人身取引対策とジェンダー平等 - tohoku university official ......報告者 高松...

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報告者  高松 香奈 人身取引対策とジェンダー平等 人間の安全保障と人身取引問題 男女共同参画と多文化共生の試金石(大沢プロジェクト1) Ⅰ. 人身取引対策としてのジェンダー平等 2012 4 3 日に、国連総会対話会合「人身売買と闘う:女性と子どもに対する暴力撤廃のためのパート ナーシップと革新」(“Fighting Human Trafcking: Partnership and Innovation to End Violence against Wom- en and Children”)が開催された。同会合に出席した UN Women 事務局長は、「人身取引の予防」の重要性 にふれ、予防のためのジェンダー平等の達成、女性のエンパワーメント、女性に対する暴力へのゼロ・トラ レンスの取り組みに言及した(UN News Center, 20121 これまでも、人身取引を撲滅するためにジェンダー平等の重要性が指摘されてきた。例えば 2002 年に開 催されたアジア欧州会合(ASEM)セミナー「女性と子どもの人身取引撲滅のためのジェンダー平等の促進」 Promoting Gender Equality to Combat Trafcking in Women and Children)では、特に人身取引の被害者と ならないためにジェンダー平等が重要である点が強調されている(UNIFEM, 20022 。また、国際労働機関 ILO)は、児童労働や、子どもの人身取引問題に関わる人々への教本の中で、人身取引問題解決のために はジェンダー平等への取り組みが不可欠であることを示している(ILO, 2003: 25-263 。さらに、国連薬物 犯罪事務所(UNODC)が 2006 年に公表した報告書『Trafcking in Persons: Global Patterns』は、送出国 127 か国、中継国 98 か国、受入国 137 か国の人身取引問題について考察し、複数の要因が幾重にも折り重な った人身取引問題と地域により異なる被害者、加害者、搾取の特徴について明らかにした上で、人身取引 の予防について 7 つの点への取り組みを提案するが、その中で貧困や機会におけるジェンダー不平等など、 とりわけ女性と子どもの脆弱性を作り出している格差への対応の重要性について指摘している(UNODC, 2006: 124 これらの指摘は、特に人身取引のプッシュ要因に対処するためのジェンダー平等の必要性に言及したもの である。確かに、ジェンダー格差と人身取引(移動労働への)の誘因との関係は見逃せない。労働を目的に 非正規ルートで国境を渡った移動者に対して行った聞き取り調査の結果からも、女性は男性に比べ、出身コ ミュニティで現金収入を得る機会が限られ、移動は唯一残された生活を成り立たせるための手段であった(高 松、20115 さらには、ジェンダー平等やジェンダー意識の変革は、人身取引のプル要因への対処としても有効である という示唆もある。日本で実施した意識調査を丹念に分析した Otsuki, Hatano20096 の調査研究は、受入 国におけるジェンダー意識の固定化が受入国におけるプル要因に影響していることを指摘している。 以上から、人身取引問題の根底には、プッシュ要因・プル要因の双方でのジェンダー不平等やジェンダー 意識の固定化があり、その是正は人身取引問題に対処する上で基礎的な取り組みであることは確かなようだ。 とりわけ、最も多い形態の人身取引が性的搾取であり被害者の大多数が女性と女児という事実(UNDOC, 2009: 67 が示すように、ジェンダー格差や不平等が人身取引問題に与える影響は深刻であり、その是正が 強く求められるのだ。 014 10 2013.3

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報告者  高松 香奈

人身取引対策とジェンダー平等

人間の安全保障と人身取引問題―男女共同参画と多文化共生の試金石―(大沢プロジェクト1)

