時間遅れをもつ微分方程式の経済学への援用についてharp.lib.hiroshima-u.ac.jp/onomichi-u/file/12408...16...

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15 井 本  伸 時間遅れをもつ微分方程式の経済学への援用について 1 はじめに 微分方程式や差分方程式は、動学的な分析が主流となっている現代の経済理論には無くて はならないツールである。微分方程式は、計算上の利便性から、差分方程式はコンピュータ での計算のしやすさから、使い分けが行われている。 通常の微分方程式では、時間遅れ(すなわち数期前の状態が現在の状態に影響を与える) を記述することが出来ない 1 。差分方程式ならば時間遅れを表現することはいくらでも可能で あるが、その性質を分析することは非常に困難である。もちろん、コンピュータを用いれ ば、数値的な回答はいくらでも得られるが、理論モデルにおける解釈が難しい。そこで、時 間遅れをもつ微分方程式が登場する。 時間遅れをもつ微分方程式とは、微分方程式と差分方程式が混合されている関数方程式で あり、その理論は非常に複雑である。経済学への応用については、Kalecki(1935) など古く から存在するが、生物学などの分野に比べて数はあまり多くない。 本研究ノートでは、時間遅れをもつ微分方程式に関する基礎的な理論と直観的な解釈を説 明し、経済学への援用について考察を行う。 経済学で微分方程式・差分方程式を用いて分析を行う場合、自励系の線形常微分方程式が ほとんどである。なぜなら、分析の中心が、ショックによる均衡(または定常状態)からの 乖離があった場合の挙動であるため、均衡の近傍で線形近似を行うからである。したがっ て、本研究の扱う時間遅れをもつ微分方程式も、自励系の線形常微分方程式のみとする。 2 差分方程式か微分方程式か Turnovsky(1977) や置塩 (1982) では、経済モデルの分析において、差分方程式と微分方程 1 例えば、数期前の状態が現在の状態に影響を与える例として、「捕食者と被食者の関係」「シャワーの温 度調節」などが挙げられる。

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Page 1: 時間遅れをもつ微分方程式の経済学への援用についてharp.lib.hiroshima-u.ac.jp/onomichi-u/file/12408...16 Vol. 15 No. 2 式のどちらを使用すべきかが議論されている2。Turnovsky(1977)

15

井 本  伸

時間遅れをもつ微分方程式の経済学への援用について

1 はじめに

 微分方程式や差分方程式は、動学的な分析が主流となっている現代の経済理論には無くて

はならないツールである。微分方程式は、計算上の利便性から、差分方程式はコンピュータ

での計算のしやすさから、使い分けが行われている。

 通常の微分方程式では、時間遅れ(すなわち数期前の状態が現在の状態に影響を与える)

を記述することが出来ない1。差分方程式ならば時間遅れを表現することはいくらでも可能で

あるが、その性質を分析することは非常に困難である。もちろん、コンピュータを用いれ

ば、数値的な回答はいくらでも得られるが、理論モデルにおける解釈が難しい。そこで、時

間遅れをもつ微分方程式が登場する。

 時間遅れをもつ微分方程式とは、微分方程式と差分方程式が混合されている関数方程式で

あり、その理論は非常に複雑である。経済学への応用については、Kalecki(1935) など古く

から存在するが、生物学などの分野に比べて数はあまり多くない。

 本研究ノートでは、時間遅れをもつ微分方程式に関する基礎的な理論と直観的な解釈を説

明し、経済学への援用について考察を行う。

 経済学で微分方程式・差分方程式を用いて分析を行う場合、自励系の線形常微分方程式が

ほとんどである。なぜなら、分析の中心が、ショックによる均衡(または定常状態)からの

乖離があった場合の挙動であるため、均衡の近傍で線形近似を行うからである。したがっ

て、本研究の扱う時間遅れをもつ微分方程式も、自励系の線形常微分方程式のみとする。

2 差分方程式か微分方程式か

 Turnovsky(1977) や置塩 (1982) では、経済モデルの分析において、差分方程式と微分方程

1 例えば、数期前の状態が現在の状態に影響を与える例として、「捕食者と被食者の関係」「シャワーの温度調節」などが挙げられる。

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式のどちらを使用すべきかが議論されている 2。Turnovsky(1977) では微分方程式の使用を支

