように叫んだこの言葉を私は今でも

鮮明に覚えています。

 今年一月、私は父と二人、バレーボールの試合の帰

りに高速道路に乗り、延岡市で行われていた兄のバ

レーボールの大会の応援に向かっていました。試合の

反省などの何気ない会話をしながら、車は延岡へと向

かっていました。

 が、その時、対向車線から車が飛び出してきたので

す。私達の前を走っていた車とぶつかり、父はハンド

ルを右に切りましたが、対向車線から飛び出してきた

車は止まらず、私達の車にぶつかってきました。

 一瞬の出来事で、あまりの恐怖心からか、私はその

時のことを覚えていません。

 「胡桃! 大丈夫か!?」

 絞り出すような父の叫び声で、我にかえりました。

フロントガラスは割れ、エアバッグの煙が充満…。助

手席のドアはくの字型に曲がっていました。その後す

ぐに、県病院に救急搬送されました。

 さいわい、二人とも命には別状はありませんでした

が、父はとても重症でようやく命をとりとめました。

 病院では、たくさん検査をしましたが、私はムチウ

チと打撲ですみました。その後、延岡から到着した母

と二人、担当医の先生と話をした時にこのように言わ

れました。

 「僕もあの事故の現場に行きましたが、娘さんがこ

んなに軽い傷で生きていたことは奇跡です。もし、助

手席や後部座席に乗っていてシートベルトをつけてい

なかったら、娘さんの命はなかったでしょう。」

 この言葉を聞いた時、死んでいたかもしれないとい

うショックと、助かったという喜びと安堵感で、母と

二人抱きあって泣きました。

 もし、あの日シートベルトをつけていなかったら、

今、私はこうして普通に過ごして、笑っていることは

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できなかったでしょう。

 現在、父はまだ顔や手の痛みがありますが回復して

きています。私もずいぶん回復し、今でも大好きなバ

レーボールを続けています。ただ、時折雨の日の前に

頭痛がしたり、気分の悪い日はありますが…。

 この事故で私はシートベルトの大切さを改めて学び

ました。私が、今、皆さんに心から伝えたいことは、

「シートベルトを必ずつけましょう。」

ということです。

 勝手が悪いから、ダルイからという理由でシートベ

ルトをつけない人もいます。しかし、以前シートベル

トの標語に、「死を止めるベルト」という言葉を目に

したような気がします。私の人生においてシートベル

トは「死を止めるベルト」となり、今、ここに生きて

います。一度はなくしたかもしれない私の命…。悔い

のないよう精一杯、私は生きていきます。

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一般(

高校生以上)

の部

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兵庫県三田市

吉よしだ田

 まゆみ(地方公務員)