Ⅰ. 人身取引対策としてのジェンダー平等

2012年4月3日に、国連総会対話会合「人身売買と闘う:女性と子どもに対する暴力撤廃のためのパートナーシップと革新」(“Fighting Human Trafficking: Partnership and Innovation to End Violence against Wom-en and Children”)が開催された。同会合に出席したUN Women事務局長は、「人身取引の予防」の重要性にふれ、予防のためのジェンダー平等の達成、女性のエンパワーメント、女性に対する暴力へのゼロ・トラレンスの取り組みに言及した(UN News Center, 2012) 1。これまでも、人身取引を撲滅するためにジェンダー平等の重要性が指摘されてきた。例えば2002年に開催されたアジア欧州会合(ASEM)セミナー「女性と子どもの人身取引撲滅のためのジェンダー平等の促進」(Promoting Gender Equality to Combat Trafficking in Women and Children)では、特に人身取引の被害者とならないためにジェンダー平等が重要である点が強調されている(UNIFEM, 2002) 2。また、国際労働機関(ILO)は、児童労働や、子どもの人身取引問題に関わる人々への教本の中で、人身取引問題解決のためにはジェンダー平等への取り組みが不可欠であることを示している(ILO, 2003: 25-26) 3。さらに、国連薬物犯罪事務所(UNODC)が2006年に公表した報告書『Trafficking in Persons: Global Patterns』は、送出国127か国、中継国98か国、受入国137か国の人身取引問題について考察し、複数の要因が幾重にも折り重なった人身取引問題と地域により異なる被害者、加害者、搾取の特徴について明らかにした上で、人身取引の予防について7つの点への取り組みを提案するが、その中で貧困や機会におけるジェンダー不平等など、とりわけ女性と子どもの脆弱性を作り出している格差への対応の重要性について指摘している(UNODC, 2006: 12) 4。これらの指摘は、特に人身取引のプッシュ要因に対処するためのジェンダー平等の必要性に言及したものである。確かに、ジェンダー格差と人身取引(移動労働への)の誘因との関係は見逃せない。労働を目的に非正規ルートで国境を渡った移動者に対して行った聞き取り調査の結果からも、女性は男性に比べ、出身コミュニティで現金収入を得る機会が限られ、移動は唯一残された生活を成り立たせるための手段であった(高松、2011) 5。さらには、ジェンダー平等やジェンダー意識の変革は、人身取引のプル要因への対処としても有効であるという示唆もある。日本で実施した意識調査を丹念に分析したOtsuki, Hatano(2009) 6の調査研究は、受入国におけるジェンダー意識の固定化が受入国におけるプル要因に影響していることを指摘している。以上から、人身取引問題の根底には、プッシュ要因・プル要因の双方でのジェンダー不平等やジェンダー意識の固定化があり、その是正は人身取引問題に対処する上で基礎的な取り組みであることは確かなようだ。とりわけ、最も多い形態の人身取引が性的搾取であり被害者の大多数が女性と女児という事実(UNDOC, 2009: 6) 7が示すように、ジェンダー格差や不平等が人身取引問題に与える影響は深刻であり、その是正が強く求められるのだ。

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地球上のすべての国が、人身取引の送出国、中継国、受入国のいずれかとして人身取引問題に関わっている。そのため、各政府は、人身取引のプッシュ要因・プル要因への対処、および被害者の保護、加害者の訴追などの一連の対応が求められる。既述のように人身取引問題解決のためにジェンダー平等の必要性が指摘されたが、各国内のジェンダー平等の状況は、人身取引の取り組みに影響を与えるのだろうか。米国は各国政府の人身取引への取り組み状況を4区分に分け格付けをしているが、この取り組みの差と各国のジェンダー平等の達成状況に関係性はあるのだろうか。以上を背景に、本稿の目的は、「ジェンダー平等の状況は人身取引対策を促進する上で重要な社会要素の一つか」という点について考察することである。

Ⅱ. 考察に使用するデータと問題点

ジェンダー平等の状況は人身取引対策を促進する上で重要な社会要素の一つかという点を確認するために、ジェンダー平等と人身取引対策との関係性について考察をしていく。ジェンダー平等の達成については、世界経済フォーラムの報告書『The Global Gender Gap Report 2011』で示されたジェンダーギャップ指数を、そして人身取引対策の進捗については米国務省報告『Trafficking in Person Report 2012』の各国格付けを使用する。世界経済フォーラムは2006年から毎年、各国のジェンダーギャップに着目した報告書『The Global Gen-

der Gap Report 』を公表している。各国のジェンダーギャップは、数値化されランキング化されるが、これらの数値は経済分野(Economic Participation and Opportunity)、教育分野(Educational Attainment)、保健分野(Health and Survival)、政治分野(Political Empowerment)の4つの柱に沿って導き出されている(World Economic Forum, 2011: 5) 8。具体的には、経済分野は「女性の就労率(対男性比)」、「同一労働における賃金差(対男性比)」、「女性の所得(対男性比)」、「女性管理職率(対男性比)」、「女性専門職・技術職率(対男性比)」の5つの要素から構成される。教育分野は、「女性の識字率(対男性比)」、「女子初等教育就学率(ネット、対男性比)」、「女子中等教育就学率(ネット、対男性比)」、「女子高等教育就学率(グロス、対男性比)」の4つの要素から構成されている。保健分野は、「出生時における男女比」、「女性の健康寿命率(対男性比)」の2つの要素から構成される。政治分野は3つの要素から構成され、「女性国会議員率(対男性比)」、「女性大臣率(対男性比)」、「過去50年間に女性が首相・大統領となった年数の比率(対男性比)」である。ジェンダーギャップやジェンダー平等の達成状況について、世界経済フォーラム以外にも、これまで国連開発計画(UNDP)などが『人間開発報告書』でジェンダー開発指数(GDI)やジェンダーエンパワーメント指数(GEM)、ジェンダー不平等指数(GII)などの数値化に取り組んできた。しかし、これらに対して批判的な意見も出されている。主な批判の一つは、ジェンダー平等や女性のエンパワーメントの数値化の方法やウェイトのつけ方などに対する指摘である(Grown, 2008: 94-98) 9。これらは、より精度の高い、より実態を反映した数値化をめざし改良を求めるための指摘といえる。そして、もう一つの批判は、主に取り組みを支える規範そのものへの指摘である。具体的には、土佐が解説するように、ジェンダー平等やジェンダー主流化政策の評価に対しては、評価する側が持つ世界観による評価としての反発であり、ジェンダー平等という尺度が「優劣関係を含んだ階層的文明秩序観を補強することにつながっている」という点である(土佐、2011: 34-35) 10。これは、例えば、ミレニアム開発目標にも示されるようにジェンダー平等の達成は、貧困撲滅にも重要な要素であり、全世界的に取り組むべきであるというアプローチが強調される中で、ジェンダー平等に立ち遅れている国々はどう解釈されるのかという課題である。国境横断的な取り組みが求められる人身取引問題との関係の中で、ジェンダー平等の達成はどう議論されるのか避けては通れない課題であり、この点どう解釈するべきなのか。つぎに、人身取引問題への各国の取り組みに対する評価をみてみたい。各国の人身取引問題への取り組みを評価し、格付けをする試みは、米国務省のみが実施しており、他に類似の試みはない。本稿が米国務省の格付けを参照するのは、この理由による。米国務省『Trafficking in Person Report 2012』(TIP報告書)は、人身取引の予防、被害者の保護、加害者の訴追の3つの視点から各国の状況について言及し、格付けを行っ