持しているのに対し、置塩 (1982) では、差分方程式による分析の方が比較的優れていると

結論づけている。

 置塩 (1982) が挙げる両者の違いは、(1) 数学的処理の容易さの問題 (2) 意思決定のタイミ

ングの問題 (3) 本来的な時間単位とは何かという問題 (4) 用いる時間単位の長さが固定であ

るという問題 (5) ストックとフローの問題の 5 つである。

 まず、(5) のストックとフローの問題を考える。フロー変数とは一定期間で測った変数で

あり、一時点で測った変数であるストック変数の一定期間の変化の大きさとして記述され

る。例えば、経済成長モデルの最も基本的なモデルであるソローモデルを、差分方程式で記

述すると、 資本減耗率として、

となる。左辺の kはストック変数であり、右辺の はフロー変数である。これは、t

から t +1 までの 1期間におけるストック変数 k の変化の大きさがフロー変数である貯蓄額

と減耗分という意味であるから、ストックとフローを正確に記述している。

 対して、微分方程式では、

となる。右辺は同じであるが、左辺の意味するところは k の瞬間的な「速度」であり、期間

に関する記述がない。

ところが、微分の定義からこの式を書き直してみると、

であるから、差分方程式の 1 期間に対応するのが  期間ということである。しかし、この

期間を無限小として記述しているため、ストックとフローの関係を読み取るのは難しい。あ

くまで、「運動の仕方」を表現しているに過ぎない。したがって、記述方法として差分方程

式の方が優れているというのである。

 (2)(3)(4) はすべて、「時間単位」に関する問題である。経済分析における本来的な「時間

単位」というものは存在しない。分析対象やデータに応じて、年や月など解釈を変えること

になる。同じモデル内でも経済主体によって意思決定の時点やそれが反映されるまでの期間

2 置塩 (1982) では、差分方程式ではなく定差方程式とよんでいる。

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は異なる。もちろん、各主体によって意思決定のタイミングも異なる。しかしこの問題は、