父からの贈り物〜命をつなぐ〜

 キキッー! 駅前で汽車を降りて来た父の姿を見つ

け、私は、一目散で道路を横切り、走行していた車の

前を接触寸前ですり抜けた。間一髪であった。周りに

いた人達は一様に、「あかん! 車にひかれた」と息

をのんだ。きょとんとして立ち尽くしているのは、状

況がわかっていない、幼い私だけであった。事故は一

瞬で起こる。今でもその時のことがフラッシュバック

して映像で浮かんでくる。その車の運転手は肝を冷や

されたことだろう。申し訳ない限りである。それ以後、

父は、私に、「道を歩く時は、道路の右端を歩くんやで。

危ないと思ったら、止まって待つんや。」と毎日のよ

うに、諭すように言った。その声は、当時の父の年齢

を、はるかに超えた、今の私の耳じ

だ朶に残っている。お

かげで、歩いていても、自転車に乗っていても、車と

行き交う時は、歩みを止めたり、自転車を降りたりし

て安全に気を付ける習慣が身についたように思う。「父

からの贈り物」は、身を守る、交通安全教育そのもの

だった。

 その後、幼稚園教諭として働くようになり、交通安

全教育を保育の根本にするように努めた。幼児は興味

あるものをとらえると、幼い時の私のように、突き進

んでしまう傾向がある。私が転勤した幼稚園で、着任

の一年前に、園児の交通事故死があった。迎えの集合

場所に、その園児が大好きな祖母が迎えに来ておられ

た。祖母を見つけた園児は、赤信号の道路を突き進み、

そのまま、走行中のトラックに巻き込まれた。一瞬に

して幼い、尊い命が失われた。悔やんでも悔やみきれ

ない。祖母は悲しみを超えた血の涙を流したことだろ

う。父は、母は…。そうなのだ。事故は一瞬に起きる

のだ。それが、交通事故なのだ。私は、その事故のこ

最優秀作   

内閣総理大臣賞

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とを聞いて、一番にしたことは、集合場所が適切であ

るかどうかの確認であった。以後、親を見つけて、ほっ

として走り出してしまう幼児の特性を考えて、道路を

渡る手前で集まるようにしていただいた。それは、ど

の幼稚園に転勤しても、真っ先に見直したことである。

子どもは興味本位で行動する特性を知って、手を打つ

ことが大事であるといたく実感していたからである。

 今年の四月から幼稚園教諭を卒業し、縁あって市の

幼児交通安全教室に携わらせていただいている。警察

署や交通安全協会の方々に多大なお力添えをいただい

て、幼児の目線に立ち、わかりやすく、且つ、実効性

のある「交通安全教室」を目指して、市内五十か所の

就学前施設で幼児を対象に実施している。幼児のうち

に、交通安全のルールやマナーに触れ、危険や安全へ

の感性を身に付けることは、その後の人生にとって、

何よりも大事な財産になると確信する。私も、父から、

母から繋いでもらった命を尽くして、未来の宝である、

子ども達の命を守るために、交通安全教育を推進して

いきたい。

愛知県愛知郡東郷町

上うえの野

 由ゆうき貴(

会社員)