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ている。格付けの根拠は米国政府が2000年に成立させた「Trafficking Victims Protection Act of 2000」(TVPA)である。TVPA最低基準を満たしている国を「Tier1」、最低基準を満たしていないが、人身取引対策の努力している国を「Tier2」、最低基準を満たさず人身取引対策の努力をしているが、国内に深刻な人身取引の被害者がおり、増加傾向にある国を「Tier2監視」、最低基準を満たす努力をしていない国を「Tier3」としている(U.S. Department of States, 2012: 51) 11。このTVPA最低基準とは、主に深刻な人身取引を禁止、処罰する取り組みを行っているかなど4つの基準と11の評価項目からなる(U.S. Department of States, 2012: 388) 12。尚、4つの基準と11の評価項目いずれにも、ジェンダー平等を直接言及している箇所は見られない。そのため、ジェンダー平等の状況と格付けの間に何らかの関連が見られた場合は、ジェンダー平等は深刻な人身取引を禁止、処罰する取り組みを推進するうえでの環境条件の一つと判断できるであろう。

TIP報告書、主にその格付けに対しては、その評価に不満を持つ国からの反発がこれまでに見られたこともあった(朝日新聞2002年6月8日朝刊6) 13。反発の主な理由は各国の取り組みに対する米国政府による過小評価にあるが、推測すると米国が作成した基準により一方的に評価・格付けされることや、格付けの基準がかならずしも明確ではないと感じることへの不満といえよう。実際、取り組み状況に大きな違いが見られない場合でも、米国から制裁を受けている国や米国に敵対すると考えられている国と、米国が関係を重視している国とでは、格付け結果がだいぶ異なると判断できるケースもある。そのため、格付けそのものが米国の外交をだいぶ意識した内容となっているという見方もできる。すなわち、格付けに関して、米国の恣意性を完全に排除することは困難なようである。

Ⅲ. データの考察

1.経済的規模と人身取引対策の関係

米国TVPA最低基準を満たしている国(Tier1とされる国)には、OECD諸国が多くみられることから(図表2参照)、まず経済規模との関係を考察してみたい。経済規模の指標として米ドル換算された一人当たりGDP(購買力平価)を使用する。図表1で示されたように、 経済規模と人身取引の格付けには関係性がみられた。TIP報告書の格付け、各

国の一人当たりGDP(PPP)の関係を見ると、より良い格付け(3→1に近づく)となるには、一人当たりGDPの値が高くなる傾向があることを示唆している。すなわち、経済規模の大きい国のほうが、より米国の設定した最低基準を満たす傾向にある。

図表1 経済規模と人身取引対策の格付けとの関係

相関係数

-.577(**)** p<0.01

人身取引対策の格付け 一人当たりGDP  (PPP)

これは、TVPA最低基準の4つの基準と11の評価項目に関係するのかもしれない。それは、基準と評価項目では、法の遵守・執行能力をはじめ、啓発教育活動などの分野での取り組みが求められるため、ある程度の経済力がありガバナンスが機能している国がより基準を満たしやすいのかもしれない。

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2.ジェンダーギャップの縮小は人身取引対策に不可欠な要素

とはいえ、経済的規模が大きくなるだけで、人身取引の対策が自ずと進むということではないという点を強調しておきたい。TIP報告書の格付けと、各国のジェンダーギャップとの関係を考察してみると、ジェンダーギャップの縮小が人身取引対策の促進にとって重要な環境要素である可能性が高いのだ。図表3で示すように、データの揃った135か国全体をみると、負の相関があることがわかる。すなわち、ジェンダーギャップが改善されると(数値として0から1に増加すると)、順位付けも上昇する(3→1数字が減少する。2.5はTier2監視を示す)傾向がある。特に、経済分野、教育分野、政治分野におけるジェンダーギャップの改善と格付けは関係が強いようである。一方で、保健分野のジェンダーギャップは、格付けに対して特別な影響は与えないようである。