差分方程式で記述する場合、最小単位時間を選び他の期間をその整数倍として扱うことに

よって解決できる。すなわち、高階の差分方程式として記述すればよい。タイミングや期間

の長さが異なる経済主体の行動は、最小時間単位の経済主体と比べて、時間遅れを持った形

で記述される。ところが、通常の微分方程式ではこの時間遅れを記述することが出来ない。

 最後に (1) であるが、確かに一般的に差分方程式の方が数学的な処理は難しい。しかし、

近年多くの経済分析はコンピュータを用いた数値計算を行うことが多い。どのような複雑な

モデルであっても、数値計算であれば一定の結果を出すことが可能である。一方、微分方程

式により記述されたモデルを数値計算により処理しようとする場合、その微分方程式に対応

する差分方程式に近似することしかできない。

 以上、時間遅れを記述できない、数値計算が出来ない、という点で微分方程式は差分方程

式に劣ると考えられる。確かに、近年の多くのマクロ経済モデルは離散型で記述され、コン

ピュータにより数値計算により結果を出している。より工学的な手法になっていると言える

だろう。しかし、数値計算に頼ることなくモデルの性質を明らかにすることが出来るのであ

れば、まだ微分方程式による記述にも一定の評価は残るであろう。その際に残る課題は、時

間遅れの記述であると考える。そこで、この研究ノートでは時間遅れを持つ微分方程式の基

本をまとめ、今後の研究のきっかけにしたい。

 以下では、まず差分方程式と微分方程式の基本について解説する。その後、差分方程式と

微分方程式を橋渡しし、時間遅れを持つ微分方程式の基本を解説する。

3 差分方程式と微分方程式

3.1 差分方程式

 最も単純な 1 階の線形差分方程式は、公比が a の等比数列の漸化式であり、

と表現できる。変化率で考えると、

であるから、変化率が (a – 1) で一定の体系と言える。

 この差分方程式は、初期値が として与えられると、

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のようにして解くことができる。 であるから安定である

という。逆に のとき、 と発散してしまうため、不安定であるとい

う。動学的な分析を行う場合、経済が安定か不安定であるかが非常に重要となる。

 ここで であったとしても、

と表現できる。これは、n 本の1階連立差分方程式であり、その一般解は行列 Aの固有値 

を用いて、

のようにして表現できる 3。安定か不安定であるかは、すべての が 1 より大きいか小さい

かである。つまり、安定性の問題は、行列 A の固有値の問題であるから n 次方程式の解を

調べる問題となる。

 2 階の差分方程式

についても、 と置きかえれば、

なので、1 階の連立差分方程式として解くことができる。当然、同様の方法で n 階の差分方

程式を解くことができる。

3.2 微分方程式

 最も単純な 1 階の微分方程式は、

3 C は任意

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と表現できる。一般解は、

となる 4。

 差分方程式と同様 が 1 より大きいか小さいかによって、安定か不安定かが決まる。つ

まり、a が 0 より大きいか小さいかである。

 微分の定義が、

であることから、

と書くことができる。つまり、変化分 が 1 の時が差分方程式、0 の時が微分方程式であ

る。1 + a が1より大きいかどうかとは、a が 0 より大きいかどうかである。

差分方程式と微分方程式の接続

 (12) 式を、うしろに戻す作業をを考える。

である。

として

である 5。

4 C は任意。解法は様々あるが、省略。5 e = lim(1 + x)1/x

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3.3 動学的な性質について

安定性

 安定か不安定かとは、定常状態に向かって収束していくか、無限大に発散してしまうかで

ある。定常状態を 0とする線形の差分方程式の一般解は、

同様に、微分方程式の一般解は、

なので、安定か不安定かは、 になるか無限大になるかどうかである。

 λがすべて実数解の場合 6、差分方程式であれば全ての固有値 の絶対値が 1 より

大きいかどうか、微分方程式の場合は全ての固有値 に対して、 の絶対

値が 1 より大きいかどうか、つまり、λが 0 より大きいかどうかである。

振動

 差分方程式の場合、λがマイナスであれば、λt は、t が変わるごとに符号をプラスとマイ

ナスに変えながら変化していく。つまり、振動する。

 微分方程式の場合、λが実数であれば eλは常にプラスであるため、単調に収束または発

散する。しかし、λが複素数である場合、 として、

となる。 は共役複素数である必要がある。以下、計算は省略するが、

が得られる。- 1 ≤ cos x ≤ 1 なので、x(t) は振動することになる。そして、虚数部分に関係

なく、実数部分 μがプラスかマイナスかによって収束するか発散するかが決まる。つまり、

安定性の問題は、実数部分 μだけで決まるので、すべての解がガウス平面の左側に解があれ

ばよい。

6 複素数の場合については、後ほど触れる。

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 差分方程式の場合も同様にλが複素数の可能性がある。計算は省略するが、

となるので、 が 1 より小さければ 0 に収束するので、すべての解がガウス平面の

単位円内にあればよい。

 以上、動学的な挙動としては、単調に収束・振動しながら収束・単調に発散・振動しなが

ら発散の 4 パターンがある。

周期解

 安定性は が 1 より大きいかどうかによって決まる。パラメータにより、λの値が決ま

るため、パラメータによっては安定と不安定をまたぐ瞬間がある。その時、解の分岐が起こ

ることが知られている。

 差分方程式の場合、λが丁度-1 のとき、ある値を行ったり来たりすることになるため、

定常状態となる値が 2つ出来る。これは、周期解と呼ばれる。

 微分方程式の場合、λが複素数であり、その実数部分 μ が丁度 0 の時に

となるため、周期解となる。

具体例:ソローモデル

 単純化のため、人口は1で固定、技術進歩は無しと考える。資本ストック K はストック

変数、新規投資 I はフロー変数である。ソローモデルの基本となる資本蓄積の式は、来期の資

本ストックは、今期の資本ストックに新規投資を足して、資本減耗分を引いたものである。

のように、1 階の差分方程式の形で表現される。

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のとき、

のように、1 階の微分方程式の形で表現される。

 ソローモデルは、定常状態で安定である。

3.4 2 種類の変化分を持つ差分方程式

 2 種類の変化分 を持つ差分方式を考える。

ここで、 であれば、通常の 2 階差分方程式である。また、整数であれば、

階の差分方式と扱えば良い。では、整数以外の場合、どのように扱えば良いか。

が有理数である場合

  が有理数であれば、分母を共通の a にして、

として、

n 階の差分方程式として表現できる。

 L を作用素として、 と置けば、

であるから、n 次方程式

の解である を用いて、一般解は、

のように表現される。したがって、 λの性質が、安定性を決めることになる。

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 また、

と、n 次元の行列で表現できる。したがって、n× n 行列の固有値の性質が安定性を決める

ことになる。これも、n 次方程式の解の性質が問題となる。

が無理数である場合

  のどちらかが無理数であれば、共通の分母 a を設定できない。つまり、

なので、変化分 である。

が、n 階の差分方程式であれば、 なので、解が無限個存在する。したがって、

のようになる。

 