ハートフルなこころのテクニック

 「チャイルドシートは後部座席に取り付けましょ

う。」

 これは、免許を取得する際に教わることであり、メー

カーの説明書にも記載されています。理由は、衝突時

に前席のエアバッグが開き、シートに座っている乳児

を圧迫する恐れもあり、後部座席の方が安全であるか

らです。しかし、赤ちゃんが泣きはじめたら、運転し

ているお母さんはそれが気になって後ろを振り向き、

わき見運転をしてしまうのではないでしょうか。

 運転免許証は持っていても、子どもが産まれるまで

優秀作 

内閣府特命担当大臣賞

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は運転していなかった方もたくさんいらっしゃること

でしょう。自動車学校でペーパードライバーに向けた

教習も行われていますが、運転に慣れている人でも赤

ちゃんを連れて運転するのは大変です。

 私の娘はチャイルドシートに座るのが嫌いで、まず

座らせるところから苦労していました。自身の経験を

踏まえて、赤ちゃん連れのお出かけにアドバイスをす

るとしたら、「近い場所へ行く場合であっても、たっ

ぷりと時間にゆとりをもった計画をたてる」というこ

とです。無理に運転し続けるのではなく、安全な場所

に停車をすれば、抱っこをしてあげることもできます。

どんな時でも気持ちに余裕をもって子どもに向き合い

たいものです。

 この、「余裕をもつ」ということは、歩行者でも自

転車でも、全ての運転者にとっても重要です。会社の

通勤、友達との約束、「遅刻するかも…」という先走

りの気持ちが、速度超過や信号無視といった違反行為

につながります。体調を整えることを含め、気持ちを

落ち着けて正しい行動をとることが大切です。安全な

運転をするために、高度なテクニックは必要ありませ

ん。ただ、周りの方を思いやる、ハートフルなこころ

のテクニックがあればよいのです。

 毎日毎日テレビで交通事故のニュースが絶えること

はありません。チャイルドシート嫌いだった娘は、現

在、なんでも知りたがる時期になりました。ニュー

スを見ると、「あ。パトカーだ! 救急車だ!」と嬉

しそうに釘づけになり、しばらく見た後で、「なんで

車ぶつかっちゃったの?」「どうしてケガしちゃった

の?」と不思議そうに尋ねてきます。いつでもどこで

も、忙しい時にでも次々にとんでくる質問に対して、

「うーん。どうしてだと思う?」とまずは聞き返して、

時間を稼ぐ作戦をとることもあります。

 ここで、「あとでね」といって、いざ教えようとし

たときには興味が他に移っていることもあるので、タ

イミングを逃さずに、高まっている好奇心に応えよう

と思っています。「保育園でどうやっていた?」「車っ

てとっても速いよね。急に飛び出したらどうなるか

な?」というように、交通安全教室での学習を振り返っ

たり、自分自身で考えてもらうように心がけています。

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 「下り坂に停車し、下車しようと運転者がドアを開

けたところ、坂を下ってきた自転車がドアに衝突し、

大怪我を負った」という事故がテレビで取り上げられ

ており、人形を使った再現もやっていました。衝突し

て飛んでいく人形の実験映像を見て、衝撃力がどれほ

ど大きいかを知ることができました。ニュースを一緒

に見て、乗り降りする時の注意を言い聞かせた後は、

出かけた先の駐車場で止まってすぐにドアを開けるの

ではなく、子ども自身がキョロキョロと周りを見て、

ゆっくりドアを開けるようになりました。「自分でで

きるもん。上手にできたでしょ?」と得意気に笑って

います。

 交通安全については、子どもの成長に伴って、考え

るべきことが変化します。就学したら、登下校の方法、

自転車の乗り方について、きっと悩むのだろうと、少

し楽しみにもしている母なのでした。

 これからも家族一緒に、ハートフルに、笑って過ご

せますように。

富山県高岡市

竹たけうち内

 美みつき月(

無職)

黄き

色いろ

星せい

人じん

 うちの祖母は認知症だ。数年前から、いろいろなこ

とがわからなくなってきた。暴力的にもなり、強い薬

をたくさん飲んできた。その結果か、さくさくと歩く

ことができなくなった。

 医師に相談すると、「散歩させてください」と言わ

れた。毎日三回の散歩。朝起きて一回、昼食後に一回、

夕方暗くなる前に一回。

 連れ出すのも容易ではない。なだめすかして毎日

やっとかっと散歩に行かせている。

 ある日、たまたま、祖母の散歩の様子を見かけた。

佳作 

 

 

内閣府政策統括官賞

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すると、家の中を歩いている時以上に足取りがおぼつ

かなく、あぶなっかしかった。通る車も迷惑そうだっ

た。クラクションを鳴らされてよろよろっと道の端に

向かう姿に慌てて声をかけた。

 昼間はそれでもなんとかいいのかもしれないが、朝

や夕方の薄暗い時には危ないのではないかと思った。

そこで、母や妹と相談して用意したのが、蛍光イエロー

の反射材でできたたすきと、選挙活動のときに見かけ

る、これまた蛍光イエローのかっぱである。迷子にな

ることもあったため、たすきには名前と電話番号も書

いておいた。

 「これ着られね(着ようね)」と言っても、最初は

やはり、嫌がった。「恥ずかしいわ、人にどう思われ

るか」と。そこで、まずはわたしがその蛍光イエロー

セットを身に着けて散歩に出かけた。母もそれに続

いた。それを一カ月ほど続けたころだろうか、祖母

は自ら蛍光イエローセットを身に着けるようになり

だした。

 こうと決まったらもう変えられない。どんな猛暑日

でも蛍光イエローのかっぱは脱がなかった。それこそ

周りの皆さまに心配され、散歩の途中で脱いでくるよ

うになったときには笑ったものだ。

 先日、その流れを知らない弟が、仕事からの帰宅途

中にたまたま散歩中の祖母を見た。

 「なんけあれ、黄色星人やん! ひきたくてもひけ

んわ!」

 と、彼は言った。また家族で笑った。

 車を運転中、散歩中の高齢者を見かけることは多々

ある。その大抵が暗い色合いの服装をしている。夕方

など、薄暗い中でうっかりぶつかりそうになることは、

運転者ならだれもが経験したことがあるのではないだ

ろうか。実際、新聞にはちょこちょことその手の交通

事故の話題が載っている。

 交通事故は悲しい。ひかれる側はもちろん、ひいた

側も人生が台無しになる。うちの祖母のせいでもしほ

かの方の人生を狂わせたら…。そう思うと、黄色星人

にさせてよかったと思う。それでも交通事故の危険性

がゼロになったわけではない。けれど、少しはいいの

ではないだろうか。

 祖母は今日も黄色星人に変身して散歩に出かけた。

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足取りは相変わらずおぼつかないが、幸い、まだ交通

事故にはあっていない。やはり蛍光イエローセットの

おかげではないかと思っている。

山梨県立甲府南高等学校

嶋しまづ津

 晃こうた太(

高校生)