(出所:Trafficking in Persons Report 2012, p52)

Tier 1 Tier 2 Watch Tier 3

Australia Albania Kiribati Afghanistan Algeria Austria Antigua & Barbuda Kosovo Angola Central African Rep. Belgium Argentina Kyrgyz Republic Azerbaijan Congo (DRC) Canada Armenia Laos the Bahamas Cuba Colombia Aruba Latvia Bahrain Equatorial Guinea Croatia Bangladesh Lesotho Barbados Eritrea

narIsuraleBilaMezileBcilbupeRhcezCDenmark Benin Malta Burma Korea, North Finland Bolivia Marshall Islands Burundi Kuwait France Bosnia & Herzegovina Mexico Chad Libya Georgia Botswana Moldova China (PRC) Madagascar Germany Brazil Mongolia Comoros Papua New Guinea Iceland Brunei Montenegro Congo, Republic of Saudi Arabia Ireland Bulgaria Morocco Cyprus Sudan Israel Burkina Faso Mozambique Djibouti Syria

nemeYrodaucElapeNaidobmaCylatIKorea, south Cameroon Nigeria The Gambia Zimbabwe Lithuania Cape Verde Oman Guinea-Bissau Luxembourg Chile Pakistan Haiti

esaClaicepSailamoSqarIualaPaciRatsoCainodecaMMauritius Cote d’Ivoire Panama Jamaica Netherlands Curacao Paraguay Kenya New Zealand Dominican Republic Peru Lebanon Nicaragua Egypt Philippines Liberia Norway El Salvador Portugal Macau Poland Estonia Qatar Malawi Slovak Republic Ethiopia Romania Malaysia

sevidlaMadnawRijiFainevolSSpain Gabon St. Lucia Mauritania Sweden Ghana St. Vincent & The Gren. Micronesia Taiwan Greece Serbia Namibia United Kingdom Guatemala Singapore Niger United States of America Guinea Solomon Islands Russia

Guyana South Africa Senegal Honduras Sri Lanka Seychelles Hong Kong Swaziland Sierra Leone Hungary Switzerland South Sudan India Tajikistan Suriname Indonesia Tanzania Thailand Japan Timor-Leste Turkmenistan Jordan Togo Uzbekistan Kazakhstan Tonga Venezuela

Trinidad & Tobago Tunisia Turkey Uganda Ukraine United Arab Emirates Uruguay Vietnam Zambia

Tier 2

(出所:Trafficking in Persons Report 2012, p.52)

図表2 各国格付け

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以下は、経済分野におけるジェンダーギャップの状況、経済的規模と格付けを示したものである。既述の通り、経済規模が上昇すると、TVPA最低基準を満たす傾向にあるが、図表4で示すようにある程度のばらつきは見られるものの、経済規模の大きい国の中で、経済分野でのジェンダーギャップが大きい国は取り組みが立ち遅れる傾向にあると言えよう。これは同様に、経済規模の中規模な国でも言え、最低基準を満たす努力をしていない国(Tier3)は、ジェンダーギャップの縮小に立ち遅れている国という傾向があるであろう。

アラブ首長国連邦

シンガポール

スイス

日本

平等

ギャップ

図表4 経済分野のジェンダーギャップと格付け

一人当たりGDPが大きく、Tier2に位置付けられている国で、ジェンダーギャップが著しいのはアラブ首長国連邦である。米国務省報告は、アラブ首長国連邦の人身取引の現状について、民間分野で労働人口の90%が移民労働者であることに触れ、移民労働者に対する制限的な保証人法が移民労働者の立場を弱め、搾取しやすい状況を作っていると指摘し、また、性的搾取を目的とした人身取引と比較し、強制労働を撲滅する努力が不足している点についても言及している(U.S. Department of States, 2012: 355) 14。図表4を見ると、一人当たりGDPが大きい国々の中で、アラブ首長国連邦の例は顕著であるが、一人当たりGDPが大きくTier2に位置付けられている国として、シンガポールとスイスがあげられる。米国務省報告はシンガポールの人身取引問題の現状について、同国の全労働者の1/3以上が外国人労働者

人身取引 位置付け 全体 経済分野 教育分野 保健分野 政治分野全体(135カ国) -.492(**) -.313(**) -.284(**) -0.154 -.437(**)

高所得国(45カ国) -.582(**) -.388(**) -.349(*) -.301(*) -.573(**)上位中所得国(37カ国) -0.188 -0.145 -0.251 -0.137 -0.109下位中所得国(33カ国) -.468(**) -.382(*) -.442(*) 0.174 -0.227