となる。 が無理数の場合、

の解が安定性の性質を決めることになる。この時、解の数は無限である。

 (26) は、特性方程式とよばれ、その解が動学的な性質を決めるため、重要な式である。

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4 時間遅れをもつ微分方程式

4.1 基本

 時間遅れをもつ線形の常微分方程式は、

のように表される 7。これは、

と表現できる。ここで、 とすれば、無

理数の差分方程式の特性方程式である (26) 式と同じである。したがって、

の解を求めればよい。解は無限個存在するはずである。

 これを変形すると、

のとき 8、

ここで、 とすれば、

これが、時間遅れをもつ線形常微分方程式の特性方程式であり、その無限個存在する解

の性質が安定性を決める。 が 1 より大きいかどうかは、 であるか

ら、 の実数部分が 0 より大きいかどうかという問題になる。

7 もちろん、二つ以上の遅れをもつ場合などもある。8 左辺は の定義であるから、

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4.2 特性方程式について

 特性方程式 (29) の解について考える。解である は、実数のみならず複素数も許容する。

として 9、

より、実数部分と虚数部分に分けて整理すると、

となる。

の上限

 (31) 式を変形すると、

となり、 のとき左辺は 、右辺は 0 となるため、矛盾。すなわち、 には上限

が存在する(下限はない)。

解が無限個あることについて

のとき、 であり、 ごとに同じ値を繰り返す

ため、 と無限個の解を持つことになる。つまり、ガ

ウス平面上の の上限より左側に縦に並ぶ。

 安定であるためには、全ての解の実数部分 が負である必要があるため、 の上限が負、

すなわちガウス平面の左半分に縦に並んでいる必要がある。

4.3 初期値

 1 階差分方程式では、一般解に対して、1 つの初期値 が与えられて特殊解が得

られる。同様に、n 階差分方程式の場合は、n 個の初期値が必要となる。時間遅れをもつ微

分方程式は、解の数が無限個であるから、初期値ではなく初期値関数として与えられなけれ

ばならない。

9  のときも、議論は変わらない。

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 時間遅れを とした場合、 の範囲で初期値関数 が与えられなけらばな

らない。また、初期値(または切片)である も与えられる必要がある。

 経済学では、ショックにより定常状態から乖離があった場合の挙動を分析することが多い

ので、初期値関数は 初期値はショックの大きさ として考え

ればよい。

4.4 Laplace 変換の応用

 これまでは、複数のラグがある差分方程式の応用として時間遅れのある微分方程式への直

観的なアプローチを行ってきた。この節では、Laplace 変換を用いて、時間遅れのある微分

方程式を説明する。Laplace 変換とは、ある関数 について、

という操作を行うことである。

逆 Lapace 変換

 今、s は複素数 として、さらに、

という操作を加える。計算は省略するが、結果、

となる。 のとき、

なので、

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となる。計算は省略するが、右辺は に収束するので、

が得られる。さらに、 なので、

つまり、逆 Laplace 変換

が得られる 10。

時間遅れのある微分方程式への適用

 時間遅れを持つ線形の状微分方程式である (27) 式について少し記号を置き換えて、

とする。これに複素数 でラプラス変換を行うと、

となる。初期値を 特性方程式 とすれば、

10 以上については、Bellman and Coohe(1963) を参考にした。

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となる。逆ラプラス変換により、

が得られる。この式から、時間遅れを持つ微分方程式の一般解についてどのような形をして

いるのかを考えよう。

 特性方程式 の解は無限個あり、 とする。ここで は複素数であり

には上限が存在する。

 ここで、 の上限より大きい値とし、 の左半円の経路 C を考える

と、すべての の特異点を包む周回積分を考えることができる。特異点

ついて、留数 が以下のように定義出来て、

である。この場合の留数は、 なので、一般解は Cauchy の積分公式により、

である。これは、複数のラグがある差分方程式で考えた一般解 (25) 式と同じ形である。し

たがって、特性方程式 の性質により、安定性が決まる。

4.5 安定条件に下限があることについて

 差分方程式の安定条件は、特性方程式の解の絶対値が 1 より小(またはガウス平面の単

位円内)なので下限(または範囲)がある。- 1 よりも小さいと、過剰に反応しすぎてし

まい戻しすぎてしまうため不安定ということである。通常の微分方程式では、特性方程式の

解が負(またはガウス平面の左)なので、下限が無い。では、時間遅れのある微分方程式は

どうであろうか。

 もっとも単純な時間遅れのある微分方程式は、 であり、安定条件、す

なわち特性方程式の全ての解の実数部分が負である条件は、 であることが

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知られている。つまり、下限 が存在する。時間遅れのない通常の微分方程式であれ