当事者意識、ありますか。

 私は放送部に所属しており、様々な番組を制作する

活動を行っている。そして先日、NHK全国高等学校

放送コンテストで交通安全に関するラジオドキュメン

トを発表した。

 ドキュメントの内容を交通安全に関するものにしよ

うと決めたのは六月上旬だ。私の通う甲府南高校、通

称「南高」ではこの時期に定期試験が行われ、その後

に学年集会が開かれる。その時に先生が決まって言う

のが「定期試験の前後は疲れや気の緩みで事故を起こ

しやすい。事実、多くの事故が起きている」というこ

とだ。私はこの言葉に興味を持ち、南高の事故の実状

とその原因を調べることで、少しでも事故を減らせる

のではないかと考え、取材を始めた。

 まず、生徒指導の先生の所へ行き事故の報告書を見

せてもらうのと共に、南高の事故の実状をどう思って

いるのか聞いた。先生は、事故の多さを嘆いた後で「自

分が痛い目に遭わないように交通安全に気を付けるの

はもちろんだが、家族が心配しているということも忘

れないように。」と言っていた。確かに高校生はまだ

自立していないのだから、交通事故に遭ったら家族に

心配をかける。時には賠償命令を受けて家族に迷惑を

かけることになるかもしれない。自分の注意不足で家

族を巻き込むこともあるということを忘れてはならな

いと思う。

 次に、実際に事故に遭った人に話を聞いた。今回は

三人にインタビューをしたが、事故の原因について話

を聞く中で、全員が口をそろえて言うことがあった。

「当事者意識の欠如」である。「自分は大丈夫、事故な

んか起こさない」という気持ちが事故を起こす引き金

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になったのだ。

 さらに、私たちは専門の人の意見を聞いてみようと、

南高を管轄している南甲府警察署に出向いて話を聞い

た。驚くことに、南甲府警察署が管轄している地域で

起きた自転車事故の半分以上が南高生によるものだと

いう。そして署の人も「一回事故に遭ってみないとそ

の痛みが分からない、自分から気をつけようとしない」

と「当事者意識の欠如」という私たちの答えに納得し

てくれた。ただ、その一回が命を落とすような大事故

だったらもう遅いのだ。

 私たちはこれまでの取材結果を全校に知らせるため

に、三日間、昼休みに全校放送をした。すると、思っ

た以上に反響があり、様々な感想をくれた。全校で交

通安全について考える、良い機会になったと思う。

 一連の取材が終わり、それを番組にまとめたのだが、

番組の最後に私達高校生が出来ることを提案した。そ

れは自転車に乗る際は、一人一人が当事者意識を持ち、

普段から気をつけることだ。信号無視もスピードの出

しすぎも、自分は事故に遭わないだろうという当事者

意識の欠如が原因なのだ。道路交通法を理解し、普段

から気を付けることが、微力な私たち高校生でも出来

ることだと思う。

 この番組を作成してから、私は普段から当事者意識

を持って交通安全に気を付けている。私は電車通学で

駅から学校まで歩くのだが、「きっと車は止まってく

れるだろう」と飛び出さずに、車が止まってくれるの

を待ってから横断歩道を渡るようにしている。よく考

えれば当たり前のことだが、これを当たり前にやるこ

とが大切だ。山梨県の高校では、七月から九月まで、

交通事故・違反「0」三ヶ月運動というものが行われ

ているが、このような当事者意識を全員が持てば、達

成も難しくないと思う。

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京都府京都市

川かわぐち口

 和かずみ美(

団体職員)