低所得国(19カ国) 0.107 0.247 0.245 -0.182 -0.298** p<0.01 * p<0.05

グローバルジェンダーギャップ指数相関係数

図表3 米国務省格付けとジェンダーギャップとの関係

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であることに触れ、債務の存在、低スキル労働者が他の職を探すことに対する制限や雇用主に認められている権限など、外国人労働者が弱い立場に置かれていること、また置かれやすい状況について指摘している(U.S. Department of States, 2012: 309) 15。そして、スイスの人身取引問題の現状については、人身取引ケースの増加について触れ、女性の性的搾取や子どもに強制的に「物乞い」や「万引き」をさせるためにヨーロッパの異なる地域から「ロマ人」が連れてこられていること、そしてジュネーブでの外交官世帯での家事使用人の強制労働問題が指摘されている(U.S. Department of States, 2012: 330) 16。次に教育分野をみてみたい。一般的に、国の経済規模が大きくなると、教育分野のジェンダーギャップが縮小する傾向にある。逆に、一人当たりGDPを高めるには、女性の教育が不可欠である傾向を示しているともいえる。経済規模が大きくても、教育分野でのジェンダーギャップが残る国や、ジェンダーギャップが見られるもののTVPA最低基準を満たす国も見られる(例として韓国)。経済規模が大きい国では、他の国々と比較すると、シンガポール(Tier2)は教育でのジェンダーギャップが比較的大きいといえる。図表5からは、経済規模が小さい国で人身取引対策を進めるには教育分野でのジェンダーギャップを縮小させることが不可欠といえよう。これは本稿冒頭で触れたように、人身取引の予防としてジェンダー平等の重要性がUN Women, ILO, UNODC等から指摘されたが、特に人身取引の送出国で女性や女児を人身取引の被害者にしないためには、教育分野のジェンダー平等が不可欠といえる。

シンガポール

韓国

平等

ギャップ

図表5 教育分野のジェンダーギャップと格付け

つぎに政治分野について見てみたい。他の分野と同様に、国の経済規模が大きくなるとTVPA最低基準を満たす傾向にある。しかし、経済規模が大きい国でも、政治分野でのジェンダーギャップが顕著な国は、人身取引対策が進まない傾向にあるといえる。政治分野でのジェンダーギャップは、経済分野、教育分野と比較してもより顕著といえる。つまり、人身取引対策を強化するには、女性政治家の役割が重要と推察することができるのではないだろうか。

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平等

ギャップ

アラブ首長国連邦

シンガポール日本

図表6 政治分野のジェンダーギャップと格付け

以上が、全体(135か国)の考察結果である。米国務省格付けと世界経済フォーラムのジェンダーギャップとの関係をみると、特に高所得国の政治分野におけるジェンダーギャップの縮小は重要な要素といえそうである。国際的な人身取引の流れは、人身取引に関わるブローカーのネットワークなども考慮に入れる必要があり、経済的規模に応じて、人身取引の送出国、中継国、送出国と区別することは難しい。しかし、人身取引の流れがより経済的規模の大きい国々に向かっている傾向から、より受入国となる高所得国においてジェンダーギャップの縮小、とりわけ政治分野でのジェンダーギャップ縮小の必要性が示唆された。受入国側が人身取引対策を進めていくうえで、ジェンダー平等は必要不可欠な環境条件の一つといえ、特に女性議員の政策決定への関与は絶対不可欠な要素といえよう。高所得国でも、より人身取引の受入国となるOECD諸国の格差に焦点を絞って考察してみたい。図表7は、

OECD諸国のジェンダーギャップと相対的貧困について示した。一般的にジェンダーギャップが残る国は、国内の貧困(相対的貧困)の状況がより深刻である可能性が高いと言えるが、TVPA最低基準を満たすか否かという点には、ばらつきが見られる。しかし、国内の相対的貧困問題が顕著で、かつジェンダー格差を放置している国は日本と韓国であり、日本はTier2、韓国はTier1となっている。韓国はジェンダーギャップ指標や相対的貧困の指標で、日本と問題を共有している国の一つである。また、これまでに考察から導かれた傾向からすると、取り組みに立ち遅れている可能性が高い国ともいえる。しかし、米国務省の格付けはTier1となっている。米国務省の報告書を参照すると、韓国は人身取引の加害者を適切に訴追し、主に性的搾取を目的とした人身取引の予防を行っている点が評価されている(U.S. Department of States, 2012: 210-211) 17。米国務省のTVPA最低基準は禁止や処罰にウェイトが置かれており、確かに韓国は国務省報告がカバーする期間に訴追が行われている点が評価されており、法的枠組みに沿った対応が行われているのかもしれないが、国内のジェンダーギャップを縮小することで、人身取引対策への環境が整備され安定的な対策が可能となるのかもしれない。同時に日本は、法的枠組みに沿った対応とジェンダーギャップの縮小を念頭においていく必要があることを示す。考察の結果この2か国の対応は強調されるべきであるが、特記すべきは、

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人身取引問題がアジア・太平洋地域でより深刻と言われ(ILO, 2008: 3) 18、日本と韓国は受入国であるという事実であり、両国の取り組みはとりわけ重要である。

10

日本

韓国

格差

イスラエル

平等

貧困率(可処分所得の中央値50%未満)