ば、 なので下限が、 でありさえすれば安定であった。直観的に

は と変形できるため、 について、下限

があるということである。 ということは、反応 A が負である必要

があるということである。これはショックに対して元に戻ろうとする反応なので、安定条件

としては当然であろう。 ということは、反応の大きさが小さくても反応し続

ければ、戻しすぎてしまい不安定になってしまう。または、戻すという反応が遅れすぎると

不安定になる。つまり、古い情報に反応していては、正しく調整が出来ないということであ

る。

 イメージとしては、「なかなか温度が調整されないシャワー」を考えてみるとよい。シャ

ワーの温度が熱いと思って温度を下げたとしても、すぐには温度が下がらない場合、下げす

ぎてしまうことになる。今度は逆に冷たいと思って温度を上げようとしてもすぐには上がら

ないため再び上げすぎてしまう。このようなことを繰り返せば、シャワーの温度は不安定で

ある。

  の安定性を調べるために数値を行う。数値計算をするためには、差分

方程式に近似しないといけないので、 と置き換えて、

と変形する。ここで、 とすればコンピュータで数値計算が、 がラグの大きさと

なる。 2 のとき、安定条件は をだんだん大きくしていくと、

の安定条件の下限は に収束していく。

5 経済学への応用例

 多くの研究は、特性方程式 の解の性質を見ることにより、動学的な性質を分析

することを中心としている。つまり、安定性の条件や分岐・周期解の存在を分析の中心とし

ている。

5.1 Time to build Model

 Time to Build とは、投資が行われてから実際の資本として利用され、付加価値を生み出す

のに時間の遅れが生じるという考えである。

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Guerrini(2012)

 Guerrini(2012) では、単純なソローモデルに時間遅れを導入している。基本となる式は、

である。ここで、 は資本減耗率である。

 生産関数をコブダグラス型として、 定常状態からのか

い離を とすれば、

のような、時間遅れをもつ線形常微分方程式として表すことができる。特性方程式は

であり、この解の性質がこのモデルの安定性などを決める。 のとき、通常のソロー

モデルであり安定であることは知られているが、 のとき、安定とは限らない。

  のとき、安定条件は前出のように である。したがっ

て、

であるから、ラグがある程度大きくなると不安定になる。

Asea and Zak(1999)

 Asea and Zak(1999) では、ラムゼイモデルに Time to Build を導入している。

まとめると、

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時間遅れをもつ微分方程式の経済学への援用について 31

となる定常均衡が存在して とすると、

(43),(44) 式を均衡の近傍で線形近似して、

ここで、 微分して、

が得られる。この特性方程式は、

である。この解の性質を分析することにより、さまざまな結論を得ている。

 その他、生産関数を AK 型にしたものや、人口成長に時間遅れを取り入れたモデルなどが

ある。

5.2 政策ラグモデル

 政策ラグとは、財政政策など政治的な決定が必要な経済政策は、政府が問題を認識してか

ら政策を発動するまでに時間の遅れが生じる、または、実際の経済に影響を与えるまでに時

間の遅れが生じることである。このような時間の遅れが景気変動を引き起こすという考え

は、古くから存在する。

政府支出に時間遅れがある場合

 浅田 (1999) などでは、政府支出 (G) が実際の GDP(Y)がある一定の水準 からどれく

らい乖離しているかに応じて決まるというルールに基づいていると仮定している。例えば、

即座に反応できるのであれば、

であるが、出来ない場合は、

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となるため、モデルは時間遅れをもつ微分方程式になる。

Yoshida and Asada(2007)

 Yoshida and Asada(2007) では、政府支出 (G) が設備稼働率 (u) に反応して決まるモデルにつ

いて、分析を行っている。政府支出は、

のように、 期まえの設備稼働率に反応するとしている。

参考文献1. 浅田統一郎 (1997)「成長と循環のマクロ動学」、日本経済評論社2. 一石賢 (2002)「道具としての物理数学」、日本実業出版社3. 置塩信雄 (1982)「経済分析における微分方程式と定差方程式の援用について」、神戸大学経済学研究年報 29

4. 杉山昌平 (1971)、「差分・微分方程式」、共立出版5. 宮崎倫子 (2010)「時間遅れをもつ常微分方程式の基礎理論入門」6. 吉田博之 (2003)「景気循環の理論」名古屋大学出版会7. Asea and Zak(1999), “Time to build model and cycles”, Journal of Economic Dynamics and

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