ドライバーとなった君へ

 就職の決まった息子は早速車を買いたいと申し出て

きた。金銭的なことも心配だが、ドライバーとしての

心構えは出来ているのだろうか。

 アルバイトで貯めたお金で中古のセダンを契約し、

任意保険に加入。祖父に自動車保管場所の承諾を得て

いる。母親の心配をよそにカー用品をせっせと購入し

ている始末だ。彼にとって車は自己実現の第一歩だっ

たようだ。彼の今までの生き方の中で車の取得は、計

画的で強固な実行力を感じさせた。そんな風に能動的

に動き出した彼の人生をたった一度の交通事故で躓か

せる訳にはいかない。

 若者の無謀運転による事故の見出し。ニュースで交

通事故が報じられない日はない。毎日どこかで交通事

故により多くの人が傷つき、悲しんでいる。他人事で

はない。まさに今、我が家にその危機が迫っている。

 いよいよ納車された日、早速ガソリンを入れて試乗

会と称して近くまで買い物に出た。乗車するとシー

トベルトをカチッとする音が車内に響いた。「免許証

持った?」と声を掛ける口がカラカラだ。行き先に大

型スーパーの名を告げる。エンジンの快調な音が聞こ

える。入念な確認の後、車庫からおどおどと顔を出す

ように出発する。最初の角まで、歩いて1分もかから

ない距離なのにまるでスローモーションの映画がスク

リーンに流れるように景色が動いた。人影のない道に

指示器の音だけが聞こえる。車は慎重に大きく左折し

て大通りへ進んだ。一度動き出すと、何度か自転車で

走り慣れた道だけに何の戸惑いもなく車線を変更し、

目的地まで無事到着した。出発時の緊張はみるみる解

け出し復路は少しドライブ気分に変わった。それでも、

車や人と行き交うとき、「もっとスピード落として!」

とまるで教習指導員さながら指導する私。専ら助手席

しか乗ったことのない母の注意を彼は静かに聞いてい

た。1時間余りの試運転が終わり、ほっと安堵の表情

の彼に「指示器はもっと早く出して知らせた方がいい

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よ。」と声を掛けて車を降りた。

 保育園に通い始めた時、通園を嫌がる彼のために戦

隊キャラクターに合わせて5色の反射材シールを通園

靴に貼ってやった。「これで運転手さんからぼくがよ

く見えるね」とその靴をお守りのように大切に履いて

くれた。彼が歩行者であったときは、車から自分の身

を守る弱いイメージであったが、車の運転により鉄の

鎧を身にまとった彼は、相手を傷つける加害者側へと

立場が変わった気がした。

 車は、彼の生活にとって欠くことの出来ない物と

なった。便利な車が凶器とならないように毎日それと

なく「交通安全の話題」を食卓に載せる。直ぐには育

成できないが、交通安全の栄養でルールを守ることは

もちろんのこと、道路で相手を思いやれるドライバー

に成長してほしいと今日も彼の車のテールランプを見

送る。

京都府向日市

大おおすが菅

 佳か

よ世(主婦)

思いやりのある運転

 「ぼくも自転車がほしい」四歳になる長男の希望も

あり誕生日に自転車をプレゼントしました。

 最近は公園内での自転車走行を禁止している所も多

く、我が家も家の周りの道路で練習することにしまし

た。子どもの自転車の後ろをしっかりつかみ危なくな

いようにして、子どもにはスピードを出しすぎないよ

うに、交差点では必ず止まり車がきていないかを確認

する、道は端を走るなど一つ一つ自転車のルールを何

度も何度も教えました。子どもも、子どもなりに言わ

れたことを守り一生懸命練習していました。

 しかし、子どもと練習中の間でも急に飛び出してく

る車、スピードを出したまま曲がってくる車、細い道

でもスピードを出す車など何度もヒヤヒヤする場面が

ありました。その時に危ないと思い私が手を出すと、

Page 94: 3 宮 城 県 柴 田 郡 大 河 原 町 立 大 河 原 南 小 学 校 四 年 加か と 藤う 由ゆ 萌め 自 分 を 守 る 「 交 通 ル ー ル 」 と つ ぜ ん

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「車が来たら端に行って止まるんでしょ?」

と、きちんと頭では分かっていても大人のように瞬時

に行動できないことがありました。

 私たち大人は自転車に乗っている時、ここは車が飛

び出してきそうなど予測をして行動し危険回避した

り、何か危ないと思えば瞬時に判断し行動していると

思います。しかし、小さい子どもはルールは守れても、

大人と違って行動も遅く、危険を察知することも難し

いです。

 子どもの交通事故の割合は自転車乗車中の事故が一

番多く ※

、その中でも出会い頭の事故が一番多いという

結果になっています。分かっていたつもりでも自分が

子どもに教える立場になり、こんなにも危険を察知す

ること、素早く行動することが難しいものかと改めて

実感しました。

 子どもたちの命を守るのは大人だと思います。自転

車に限らず、歩行時の交通ルールを我が子に教えるの

は親の義務だと思います。しかしそれだけではなく、

子どもたちを危険な目に合わせないように私たち大人

がまず交通ルールを守ることが重要だと思います。私

自身、交通ルールを守っているつもりだったが、自分

が子どもに教える立場となり改めて自分がルールを

守っているのか考えさせられました。

 交通ルールを守るだけでなく、私たち大人が子ども

の行動の特徴を理解し、一時停止や徐行など思いやり

のある運転をすることが大事だと思います。親が子ど

もを守ることはあたり前ですが、社会全体で子どもを

守っていく思いやりをみなさんにもっていただきたい

です。

  ※七〜十二歳における割合