図表7 OECD諸国 ジェンダーギャップと相対的貧困

Ⅳ. おわりに

本稿では、「ジェンダー平等の状況は人身取引対策を促進する上で重要な社会要素の一つか」という問いに応えるために、世界経済フォーラムの公表するジェンダーギャップ指数と、米国務省の人身取引対策の各国格付けを使用し、分析を行った。ジェンダーギャップの縮小は、プッシュ要因、プル要因を縮小すること以上に、国が人身取引対策を進めるための重要な社会要素となりうる可能性を示唆したといえる。考察結果を要約すると、①経済的規模の大きい国でより人身取引対策が進む傾向、②経済分野、教育分野、

政治分野でのジェンダー格差の縮小は人身取引対策を促進させる傾向、③とりわけ人身取引の受入国となりやすい高所得国で経済分野、政治分野のジェンダー格差を縮小させることは人身取引対策を促進させる傾向、ということである。特に高所得国では、女性政治家を増やすことは、対策を促進する上で鍵となるのではないだろうか。やはり被害者の多くが女性と女児という人身取引問題に対しては、政策決定過程で女性議員の役割が求められるのである。これらの考察結果から示唆されるのは、特に受入国で人身取引対策を進める環境としてのジェンダー平等の推進が大切であるということである。人身取引は国境横断的課題であり、全世界が足並みを揃え対応して

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いく必要があるが、この視座からはジェンダー平等から立ち遅れた国々は、人身取引対策という観点からは「問題」ともいえ、特に受入国はこの点を認識し、取組を充実させていかなくてはならないのではないだろうか。

註 1 UN News Center Home Page Remarks to General Assembly Interactive Dialogue "Fighting Human Trafficking: Partnership and Innovation to

End Violence against Women" http://www.un.org/apps/news/infocus/sgspeeches/statments_full.asp?statID=1496 (最終アクセス日2012年10月8日)

2 UNIFEM (2002) Promoting Gender Equality to Combat Trafficking in Women and Children, ASEM seminar co-organized by the Ministry for Foreign Affairs, Sweden and UNIFEM in co-operation with UNESCAP, 7-9 October 2002 (セミナー報告書)

3 ILO (2003) Promotion of Gender Equality in Action against Child Labour and Trafficking: A Practical Guide for Organizations, Bangkok, International Labour Office

4 United Nations Office on Drugs and Crime (UNODC) Trafficking in Persons Global Patterns April 2006 (ダウンロード可能 http://www.unodc.org/pdf/traffickinginpersons_report_2006-04.pdf)

5 高松香奈(2011)『政府開発援助政策と人間の安全保障』日本評論社 6 OTSUKI, Nami, HATANO, Keiko (2009) “Japanese Perceptions of Trafficking in Persons: An Analysis of the ‘Demand’ for Sexual Services

and Politics for Dealing with Trafficking Survivors”, Social Science Japan Journal Vol.12, / No.1, pp. 45-70 7 UNODC (2009) Global Report on Trafficking in Persons, UNODC 8 World Economic Forum (2011) The Global Gender Gap Report 2011, Geneva, Switzerland 9 Grown, Caren (2008) “Indicators and Indexes of Gender Equality: What Do They Measure and What Do They Miss?”, Buvinic, Morrison,

Ofosu-Amaah, Sjoblom eds, Equality for Women, The World Bank 10 土佐弘之(2011) 「第2章 比較するまなざしと交差性―ジェンダー主流化政策の波及 /阻害をどう見るか」日本比較政治学会編 『ジェンダーと比較政治学』日本比較政治学会年報第13号、ミネルバ書房

11 U.S. Department of States (2012) Trafficking in Persons Report 2012, http://www.state.gov/j/tip/rls/tiprpt/2012/index.htm (最終アクセス日2012年10月8日)

12 U.S. Department of States (2012) Trafficking in Persons Report 2012, http://www.state.gov/j/tip/rls/tiprpt/2012/index.htm (最終アクセス日2012年10月8日)

13 朝日新聞2002年6月8日朝刊6面「これは米国の問題 カンボジア副首相(ことば・ワールド)」 14 U.S. Department of States(2012) Trafficking in Persons Report 2012, http://www.state.gov/j/tip/rls/tiprpt/2012/index.htm(最終アクセス日

2012年10月8日) 15 U.S. Department of States (2012) Trafficking in Persons Report 2012, http://www.state.gov/j/tip/rls/tiprpt/2012/index.htm (最終アクセス日

2012年10月8日) 16 U.S. Department of States (2012) Trafficking in Persons Report 2012, http://www.state.gov/j/tip/rls/tiprpt/2012/index.htm (最終アクセス日

2012年10月8日) 17 U.S. Department of States (2012) Trafficking in Persons Report 2012, http://www.state.gov/j/tip/rls/tiprpt/2012/index.htm (最終アクセス日

2012年10月8日) 18 ILO (2008) ILO Action against Trafficking in Human Beings, ILO

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大沢 真理

ここでは、高松報告にたいする直接のコメントとともに、質疑討論につながるような論点も提供したい。

Ⅰ. 日本の人身取引対策は2等級

まず高松報告にたいして補足をおこなう。政府による人身取引撲滅の取り組みにかんして、アメリカ国務省の毎年の『人身取引報告書』における格付けでは、2001年の第1回報告書以来、日本はティア2(Tier2)であり続けている。2000年に制定された米国人身取引被害者保護法(TVPA)の「最低基準」を、当該国の政府の取り組みが満たしていれば1等級(Tier 1)、最低基準を満たしていないが、満たそうとして相当の努力をしていれば2等級(Tier 2)、最低基準を満たさず、満たそうという努力もしていなければ3等級(Tier 3)である。主要先進国は、韓国も含めて1等級であるが、日本は2等級なのである。しかも2004年には、日本はTier2 Watch、すなわち「2等級-監視対象」に格付けられたこともある。

2等級監視対象とは、2等級のなかで以下の3ついずれかに該当する国である。①被害者の絶対数が相当であるか、かなり増大している、②前年よりも努力を増しているという証拠を提供できない、③翌年に追加的なステップを取るという誓約により、相当の努力をしていると認められた(U.S. Department of State 2004: 28)。この2等級-監視対象の格付けにたいして、日本政府は愕然としたといっていいだろう。この格付けの理由は、人身取引対策行動計画の策定(2004年12月)に至る対策が取られていても、国内での予防(prevention)、さらに加害者の訴追(prosecution)などの面で、依然として取り組みが弱いという点を、厳しく査定されたためである。また、2006年の報告書では、人身取引を行った者が起訴され有罪となっても大多数が執行猶予であること、被害女性が捜査や訴追に協力しようにも被害女性保護が不十分であること、売春は違法だが「需要」を違法にする努力が見られないことが、指摘された(U.S. Department of State 2006: 149-151)。こうした状況において、「プル要因」にかかわる事情は、高松報告も援用している大槻奈巳・羽田野慶子の共著論文で、大規模アンケート調査の結果にそくして分析された(Otsuki & Hatano 2009)。同論文によれば、「男女は本質的に違う」と考える人ほど、性的サービスを買うことを容認する傾向がある。いいかえれば、男女特性論であり、日本社会では依然としてそれが強い。日本への人身取引は、性的搾取を目的とするケースが大部分であるが、近年では外国人技能実習生・研修生の制度も、強制労働ではないかという観点から、アメリカ国務省によって問題視されている(U.S. De-partment of State 2007: 124)。ところで、人身取引の被害者を送り出したり中継する社会、そして人身取引の被害者が多数送り込まれるような社会では、いわゆるソーシャル・コヒージョン(social cohesion、社会的結合力)という面で、問題が大きいのではないか。いくつかの指標でその関連をつかむことができると考える。

Ⅱ. 注目される社会的結合力

1.学問のもう一つのフロンティア

社会的結合力について、社会の持続可能性を測っていくうえで非常に重要な変数だということが、いくつかのアプローチで共通して注目されている。ジェンダー研究はもちろんのこと、それと共鳴するようなアプローチとして、例えば制度重視の開発論や開発経済学、逆システム学、障害学などをあげることができる。逆システム学は、経済学者の金子勝と血管学者の児玉龍彦により『逆システム学』(岩波新書、2004年)で

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提起されたものである。また、ソーシャル・エピデミオロジー(social epidemiology、社会疫学)といわれる分野が、社会科学と近接しつつ社会的結合力に注目している。たとえば制度重視の開発論では、広義の社会保障や社会保険による社会的包摂が強い社会において、市場メカニズムの機能も支えられ、長期的な経済成長を達成していることが、確認されている。社会的結合力とは、周知のソーシャル・キャピタル(social capital、社会資本)概念を拡張したリーツェンらの概念に由来している。指標は、a. 団体の組織度と加入度、b. 「信頼」、c. 所得分配の平等度(ジニ係数と中流60%が占める所得シェア)、d. 民族的分裂度(ジェンダー・教育・階級・障害による分裂にも着目)である(石井2003)。また障害学では、近年、従来の「医学モデル」から、「社会モデル」への転換が大きな流れになっている。医学モデルでは、個人に医学的に特定できるようなインペアメント(impairment)があることが障害であり、それを外科的に、あるいはリハビリによって克服すると障害者の社会統合が進むと捉える。これにたいして社会モデルでは、インペアメントをインペアメントたらしめているのは、社会の側のハード・ソフトの構成であると捉えるのである。これについて、理論経済学の領域から果敢に挑戦しているのが、ゲーム理論家の松井彰彦東京大学教授である。ゲーム理論では演繹論的ゲーム理論が主流であるが、松井は帰納論的ゲーム理論の開発に取り組んでおり、特に偏見を持たない人のあいだでも差別や隔離が起こり、固定化する恐れがあるという点を理論的に説明することに成功している(松井2012)。社会疫学においては、もう1つの医学フロンティアが提案されている。従来のアプローチが、人間の個人

の身体、臓器、ホルモン、遺伝子、分子というように、要素に還元していくアプローチであったとすれば、新しいもう1つの医学フロンティアとは、人間を生態学的に、「生物・心理・社会」モデルで捉え、人間と環境との相互作用を重視して包括的・全体的に健康を追究するアプローチである。ニュー・パブリック・ヘルス(New Public Health)とも呼ばれる(近藤2005)。いわゆる性差医療は、ニュー・パブリック・ヘルスのなかでも、ジェンダーを重視している流れと言えるのではないだろうか。要素還元的アプローチというのは、従来の生物学・医学モデル以上に主流経済学についてもあてはまることである。

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2.所得格差と健康社会問題指標

さて上図は、社会疫学の成果の1つであり、その国際的な啓発団体Equality Trustのホームページに掲載されている。縦軸が健康・社会問題指数、すなわち、平均寿命、子どもの数学と読解力の成績、乳幼児死亡率、殺人や収監者の比率、10代の出産等々を統合した指数である。横軸は所得の不平等であり、健康社会問題指数の国際的な差異は、所得不平等度との相関が高い、ということを示す。注意するべきは、所得格差が大きい社会では、低所得層のみならず中・高所得層でも健康および社会問題が大きい傾向があることだ。中以上の層の指標で、国や州によって3倍から10倍の差がある。所得格差は、一部のハイリスクグループだけでなく、人口全体に影響する。その理由は、所得格差の大きな社会では、ストレスが高く、自律神経やホルモンの働きが慢性的に乱されるため、免疫機能の低下や血圧・血糖値の亢進を招くからだという(ウィルキンソンとビケット2009=2010;http://www.equalitytrust.org.uk/)。それは、むろん因果関係ではないが、多数の回帰分析がなされている。日本は左の最も低い位置にあり、所得不平等が小さくて、健康社会問題指数において非常に問題が小さいことになる。しかし、日本のこのような位置づけには疑問が提起されている。所得不平等度のデータが日本については

1980年代の数値で、近年の格差拡大を反映していないこと、また所得不平等の尺度が20/80率と略称されるもので、日本の実態を反映しにくいこと、などである。20/80率とは、所得5分位の最下位と最上位の所得比である。日本の所得分布の特徴は、中間層と富裕層の格差が比較的小さく、所得中央値の50%未満の人口比率が比較的高い点にある。所得中央値の50%未満の低所得は「相対的貧困」と呼ばれ、その人口比率である相対的貧困率は、日本では先進国で最も高い部類にある(阿部2011)。上述の社会的結合力のなかでも社会的信頼について、最新の調査がシティズンシップ(Citizenship)2004でおこなわれており、日本での人への信頼はかなり低いレベルにある。その数値と相対的貧困率を散布図にすると、下図のとおりである。人への信頼は、日本が最低の32.3%、貧困率は3番目に高い。

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3.信頼と相対的貧困率

注: 横軸は、「他人と接する時、相手を信頼できるか、用心する方がいいか」  「いつも信頼できる」と「たいてい信頼できる」の回答の合計。出所: 信頼は、International Social Survey Program, “Citizenship 2004,” Q13、

相対的貧困率はOECD StatExtractsの数値より作成。

日本の相対的貧困率が諸外国に比して高い要因として、労働年齢人口については女性の稼得力が弱いこと、高齢人口については、単身女性の貧困率が高く、高齢単身女性が増加してきたことを、指摘できる。いずれもジェンダー問題である。

Ⅲ. 結語

再度、高松報告に引き付けると、性的搾取を目的とした人身取引を、東南アジア、コロンビア、あるいはロシアなどの諸国から日本が大量に吸引している現状は、日本社会の根強いジェンダー不平等および男女特性論と強く関連している。男女共同参画と多文化共生とは、統合的に捉えて取り組んでいくべき課題であることを、強く示唆しているといえよう。

引用文献Otsuki, Nami & Keiko Hatano (2009), “Japanese Perceptions of Trafficking in Persons: An Analysis of the ‘Demand’ for Sexual Services and

Policies for Dealing with Trafficking Survivors,” Social Science Japan Journal, 12(1), 45-70.U.S. Department of State (2004), Trafficking in Persons Report 2004.U.S. Department of State (2006), Trafficking in Persons Report 2006.U.S. Department of State (2007), Trafficking in Persons Report 2007.阿部彩(2011)『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』講談社現代新書石井菜穂子(2003)『長期経済発展の実証分析 成長メカニズムを機能させる制度は何か』日本経済新聞社ウィルキンソン、R. とビケット、K. (2009=2010)酒井秦介 訳『平等社会―経済成長に代わる、次の目標』東洋経済新報社金子勝・児玉龍彦(2004)『逆システム学』岩波新書近藤克則(2005)『健康格差社会-何が心と健康を蝕むのか』医学書院松井彰彦(2012)「帰納論的ゲーム理論とその応用」、2012年6月19日東京大学社会科学研究所全所的プロジェクト研究『ガバナンスを問い直す』第25回セミナー報告

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